観た映画「アメリカンユートピア」


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元「トーキング・ヘッズ」のフロントマンでグラミー賞受賞アーティストのデビッド・バーンが2018年に発表したアルバム「アメリカン・ユートピア」を原案に作られたブロードウェイのショーを、「ブラック・クランズマン」のスパイク・リー監督が映画として再構築したもの。

最近観た描いでぶっちぎりでよかった。アメリカン・ユートピア」。

5月末に公開されて高野寛さんとかSFの高千穂さんとか周りの親しい人たちもいろんな方がSNSで絶賛していたので映画館で観たかったのだけど見逃していて都内はほとんど終わりかけていた。

僕は特にこの数ヶ月はアトリエのある取手に引きこもっていて散歩とか制作をしていた。映画は基本的には都内に用事があるときにその用事の前後で観ることにしている。だから映画館での鑑賞は諦めかけていた。だけどラッキーなことに僕の暮らす街のご近所の柏の「キネマ旬報シアター」で上映していたから観にいけた。ありがとう柏キネマ旬報シアターさん。

それでめちゃくちゃ良かった。フィルムでライブをする経験は今まで何度かあるけれど、それとは全然別次元に行っちゃった。

まず舞台の作りに驚いた。めちゃくちゃシンプル。ケーブルなど一切ないから演奏者が自由に舞台を動き回れる。その自由さ。デビッド・バーンも言っていたけれどその空間には無駄なものがないものない。演者とお客さんだけ。そしてそれを追いかけるカメラの格好よさ。あとみんなが着ているスーツもすごくかっこいい。これは宇野維正さんの解説に書いてあったけれどあのグレーの揃いのスーツというのも参照元があるらしい。そのスーツの話にも限らず宇野さんの解説はこの映画のバッググランドを知るのに本当に参考になる。「宇野維正 アメリカンユートピア」と検索すると出てくると思う。ほんと宇野さんってなんでこんなに色々知っているんだろう。すごすぎる。

歌もパフォーマンスすごく良かった。バンドメンバーすごすぎる。演奏するだけじゃなくて動き回る。ダンスもできるしあの動き回るフォーメーションを演奏しながらできるなんてすごい。メンバー紹介の時にみんなの出身地を含めて紹介するのも良かった。

デビッド・バーンの歌は「家」とか「居心地の良さ」というのが主題に多いけど、それらの曲が発表された当時と彼にとって「家」とか「居心地の良さ」の意味は変わってきたのだと思う。ていうかアップグレードされないといけないのだと思う。それは寛容さに関わるのだと思う。この不寛容が増大する世の中で。

タイトルも色々と考えさせられた。アメリカンユートピア。

デビッド・バーンは1984年。だから今から36年前ぐらいの同じく舞台で「ストップメイキングセンス」を上演していた。意味を捨てろ!と言っていたのだ。当時ポストモダンが流行っていて「意味」は制度や権威だと思われていた。みんな当時意識的だった人は制度や権威からあるいは「意味」そのものから自由になりむき出しの個人になりかったのだろう。浅田彰の「逃走論」も1984年。みんな意味や制度を捨てろとか逃げろと言っていたのだ。

あと世の中全体的に若かったのだきっと。若い時ってなんかそんな乱暴なこと言ったり考えちゃったりする。

でも実際に自由になったらむき出しの獣のような時代に現代はなってきちゃってる。人間の理性とかより前面に弱肉強食の新自由主義がくる世界。

白人男性のデビッド・バーンが舞台の最後の方で歌うことはこのことにきちんと向き合わなくてはダメなんだという強い決意だった。それを主に白人の観客に向かって歌っていた。

自由はそんなに簡単に手にはいらずいろんな種類のいろんなレイヤーの不自由の組み合わせの上にかろうじて成り立つんだ。そのことをアメリカンユートピアという舞台の上では見せてくてた。とても面倒くさいけど自由に真摯に向き合っていた。

バンドのメンバーにアジアン系の人が一人でもいたらまた違った景色が観れたのかなぁ。それも観てみたいなぁなんてアジア人の僕は思った。でもいろんな音楽やパローマンスの能力の判断の上で純粋にあのメンバーが選ばれていたならそれもまた逆差別になっちゃうのか。

そんなこと考えるのは面倒くさいけれどでも面倒なことをやめない。

それで1980年代から40年ぐらいたって当時若かった人たちはきちんと老成しないといけないのだ。なんとか老成してそれで今の僕たちよりずっと優れているように思える若い人たちに主導権を渡せたらいいなと思う。

とにかくめちゃくちゃ面白い映画でした。

公式webはこちら。https://americanutopia-jpn.com



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