見出し画像

エッセイ#3『日曜の朝』

 日曜の朝っぱらから食卓には大層な馳走が並べてある。鯛の塩焼きに蛤吸、いくら、赤飯などだ。
 常日頃より朝食抜きの生活を送る絶賛プチ断食中の私にとってトーストの一枚ですら一瞥しただけで卒倒しかけるのに、これだけの馳走を展開されるといささか見るに堪えない。

 日曜の朝っぱらからなにゆえこれほどまでの馳走がざっくばらんに並べてあるのかといえば、何を隠そう、本日は甥っ子のお食い初めなのだ。
 お食い初めというのは新生児の生誕100日を記念し、同時に長寿を願って行われる日本の古より伝わる良き伝統だ。この世に生を授かってからおおよそ100〜120日に行われることから、百日祝いとも言われる。長寿にあやかるという意味を込めて、祖父母の家で行われるのが一般的であるらしい。そして、息子なら祖父が、娘なら祖母がその担い手となる。
 お食い初めは新生児が初めて箸を使って食べ物を食すという字面だけ見れば難儀な儀式に思える。がしかし、当然のごとく生まれて三ヶ月程度の赤子がその短く可愛らしい指を指揮者のように振るい箸を自在に駆使できるはずもない。そこで儀式の担い手となる祖父母が箸を使って赤子の口に食べ物を運ぶのである。
 さらに、離乳食すら口にしたことがない赤子に固形物を食べさせるという、一見拷問のようにも見えるその儀式は、実際は新生児のぷっくり膨れた深紅の唇に食べ物を接触させるにとどまる。
 伝統という堅い言葉からははるかに乖離したほんわかで柔らかい雰囲気がお食い初めには漂うのだ。

 日曜の朝からそんなホワホワした雰囲気を堪能できるとは。これは夢か?もしくは天国か?リアリストである私がここまで夢見心地な心境になるほど、我が家は優しく温かな空気に包まれていた。

 初膳という、料理が乗せられた朱色のお盆が食卓の真ん中に陣取り、その中央には白い石が3つポツンと皿の上に置いてある。「歯固め石」と呼ばれるものだ。それを囲むように初膳に豪華な料理が連立している。
「これでいくらしたの?」
まじまじと料理を眺めたあと、私は姉に尋ねた。
「6000円くらいかな。これでも一番安いのを選んだのよ」姉は遠慮がちに答える。
「6000円!?高いなぁ」と私と父親が口を揃えたあと互いに見つめ合った。
「俺のときはこんな豪華なお食い初めやった?」
「私の手料理よ。豪華でなくて悪うござんした」母が目を鋭くして私を睨みつける。
私は慌てて否定する。「言葉の綾だよ。ただ、お食い初め用の料理を買ったのかが気になって」
「形だけだったなぁ」と父。「しっかし、こんなのに6000円かぁ」
私は中央にポツンと置いてある歯固め石を見ながら、
「これなんて、ただの石ころだぜ?」
と皮肉を言ってみる。
「いや〜、それなりの物じゃないのかなぁ」と父親が私を諭すように言うが、私は「高価なものだろうが何だろうが、石ころには変わりない」ときっぱりと突っぱねた。

 甥っ子は父(甥っ子から見れば祖父)の膝の上で静観を決め込み、これから何が起こるのだろうかと挙動不審に目をみぎひだりに忙しなく動かしている。
 姉(甥の母)が甥の隣に座り、順番に従って料理を甥の口に運ぶ。
 お食い初めはくさっても儀式なのでルーチンというものが存在する。食べさせる物の順番が厳格に決められているのだ。
 食卓を挟んだ向かいには、母が貴重な時間をカメラに残そうと動画を回している。
 唇に料理を接触させるたびに、甥はペロッと唇を舐める。初めての味だったのであろう、顔を顰めている。その姿はなんとも幼く愛おしい。

 この手順を二回繰り返しお食い初めはひと段落。
 通常の食事ならここでごちそうさまをしておしまいなのだが、お食い初めはそれで終わらない。
 唇に触れさせるだけなので料理が減ることはなく、あいも変わらず馳走がテーブルに展開されている。残る作業はこの残飯処理である。
「すんごい残ってるけど、これどうするわけ?」それとなく誰が食すのかを私は尋ねた。
「この蛤のお吸い物、美味しそうだよ。あんた食べたら?」と母にむりやり残飯処理班に任命されそうになる。
「いや〜、朝は食べないって決めてるからなぁ。美味しそうでも、お断りします」先も述べたように、私は朝食抜きの日常を送っている。その生活にもすっかり慣れ朝から大量の食べ物を見ると胃は空っぽなのにもかかわらず吐き気を催す。したがって、この馳走を平らげるほどの気概は私にはない。
「何よ、もう。」と少し苛立つ母。「誰も食べないなら、お父さん、あなたが食べたら?」
「誰も食べないの?なら貰うよ」と父親が腰を上げる。
こうして残飯処理班隊長に父親が任命されたのだった。
「あ〜、何も味がしない」と父が愚痴を漏らす。コロナの後遺症により味覚と嗅覚の機能が著しく低下しているらしい。しかしその愚痴は、残飯処理班に自分を無理やり任命した母に対するせめてもの抵抗であるように聞こえた。

 難を逃れた私は、足を忍ばせて居間から脱出して自分の部屋へそそくさと退陣した。
 私の部屋には多くの本が堆く積み上げられている。その結果、塔の様相を呈した本のタワーなるものがいくつも乱立し、床には数多の書類が散乱している。部屋の奥にあるベッドは脱いだ服や読みかけの本などで雑然としていて、まるでその上で踊り狂ったかのような散らかりようである。
 第三者が見れば汚物この上ない。しかし、こういう環境でこそ勉学は捗るのだ。
 私は自分の部屋を「聖域」と称する。家族は「要塞」と呼ぶ。住めば都、という事実をまるでわかっていない。

 今日も今日とて、私はこの聖域で勉学に励む所存である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?