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建築とソフトウェアを接続する試み

建築史家は建築を建てずとも、研究によってより良い世の中のあり方について提言することができる人だと私は信じているので、ソフトウェアも同様なアプローチが取れるはずだ。建築史研究を行ってきて、現在はソフトウェア開発に関してよりよい学びの環境設計に興味がある私は、そこに自分の存在する意味があるだろうと思う。

建築とソフトウェアは直感的には類似しているところがありそうだ。

建築界隈の人は、使う側としてのテクノロジーに対しては意識しているだろうが、ソフトウェアの設計や生産方式に対して関心がある人はごく少数だと思う。想像するに、アジャイル開発という言葉は知っていても「建築はそんなふうにはいかないのだ」と羨ましい思いをする人が多そう。

ソフトウェア界隈の人は、そこそこの人がアレグザンダーのことを知っていて、一部の人は『パタン・ランゲージ』などの難解な書籍を読み込んでいる。これだけ「パターン」(デザインパターン)が関心を持たれるなか、感覚的には「もっと重要な建築・設計理論があるはずなのになぜアレグザンダーだけ関心を持たれるのか」という疑問を持った。よく知らないのに直感で適当なこというが、レム・コールハースとかソフトウェアの人に好かれそうな気がするんだけど。

いま興味があるのは以下のトピックである。

・なぜソフトウェア技術者がアレグザンダーの理論に出会ったか
・なぜアレグザンダーがここまでソフトウェア界隈に関心を持たれるようになったのか
・なぜ「デザインパターン」という発想は建築では普及せず、ソフトウェアでは普及したのか
・他にソフトウェア開発に参考になりそうな建築・デザイン理論はないのか、もしくは接続を試みているソフトウェア技術者はいないか
・建築史(特に住宅建築史)もしくは都市史を俯瞰するなかで、ソフトウェア史と類似もしくは接続できるところはないか
・建築理論や建築史は、ソフトウェアの「設計」以外のことにも適用できないか
・(少し発想を変えて)同じ設計行為をする技術者であるが、建築とソフトウェアでどのような教育を受けているかの比較、もしくは必要とされる学問や知識にはどのような違いがあるか

アレグザンダーやパターンは詳しい人がたくさんいるうえ(私は設計行為をしてないのはもちろんのことアレグザンダーの本もちゃんと読めてないですし……)、すべてのソフトウェア技術者が「アレグザンダーを読まなきゃ!」というのも有限な学びのリソースの振り方としてちょっと違う気がしていて、自分のアプローチとしては、領域と時間軸をかなり俯瞰してみたときに何が見えてくるのかが知りたい。夏頃にどこかで何かしらのアウトプットができるといいな。

お読みいただきありがとうございました! よかったらブログものぞいてみてください😊 https://kondoyuko.hatenablog.com/