SDGsは色々使える①誰でも関係者
18人中1人というのが、SDGsって聞いたことありますか?への答えでした。大学の新入生かつzoomミーティングを介した質問だったので、反応が薄かった面はあるでしょうが、妥当なところだと思われます。
その翌日、別の大学でSDGsの啓発活動をしているゼミ生(4回生、関東でいう4年生)に聞いたところ、就職活動時に企業担当者が話題にするなど、3回生あたりからは名前だけでも浸透してくるとのことです。
何か解らんけど良えことらしい。からでも始められるのは、SDGsの長所です。それ以上に、立場や境遇の違いを越えるメリットもあるのではと、私なりに書いてみます。
バリアフリーの話題から
今月に入って、バリアフリー化のためのJR運賃値上げ議論が目立っています。私は1割程度までなら大賛成です。2割以上なら、企業努力とか公的支援はあるのか?な気分です。
一方、この流れをつくったのは、今月に入ってからのJR社員による車いす対応に発するとの説があります。車いすの主の言動には、一部からの反感も出てきているようです。いや、潜在的にみればもっと多いかもしれません。
車いすの主は伊是名夏子さんで、「JRで車いすは乗車拒否されました」と題したブログで当時の状況を書かれています。目的駅ではなく、ひと駅手前の熱海駅で降りるよう進められたことから、話は始まります。法を根拠に交渉して、1時間ほどして目的駅での下車がかなったとの粗筋です。
話題喚起のために、様々な反響を覚悟で行動を起こされたのなら、アリです。私は、その意図だったと勝手に解釈しています。
特権の主張と勘違いされてはもったいない
もし伊是名さんが、万人共通の基本的人権として主張されたのなら、やり方が危険です。当事者の誰かが声をあげねば~との姿勢が強いほど、クレーマーとしての印象が独り歩きします。
主張者当人以外をも含んだ受益を根底に置かないと、個人や特定条件のための権利、特権の主張と勘違いされる恐れがあります。違う境遇の人々による想像力を期待するだけでは、異端視や対立、感情の分断が生じやすくなります。事態の緩和や解決は遠ざかる一方です。厳しい表現にはなりますが、主張の一切を理解できないような方々は、法的に”健常者”であっても、ある意味では”障害者”かもしれず、それこそ「合理的配慮」が必要な対象です。
想像力不足な方々への合理的配慮
合理的配慮の例としては、”健常者”がいつでも”障害者”になる可能性を持っていることと、整備された施設は”健常者”が使う可能性もあることを、時おり触れておくのが、第一歩と考えます。
さらに踏み込めば、バリアフリーの施設やサービスの整備が進むことで、全ての人にとって当事者支援の負担が軽くなることや、自分自身が当事者になった時の安心感についても告知したほうがいいです。製薬会社やがん保険のCMなどのように、後天的に当事者となった方の体験談も重要です。
そのうえで、完全な解決策がすぐには出なくとも、何歩か譲って代替策や緩和策を探るといった、条件闘争を進めれば良いと思います。
ここまで譲ったのに~の段階を重ねれば重ねるほど、想像力不足な方々への合理的配慮として万全です。反応しない企業や団体に対して、デモやら手紙やFAX電話攻勢などアナログな強硬策に出ても、下手な反感を買う事はないでしょう。反感が出てきたなら、合理的配慮のストーリーをみせればいいです。
かつての公害訴訟でも、これらの段階が積み重ねられました。先人に学ぶことは多いです。
伊是名さんご自身も、次のブログ記事「JRの合理的配慮への改善を求める補足」で、他のやり方について考えていく旨を述べられています。
私が駅員に無理強いする印象を与えてしまいましたが、駅員に「無理です」「管轄外です」「今回は例外です」と言われ続けたので、私としては粘り強く交渉を続けるための姿勢でした。それが批判の対象になったことは残念ですし、他のやり方があるなら一緒に考えてほしいです。
人は、責任を問われたくないもの
クレーマー視されやすい例として、グレタ・トゥーンベリさんのことも挙げておきます。すでに著名なのでそれぞれの言動については触れませんが、上の世代を挑発する文言がよくみられます。『地球環境を使うだけ使って汚すだけ汚して、次の世代に責任押し付ける大人たち』との趣旨は全く同意です。積極的に汚してはいなくとも、私も大人たちの一人です。
しかしながら、世の中の多くの人は、責任をほじくり返されることを喜びません。冷たく言えば、「ガソリン使いまくって車を飛ばせばいい」「売れなかった食品は捨てればいい」と慣れてきた方々に、直接響く言葉はなかなかありません。グレタさんのように、上の世代すべての人に責任があると明言しても、かなりの割合で、上司や出資者、あるい国など、他のせいにして逃げる方がいます。
中には、家族を養うためなど、勤務先や所属先の意向にしぶしぶ従っている方は多いかと思います。あるいは、先ほどすぐには完全な解決策は出ないといったように、他の社会的要件がマイナスになるのを恐れて、そのような対応をしている場合だってあるでしょう。
だったら、上級者の責任逃れも、個人による責任の押し付けも難しくしてしいます。前例主義というか、特に疑いもなく既存の習慣を続ける人々には、『外はこれだけ変化している、状況に合わせないと生きていけないよ』と適応必至を勧めていくのが近道です。
本人が気づいてなくとも、すでに何らかの工夫をされている事例もあるでしょう。『○○の改善に貢献してますね』などと、関心したり褒めたりしていくと、ハッピーな循環が生まれると思います。
そこでSDGsが生きてくる
SDGs(持続可能な開発目標)は、個々の責任感というところも課題にして作られたかと思います。前文では、以下のような記述があります。
英語の原文) All countries and all stakeholders, acting in collaborative partnership, will implement this plan. We are resolved to free the human race from the tyranny of poverty and want and to heal and secure our planet.
外務省仮訳)すべての国及びすべてのステークホルダーは、協同的なパートナーシップの下、この計画を実行する。我々は、人類を貧困の恐怖及び欠乏の専制から解き放ち、地球を癒やし安全にすることを決意している。
all stakeholders すべてのステークホルダー、つまり、すべての関係者という表現が重要です。
これまで、国連など公的機関が出す目標や指針は、政府や国など公務の範囲に呼びかけるのが一般的でした。SDGsではall、すべてと表現していて、民間の大富豪であろうが、地域の顔役であろうが、あるいは一人の労働者であろうが、全ての地球人が様々な課題に絡んでいることを示唆しています。
あなたも、何らかの関係者であり責任者でもある。計画実行者になり得る。数ある目標のどれかには関わっているだろうから、何事も、あなた一人だけで済む問題とは言い切れないよと。
SDGsのこの辺りを頭にいれておけば、私もあなたも主体者の一人だよ、それぞれに課題はあるけど、助け合ったなり譲り合うなりしましょう~と話し合いが始まりやすくなると、私は考えます。
SDGsの全文や概要については、国連の公式サイトよりも、国連広報センターのほうが分かりやすいかと思います。お時間があれば覗いてみてください。
まだ、書きたいことはありますが、次回以降にします。
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ケイゾクエナジー近藤
SDGs的なことを書いていると思いきや、情報社会関連、大学でも教えているボランティア活動などを書き連ねます。斜め視点な政治経済文化評論も書…
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