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「『歎異抄』を浄土信仰の流れに位置づける ―蓮如本錯簡説を踏まえた読み直し―」明治学院大学教養教育センター紀要『カルチュール』17巻1号(2023年3月)
親鸞聖人の教えについて唯円がしるした『歎異抄』は、私にとって、表面的な意味はわかるものの、なぜそんなことを言うのか意図がわからない、腑に落ちないところの多々あるテキストでした。 なぜ、はるばる関東から訪ねてきた門人たちに、「自分は念仏以外の方法は知らないし、念仏も法然聖人から教えられてそうしているだけで、本当に往生する因なのか、地獄に堕ちるおこないなのか、まったく知らない。地獄に行くほかない身だから、たとえ法然聖人に騙されて地獄に堕ちたとしても、後悔はない」などと言った