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【全文公開】道元・親鸞が見たもの(上)面授と仏性(2010年)

『大法輪』2010年10月号(通巻77巻10号)に掲載

世界宗教としての仏教

 釈尊成道の地インド・ブッダガヤは、冬の巡礼シーズンになると、世界中からの巡礼者で賑わいます。大菩提寺には、塔内の仏像を拝む人、経典を唱える人、瞑想をする人、五体投地を繰り返す人、灯明を捧げる人、回廊を右繞(うにょう)する人、思い思いの修行をする人が集まり、チベット仏教のダライ・ラマ法王が教えを説くなどとなると、東インドの寒村が数万人の人で溢れかえり、境内は通勤時の東京駅のような押すな押すなの混雑ぶりになります。
 ブッダガヤには、その大菩提寺を取り囲むようにして、チベット寺、タイ寺、中国寺、日本寺など、世界各地の仏教寺院が建てられています。建築や仏像の様式はそれぞれの伝統で異なっていますが、巡礼者は、自分はチベット人だからチベット寺にといった区別はなく、どれも仏陀をおまつりするお寺として参拝して回ります。仏教が地域を超えた世界宗教であることを実感する瞬間です。
 日本でも仏教寺院は長い間、外国の最先端の文化の発信地でありつづけました。近年、過疎や核家族化など、生活形態の変化によって、檀家制度がゆらぎつつあり、仏教の将来を憂う声も聞かれます。しかし日本においても、古代から一貫して檀家制度が仏教を支えてきたわけではありませんし、欧米では仏教に関心を持つ人が増え、在家信者がセンターに集まってそこを訪れた高僧から指導を受け、普段は各家庭の自室で瞑想や読経をおこなう、日本の講に似た形態で仏教が広まりつつあります(ケネス・タナカ『アメリカ仏教』などを参照)。
 今回、『大法輪』に執筆する機会をいただいたのを機に、このような仏教の世界性を踏まえて道元禅師や親鸞聖人の教えを読み直し、その意義を再認識するご縁とさせていただきたいと思います。

「面授」とは何か

 道元禅師は、師から直接仏教の心髄を受け継ぐ面授(めんじゅ)の重要性を強調されています。ご自身、中国に渡って天童如浄(てんどうにょじょう)師に巡り合い、お目にかかって「仏仏祖祖、面授の法門現成せり」と告げられたといいます(『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』「面授」巻)。それは拈華微笑(ねんげみしょう)によって釈尊から摩訶迦葉(まかかしょう)に伝えられた仏教の核心、正法眼蔵涅槃妙心(ねはんみょうしん)を受け継ぐ瞬間で、師にまみえることは、釈尊などの過去七仏(しちぶつ)にまみえることであり、釈尊から直接の師である如浄師までのあらゆる祖師から同時に面授されることだと言います。
 近代的な知性で考えるならば、そんなことなどあるのだろうか? ということになるでしょう。そもそも、何かを伝える際に、伝える側が伝えようとしたことと、受け取る側が受け取ったと思ったことが一致する保証はありませんし、まして釈尊や代々のインド・中国の師からの同時の面授なんて、本人の思い込み以外の何物でもないだろう、というのが普通の考えでしょう。道元禅師が何をご覧になり、どう変わられたのか、それを示しているのが『正法眼蔵』全巻であるわけですが、なかでも「仏性(ぶっしょう)」巻で取り上げられている次のエピソードとそれをめぐる教えは、それを窺い知る貴重な手がかりです。

ナーガールジュナの伝法

 道元禅師は『正法眼蔵』「仏性」巻で、ナーガールジュナ(龍樹。『中論』の著者)が南インドでアールヤデーヴァ(聖提婆。『百論』の著者)に法を伝えた時の様子を引用し(出典は『景徳伝燈録』)、論じられています。

龍樹尊者

 「第十四祖龍樹尊者(そんじゃ)、梵(ぼん)に那伽閼刺樹那と云ふ。・・・・・・」。禅で第十四祖に当たる龍樹は、サンスクリットではナーガールジュナといい、西インドの出身で、南インドを訪れた。その地の人々は福業を信じており、ナーガールジュナが仏法を説くと、人々は「福業が世間第一であり、仏性というが、誰がそんなものを見るだろうか」と言い合い、ナーガールジュナは「仏性を見たいなら、完全に我慢(=実体視)を取り除かなければならない」と言った。人々は「仏性というのは大きいものなのか、小さいものなのか」と問い、ナーガールジュナは「仏性は大きくも小さくもなく、広くも狭くもなく、福もなく報いもなく、不死不生である」と説いた。人々はその理のすぐれたことを聞いて、初めの心を翻(ひるがえ)した。
 ナーガールジュナはまた坐上に自在身(じざいしん)を現わし、それは満月輪(まんがつりん)のようだった。集まった人々は教えのみを耳にし、師の姿を見ることがなかった。その人々の中に長者の子のカーナ(=片目の)デーヴァ(アールヤデーヴァのこと。神に片目を施したといわれる)という者がいて、人々に「この相がわかるか」と尋ねた。人々は「眼に見ることがなく、耳に聞くことがなく、心で認識することがなく、身に住するところがない」と言った。アールヤデーヴァは「これは尊者が仏性の相を現わされて、私たちに示されたのだ。何故それがわかるかというと、無相三昧(むそうざんまい)は形満月の如しと言うからだ。仏性の意味はからりと空虚で明らかである(廓然虚明(かくねんこみょう))」と言った。そう言い終わると満月輪の相は隠れ、再びナーガールジュナは元の坐に居て、次のように偈を説いた。「身に円月相(えんげつそう)を現じ、以って諸仏の体(たい)を表す。説法その形なし、用弁は声色(しょうしき)に非ず」。

如浄との出会いで変わった道元

 道元禅師は、このエピソードについて、中国ではこれが何を意味するかがまったく理解されておらず、月輪の姿に変化(へんげ)されたなどと考えて、法座の上に一輪を描いてナーガールジュナの身現円月相(しんげんえんげつそう)としていたとあきれておられます。
 禅師は嘉定十六年(一二二三年)に阿育王山(あいくおうざん)広利禅寺(宋代五山のひとつ)を訪れて三十三祖の壁画をご覧になり、その時は何も思われず、宝慶元年(一二二五年)の夏安居(げあんご)の期間に再び訪れた時に、そこの僧にそのおかしさを語ったが何もわかっていなかったと説かれています。この二つの時期の意味することについてはすでに指摘があり(宮川敬之「月を描く 3」『本』二〇〇八年六月)、その間に道元禅師は如浄師にめぐりあわれ、宝慶元年の夏安居には身心脱落(しんじんだつらく)を体験されています。如浄師との出会いがインドでナーガールジュナが何を伝えられ、アールヤデーヴァが何を受け取られたかを理解させたのです。もし「面授」巻で説かれていることが単なる思い込みであるならば、このエピソードは道元禅師にとってちんぷんかんぷんなもののままだったはずです。

仏の世界を見る

 密教で面授に相当する役割を果たすものとして、灌頂(かんじょう)があります。曼荼羅(マンダラ)は仏の世界を象徴的に表わしたものですが、仏の世界は私たちの世界と別のところに存在するわけではありません。道元禅師も「現成公案(げんじょうこうあん)」巻で言及されている一見四水(いっすいしけん)の喩え(水を人は飲み物、魚は家、餓鬼は膿血(のうけつ)、天人は瓔珞(ようらく)と見る)が示すように、人が人の世界として見ているものを、仏は仏の世界として見ているのです。
 灌頂で用いられる曼荼羅には描き曼荼羅や立体曼荼羅、チベットの砂曼荼羅のように様々なものがありますが、インド本来のあり方では、力のある師であれば瞑想によって仏の世界を出現させ(禅定(ぜんじょう)曼荼羅)、そこに弟子を引き入れて灌頂を授けるものでした。仏の世界を一時ではあれ垣間(かいま)見て、自分の身口意(しんくい)を仏の身口意として行じることで、すみやかに悟りを証するというのが、密教の三密加持(さんみつかじ)です。
 逆にいえば、仏教のわかりにくさはここにあります。仏にはっきりと見えているものが、私たちには決してそのようには見えないのです。『般若心経』は般若、すなわち仏陀の智慧によって「遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)」(逆さまになった夢のような一切の思いから離れる)と説きますが、「顛倒」している私たちの側から見るならば、「顛倒」しているのは仏陀の方です。多数決をとれば、仏陀に勝ち目はありません。
 盗みを働く人は欲しいものを手に入れて幸せを得ようとしているのであり、人を殺す人は嫌な奴を排除することで苦しみをなくそうとしています。苦しみをなくし幸せを得ようとしてかえってさらに苦しみに陥っているのが輪廻(りんね)の衆生(しゅじょう)の有様で、それは感覚が捉えたものを「欲しいもの」「嫌な奴」として実体視すること(我執)、自分の感覚が捉えた通りに世界があると信じて疑わないことに原因があります。ですから、ナーガールジュナが説かれたように、仏性を見たいと思うのであれば、「我慢」を取り除かなければなりません。
 しかし感覚にありありと映っているものが実体でないと理解することは、容易ではありません。「現成公案」巻で説かれているように、船に乗っている人には周りの風景の方が動いているように見えます。そのため、一般的な仏教の修行法では、戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の実践がおこなわれます。戒律によって対象の実体視から生じる貪(むさぼ)りや瞋(いか)りといった煩悩を抑え、禅定によって集中して感覚が対象を捉えることを一時的に停止させ、その状態で実体がないことを理解する(智慧)のです。

禅定から智慧へ

 ナーガールジュナが瞑想にはいられた時、南インドの人々には声だけが聞こえ、姿は見えなかったといいます。『チベットの死者の書』は、四十九日間、中有(ちゅうう)にある死者の意識に解脱(げだつ)すべきことを説き聞かせる教えですが、その付属文書に死のプロセスを説くものがあり、五感が次第に解体していく様とその内的な体験がリアルに描かれています。そこでは、五感の中で最後まで機能するのが聴覚だとされています。同じ五感の解体のプロセスは、深い眠りや瞑想においても体験されるといいます。
 卓越した修行者が深い瞑想にはいった時、同調作用によって弟子も一時的に三昧(さんまい)を体験することがあり、密教の灌頂も、本来はこの同調作用を利用した伝授の方法だったのでしょう。「唯(ただ)法音(ほうおん)のみを聞いて、師相(しそう)を覩(み)ず」というのは、同調作用がナーガールジュナと人々の間に起こったことを意味しています。
 しかしこれは戒・定・慧に当てはめていえば、禅定の段階であって、そこで実体視を離れた智慧が得られるかどうかは、その人次第です。他の人々にとっては五感の一時的な機能停止の体験でしたが、アールヤデーヴァはそこではっきりわかられた。それは仏性についての概念的知識ではないし、感覚を通じて体験される何かでもない。しかしはっきりとわかっている。「仏性の義は廓然虚明なり」。
 道元禅師は『弁道話(べんどうわ)』で、坐禅が単なる戒・定・慧や六波羅蜜の禅定ではないことを強調されています。正しく坐ると、万物は仏となって菩提樹の下に坐して法を説き、その仏達が助け合うことによって、坐禅する人は身心脱落し、日常の知覚を断ち切って・・・・・・。美しい表現ですが、それが知覚で捉えられる体験ではないことも、禅師ははっきり説かれています。概念でも感覚でもないからこそ、それを捉えることはきわめて困難なのです。
 道元禅師は「仏性」巻で「いま天上人間、大千(だいせん)世界に流布せる仏法を見聞せる前後の皮袋(ひたい)、たれか道取(どうしゅ)せる、”身現相は仏性なり”と。大千界にはたゞ提婆尊者のみ道取せるなり。余者(よしゃ)はたゞ、仏性は眼見耳聞心識等にあらずとのみ道取するなり。身現は仏性なりとしらざらるゆゑに道取せざるなり」と説かれています。アールヤデーヴァ以外の南インドの人々も感覚の機能しなくなった状態を体験しましたが、それは深い眠りにおいて体験されるものと変わりません。そこで仏性とは何かをはっきり捉えることこそが重要なのです。
 しかしそれは単なる神秘体験とも違います。それを体験することによって、その時だけでなく、師の行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、あらゆる振舞いが仏性の現われであることが理解できるようになりますし、経典のあらゆる教えが、仏性のあらわれであり、それを指し示した言葉であることが理解できるようになります。

仏教の心髄を掴む

 道元禅師のこのエピソードをめぐる教えは、仏性を論じるのは仏教を知識として学ぶ者で、修行する者は仏性など論じないものだという説の否定で締めくくられています。知識だけで仏性を論じることが無意味なのはいうまでもありませんが、仏性の何たるかをわからない修行も、一般の仏教でいえば戒・定・慧の禅定の段階に留まるもので、核心をつかんだものとは言えません。
 道元禅師は如浄師から面授は他にはないものだと言われたそうですが(「面授」巻)、一般的なものではありませんが、チベットにもよく似た伝授法があります(ソギャル・リンポチェ『チベットの生と死の書』を参照)。探せば他の国にもあるかもしれません。
 教えの言葉や儀式のやり方は、仏教寺院や仏像の様式と同じで、伝統によって異なります。その伝統を大切にし、受け継ぐことはもちろん大切で、それは先人の血の滲(にじ)む努力によってなされてきたことです。しかし、さらに大切なのは、それを通じて形を超えた仏教の心髄を掴むことで、それが仏教の時代・地域を超えた普遍性を可能にするのです。

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