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33歳建築家が、突然バリスタを目指した理由

僕は33歳建築家
ある日、突然自分は「建築家」なのだと思った。


ちなみに「建築家」という職業はない。
クリエイターやアーティストと同じで自分から言ったものガチな「肩書き」なのだ。大体の転職サイトとかを見ても職種に「建築家」なんて載っていない。
もっと言えば「建築士」は職業ではある。
というか「〇〇士」は資格所有者のことなので建築の資格を持っている人が建築士にあたる……
などと、雑学的なことを語るのも楽しいのだけれど

すなわち、僕は「建築家」なのである
世の中的には珍しい「建築士」になりたくない「建築家」である。


この時までは、まだ建築家だと思っていた。


僕は大学から大学院までに建築を学び、設計事務所で5年働いた。
その後、大学の後輩と独立して一級建築士事務所を立ち上げ、福島に移住して古民家に住みながら空き家の活用や設計をしてきた。

ここだけ聞くと、建築中心の人生に見えるかもしれない。
たしかに、20代は建築中心の「仕事」をしてきたと思う。


ただ僕にとって、「建築」はひとつの手段でしかなかいと、いつも思っていた。

建築に何ができるのか?

建築の最大の価値は「able(=できること)を増やすこと」だと思っている。

山奥の田舎町に劇場ができれば、地方でも一流のオーケストラが聴ける。
通勤の道に素敵なコーヒースタンドができれば、忙しない朝に、落ち着きと美味しい珈琲の至福の時が生まれる。
自分のやりかったパン屋を開けば、近所の人や同じパン好きがわざわざ訪れて、共通の趣味や生き甲斐を持った隣人と出会えるかもしれない。

建築とはそういった場所ができることで生まれる未来のable(未来の隣人と言ってもよい)を手繰り寄せる価値がある。

そんなことを、20代で建築を仕事にしている中で気が付いた。
これが20代の僕にとって最大の財産だったのかもしれない。

20代の一日一日を過ごす中でそれにうっすらと気が付きだして、
僕は「建築士」を取らなくなった。


「建築士」…..とは?というと、
正直、国家資格ではあるものの医師や弁護士に比べたら不遇な資格だと僕は思う。
単純に激務は変わらないけど収入は医師や弁護士と比べて低い。
そのため、建築が好きでやりがいと必要性を感じない人には、資格取得をおすすめできない。
大学を出て2年間実務経験をし、受験資格を得られる。
受験は筆記と製図があり、独学合格はほぼ無理とされている(実際、独学の合格率は極めて低い。なのに試験は年一回しかない)。みんな資格学校で何百万円を費やし何年も掛けて合格を勝ち取る。合格したら、今度は3年間実務経験を積んでやっと自分の設計事務所を出せる(管理建築士という設計事務所を立ち上げ継続するのに必要な役目を担える。そして建築士の資格がないと一定の規模と用途の建物を作ることができない)。それが建築設計の20代の過ごし方。
これは建築士の中でも、最高位の一級建築士のはなし



話を戻そう。


要するに、僕からしたらそこまでして建築士が欲しくなかったのだ。


僕は誰かがやりたいことを実現できる場所を作ったり、建築や空間ならどうやってその夢や問いに応えられるかに関心があった。

すなわち、建築でデザイン(=課題を解決したかった)をしたかったのだ。


でも、建築を作るには、建築士が必要を思われるかもしれない。



必要である。

ただ、設計事務所で誰か一人が持っていればそれで良いのだ。

法律は安易である。

なんなら、用途や規模次第では、建築士の資格はいらない。
そして僕のやりたいことのほとんどが建築士はいらない。

そこからは、出会った人や職人さんたちとの会話や一緒に作り上げることに全力だった(資格勉強をやめた)。

時々、資格を取らなきゃならないという固定概念に流されて勉強をする年もあったが、そんな曖昧な気持ちで受かる資格ではない。普通は1年がかりで、隙間時間や平日夜、土日終日も費やすような資格だ。

建築士を取れる人はすごい。そして僕は取った人と一緒に会社を作り、独立して設計をはじめたのだった。


ちなみに、建築士は取得するのはとても大変で、取得者のほとんどが50歳以上。30歳ごろで持っていれば、いずれどの企業でも必要とされ、転職等で役に立つのでそれは良いけど…..
そもそも、設計事務所の数がコンビニよりも多い今の時代。
わざわざ、大変な資格を取って、経営から何から全て一人でやるのが良いのだろうか………..。

なんて、もやもやをいだいていた僕。


年代別の建築士割合 / 国土交通省 引用


僕の中でどうしてもそこまで大変なことをして20代を費やしてしまうのがもったいなかった。

これが答えだと、今では思う。


話を今に戻そう。


そして、今年、付き合っていた彼女と婚約。
指輪を渡した時は横浜駅で泣いてくれました。
素直でとても素敵な人です。

同棲して3年程度が経ち、いつもの朝の会話…

「建築じゃないことで生きても良いんじゃない?」
ふと、彼女が言ってくれた。

多分、当たり前のことなのですが、僕に取っては目から鱗でした。
そして、僕が悩んでることを日常で一緒に過ごす中で、察してくれたのだと思った。

いつからだろう。
建築で食べていかなきゃと、勘違いをしはじめたのは。

いつからだろう。
建築士を取ったり、建築家として何かしなきゃと思いはじめたのは。


別に建築が嫌いになったとか、やめるとかではない。
ただ、建築との関わり方は変えていこうと思った。

一般的な建築家とか、激務な職場環境とか、取らなきゃいけない資格とかそんな固定概念ではなく、僕らしい建築との距離感が大事だなと感じた。

ふと、した一言から真剣に考えてみると、人生は大きく進んでいく。


僕はデザインが好きだ。
誰かのやりたいことを実現する、課題を見つけて解決することを常日頃考えている。俗にいう「デザイン脳」ってやつだ。

それは、建築のおかげで培った僕の才能となった。

カフェや施設、有名建築かそうでないかにかかわらず、建物に入ればディテールや使われ方、何故この照明なのか、何故この客席の配置なのか、本当にこの設計で良いのか、などと設計者の意図を考えながらその「空間を読み解く」ことはいつでも当たり前だ。

だから、建築には感謝している。

それは、「空間を読み解く」というのが、ある種の言語だからだ。
英語を海外で話せると、行ける場所やその土地の文化を感じ取れる。

空間を読み解けると、街や公園、お店や家の中での体験、体感を想像できるし狙って作り出せる。ある種の文化を作ることも。それはとても面白い。


そして僕は、バリスタを目指すことにした。


理由は簡単。

ほっとする上質なひととき、そんな豊かな空間体験をもっと日本中に広めたいと思ったからだ。

簡単…なのだろうか?
でも僕は、ワクワクしている。それが答えだ。

珈琲を日本で飲んだことがない人はいないのではないだろうか。
人によっては、一日に何杯も飲み、味に凝る人もいる。

毎日、お米を食べるぐらいとまではいかないが、「珈琲を飲む」というのは日本人にとって当たり前の文化になりつつある。

そんな当たり前の文化を、より豊かに日本中に広めていく。そんなことができるかもしれない。それが、ある企業と僕の出会いから夢を見れるようになった。
それができるなら、またひとつ、「able(=できること)」を増やせるかもしれない。そう思った。

珈琲は不思議なもので、それまで怒っていようと、疲れていようと、飲んだ瞬間にほっとする。気持ちが切り替わることで、その場にいる体感が変わる。
音楽やアートとかもそうだ。
そういった五感に直接刺激するものがとても面白いと感じはじめた。

なにせ建築は、作り上げるのに住宅なら1~2年、施設なら5年以上掛かることもある。その間、関わる人も多く、お金や構造、法律が絡む。頭で考えて作り続ける。とても「思考的」だ。

珈琲は、味とかおりを堪能し、それらを説明する時は感性に頼る。そしてさまざまな言葉で形容する。とても「直感的」だ。

どちらも、人の暮らしの中で豊かな空間体験を担うけど、「思考的」か「体験的」かに大きな違いを感じている。そして僕の人生の中で、素直で「直感的」なものを学び、取り入れたいと何かがささやいている。

幸い、その企業に入社することが決まり、バリスタで働かしてもらえる環境をいただいた。そこでなら本気でやりたいと僕自身は思えた(むしろそこだから、バリスタを目指そうとすら思えた)。
入社は2022年12月(3週間後だ)。
まさにこれから学び直すことになる。ワクワクがとまらない。

きっかけをくれた、彼女と企業には本当に感謝している。

だから僕はこれから実際に、学び直す。
経験のない環境に飛び込んでみることにした。そんな33歳の秋。


ちなみに僕は紅茶も好きだ。

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