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耳塞ぎ頭突きをカマす前の処方箋

 本日快晴なり、たまには外さずいってみたい。
天候のチカラ、歳を重ねる程染みて感じ入る。そりゃ痛風だからだ。と私の中の外野。いやそれだけではありません。洗濯もせにゃならんし、生活に天気は根付いとるんです。
そう思えば子供の頃は楽しめていた面があったと思う。されど歳のせいなのか気圧のようなモノに左右されやすくなった。その分晴れの日はちょっと元気な気がするんです。

ナーニをつまんねーことを打って腐ると思われようが歳を重ね挫折を重ねたから思う事があり、例えばそれがありふれている事だと、知ってるよウッセーよ。とか聞き飽きたよ。となったり、また分かりたくない、負の情報だと遮断邦人と化して目を背ける態度になったりするのも分からない事もない。

私かてコテコテの昔ながら中華的思想の蔓延る上方の世代の末裔だからそう植え付けられて来た。
世間とは鬼ばかり他人を蹴落としても落とされない様にメイクマネー、メイクマネー、決して下を見るな。上を見ろ、上を。
崖登りで下を見た瞬間に恐怖がやって来るかの様にそう言われ、ギロッポン上海挙句はドバイの最上階を志し目指すかのように。
そんな人生でたまたま調子良く行ったとしてもいつか終わりは来る。

どんな人生でも重ねれば結局は身体が痛い、どこが悪い、病気自慢、これはヤンキーだって軍人だって今までの修羅場自慢という意味では一緒だ。
それがあまり他では聞かない特殊であったり、経験体験を重ねた先に起こり得る傾向を共有する事でその道の貴族認定とされる。
猿の脳みそ、変態倶楽部、覚醒剤、文脈付き芸術、洗練ファッション、どうもそういったものに憧れがあるのだろう。

それがこの国の庶民層では食べログというアソビが流行ったりラーメンブロガーだったり、貴族にとってのオペラはエンタメのギグなどの様に他にも様々だろう。それは悪い事だとも思わない。
しかし最近そういうモノが前より虚無に感じて来た。

いつもの癖で話はヨレタ。だので何が言いたいかといえばそんなモンに固執しようとしても歳を重ねると色んな化けの皮が剥がされていく。
そこで抗う人も多々いる。またそれに固執して現実とのギャップを受け入れられずに狂ってしまう人も、それらも本人の自由なので否定する事はない。
ただ、アンタ方がそういった婆さま爺さまの身体痛い、気圧で調子悪いというのを聞くのは、それ即ち、なにわ男子であったりセックストーンとか殿様キングスのギグへ行ったとか、今日の日向村坂であったりask69(あーそーこー)のインスタの投稿に胸キュンしたみたいなもんじゃないだろかという提案をしたい。

因みに胸キュンなんて(使うのか分からないけれども)昔流行った歌謡曲といって、この令和の時代になってそういうシティポップであったり昭和歌謡曲が見直される流れになっているがバリバリブラックな体制のバリキャリ軍団によってのっぺりしたおじさんが女の子に歌を歌わせるといういかがわしい商売の中で(胸キュンについてはその行き詰まったおじさん達が自分たちのそのいかがわしい商売の方が自分たちのプロジェクトを超えた成果を上げてしまった事を自ら嘲笑いつつヤケ糞でやるというある種の奇行ではあるが)産まれた産物であったりする。

私の悪い癖は続く、そういうふうに自分が理解出来ない事というのもずっと続いている。悪い奴ののさばりも、ただ自分がダサいとか思うのは何でそう思うのか、また逆に自分はこれがイカすねや、堪らんのやというものって案外、実は自分が忌み嫌うおじさんとか悪い人が政治をバンバン介入し裏で操っているかも知れんのだな。
またエンタメに政治が常に動いている事を思えば爺い婆あのおんなじ繰り返しとか戯れ事、戯言の方がその爺い婆あの政治は多少は介入して来るかも知らんが純粋な心の叫びでそういうエンタメに政治を持ち込むなっていう人は面白がられるかも知れんなと、今日はそんな事を思った。バイトバイト『不 良 姐 御伝 』を観て思った。
残暑が厳しすぎる夏、ある日の一コマ、瞬間の思い出。

この町の風景にも大いに政治が介入している。

#Spoon 近藤フルコースのCASTだよ!

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