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食は栄養補給の為だけにあるのか?

こんにちは。
身体の事でお悩みのサーファーを応援
サーファーズ身体管理学
パーソナルトレーナーの近藤政隆です。

さて、先日の日経MJにこのような記事がありました。

長引くコロナ禍での自粛生活で失われていた食の楽しみの機会が減った代わりに、たまったストレスはカロリーと一緒に燃やしてしまえ!!

と、あえて高糖質や高カロリー食を思い切り食べて発散しようとする罪悪感グルメ(ギルティ)についてです。

詳しくは記事を読んでもらえばいいんですが、これには大笑いした半面、ある意味人生においては大切な事だなぁって感じました。

あ、もちろん個人の考え方がありますのであくまでも今回は私の主観です。

この考え方はいつも発信している身体管理学の栄養の部分として考えればNGですし、昨今のSDGsや子供の食育、などとは真逆です。

でも、たまにこういった砕けた考え方で食事をするのって心や精神的なストレス発散などにはとっても必要だと思います。(考え方の個人差はあります)

そもそも食事って栄養補給だけにあるものなのか?

私は違うと思います。

食事って正論の栄養学だけではなく、今までの人間の営み中でもっとも重要な意味を持ち、大切な位置づけにあるものではないのかな?と、、

例えばアマゾンなどの原住民などはお客さんが来ればもてなしの気持ちからいつも自分達がほとんど食べられない一番のごちそうを出したりしますよね?(衛生面や栄養学的にNGだとしても、、)

私達自身も何処か旅にいけばその土地の料理が食べたいものです。

また、違った視点からでは家族でキチンと食事をしているほうが子供の自尊心の向上などプラスの効果が大きいという研究もあります。

そのくらい食って文化や人づきあいなど心のつながりにも必要なものです。

○○はダメとか○○は有害物質が入っているなど、、細かい事が分かってきた昨今はこういったものを避けるのが正論かもしれませんが、過度に目くじらを立てても人生の幅もなくなり、一番大切なものを見失ってしまうかもしれないなぁ、、って思ってしまいました。

もちろんアレルギーとか体に合わないものを無理に食べる必要はないです。

でも、心の栄養として体に問題なく元気だったらたまにドカ食いくらいもしていいんじゃないんですかね?

この記事の最後のほうにこれを書いた記者さんが行った罪悪感グルメを提供している韓国料理屋さんのグラスには「過ぎた過去なんかに縛られるな一度きりの人生だ」と書いてあったそうです。

なんか響きますね。。(*'▽')

その言葉を思い出しペヤングの大盛りを手に取ってみたがやっぱり止めた近藤でした。

美味しいものって人生を豊かにします。

幅のある考え方でいきましょ!

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