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菅原小春の身体性

KAAT神奈川で、ポスト舞踏派「魔笛」を観た。

観劇は私の主な趣味の1つで、特に頻繁に観に行っているのは舞踏やコンテンポラリーダンスを含む複合舞台芸術だ。
仕事で舞台衣装をやっていた頃ほど数は観ておらず、気づけば感想を書いたりも久しくしていないが、この時は菅原小春の舞踏をライブで観たのが初めてで、彼女が私にとって初めて出会えたミューズ(ファッションアイコンとして)のように思えたので、珍しく、感動を忘れる前に書き残しておこうと思った。

菅原小春というダンサーを前から知ってはいたし、Youtubeの映像などでパフォーマンスを観たこともあり、ファッション雑誌のモデルとして好きな写真もあり、何ならその写真の身体をトレースしてデザイン画を描いたことすら何度もあるが、これほどまでに無性的な身体表現かつ、ライブの吸引力の凄まじさは、実際に観るまで知らなかった。

彼女は若く、今同じ時代を生きていて、その才能とともに知名度と商業的な価値を併せ持った存在であり、更に自分と同じ日本人の女性である。
ただの個人的な思いでしかないが、これらの全てが私にとって、掛け替えのない希望だと思った。

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普段私が観に行く舞台は主に小劇場で、KAATのような大きな劇場へ行くことは少ない。「魔笛」はたまたま10月に出演者の一人、島地保武が出演舞台の挨拶で告知した日が発売日だったためその場で衝動的に予約し、夜にもう一度サイトを見た時には売り切れていた。
これだけのネームバリューのあるメンバーに対してチケット代¥6000、公演はこの日の1回だけという謎の詳細は調べてもいないが、実際に公演を観たところなんとなく理由は理解できたような気がする。

モーツァルトのオペラ「魔笛」をベースに物語は進行するが、笠井叡の演出らしく、中核を成す舞踏自体は個々の独創性に寄って自由度の高い、インプロ的な表現だった。

舞台美術もなく平場、全員揃いのブラックスーツを着たダンサーがピンクの唐傘を携えて客席から登場し、出演者に女性は菅原小春1人。
衣装は黒のセットアップから白の褌へ、最終場面でカラフルな装飾のコスチュームへと変化した。舞台上で彼女に女性性を意識したのは、褌一枚の男性に対して一人、白いチューブトップを着ていた瞬間だけだ。

ダンサーは一切その舞台における性的な役割を与えられてはおらず、途中にあった「背骨を地に刺して身体が雄と雌でなく、雄しべと雌しべでもなく、頭を種子に、背骨を地に刺して、(覚え書きなので正確ではない)…」といったダイアローグとともに、ただ個々人の身体表現が目に焼き付いた。

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幼い頃から、ライブの音楽やミュージカル、ダンスの舞台が好きだった。物心ついて1番最初に憧れた職業はダンサーだ。
しかし、自分がそれを目指そうと思ったことはない。
挑戦する前に諦めることは衝動的な私にとって珍しかったが、おそらくそれは、運動神経や瞬発力がその条件を満たさないこと以上に、身体が女性であったのが大きな理由だったような気がする。

クリエイティブ業の人はおそらく皆そうだと思うが、私が何かを「好き」という時その感覚には2種類あって、自身のクリエイティビティを喚起する(仕事と紐付いた)インプットとして享受する表現と、観客としてただ楽しみたいと思う表現ははっきりと分かれている。

思い返してみると私が前者の意味で好きだと思った、こんな風に自分も表現したいと憧れたのは、ダンサーに限らず俳優もミュージシャンも、ファッションデザイナーも、ほとんどが男性だった。
説明はしづらいが、これは女である私がその人の男性性が好き、というものとは別の感覚で、そのクリエイターはゲイを公言している人であることも多い(というか海外では大半)。

自分にとって前者、かつ日本の女性としてすぐに思いつくのは、モデルの冨永愛とダンサー、コレオグラファーの北村明子。
中性的な顔立ちと脂肪の薄い身体から繰り出される、パワフルながら無性的な表現に惹かれてきたのだと今更ながらに思う。

しかし後者の意味では、バーレスクやコーラスラインなどセクシーな衣装で女性性を表現するパフォーマンスや女性ボーカルの音楽、延いてはレディースのウェアデザインにも「好き」と言える表現は多々あるため、この事実に気づくまでには意外と時間がかかった。

女性特有のバストやヒップの脂肪、延いては男性らしいボディビルダーのような厚い筋肉も、自身の共感覚にとっては邪魔だと感じる。ただでさえ、身体性と社会性ともに人にとって如何ともし難いのがその性別だ。だからこそそれを乗り越えて尚人間的な人や表現に、どうしようもなく惹かれる。

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私が衣服としてデザインしたいのものは、質量と偶然性を分かち難く伴い、写真や映像、音楽のように複製することが不可能なものだ。
衣服は着用することでその一時、その人の身体そのものになる。

そしてファッションブランドとは、必ずしもではないが伝統的に、そのアイコンとしてのミューズ(MUSE)という存在を定義する。インスピレーションの源として、またはブランドのコンセプトやイメージを明確にするために重要な、実在の(或いは物語上の)人物だ。

自身でKONTRACTを始めた後もそれ以前も、デザイナーとしてのあなたのミューズは誰か?という質問をされた時、私は長らくそれはジェーン・バーキンであると答えてきた。毎回何か足りない言葉を飲み込む感覚もありながら、他の女性のイメージを思いつかなかったからだ。

ジェーンは遥か昔、私が生まれるずっと前から世界的に有名な人であり、既に確立されたファッションアイコンとしてのイメージが強すぎた。そして惜しくも昨年、還らぬ人となってしまった。

今にして思えば奇跡のような幸運だが、私は昔、間近でジェーンにお会いする機会に恵まれたことがある(彼女は私がほんの短い間デザイナーとして働いたことのあるブランドの顧客だった。)
私が今もって強いインスピレーションを仰いでいるのはその時既に60代だった彼女だ。削ぎ落とされた肉体と飾らない笑顔、年齢や性別を超えたオーガニックな美しさ、人間らしさ。
しかし、ジェーン・バーキンといえばまず、60年代のフレンチロリータだった彼女のビジュアルを思い出す人も多いだろう。ジェンダーレスなファッションのデザインアイコンとして分かりやすいイメージとは言い難い。

ファッションとはその言葉通りに虚いやすく捉えどころのないもので、そのイメージを具現化するミューズという存在には、アイコニックであること以上に同時代性が重要だと思う。

1990年代生まれの女性である菅原小春に、私が「ようやく出会えた」と感じた背景には、そういう意味がある。

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誰に理解できなくても言語化して考えておくことは私にとって必要で、表現も衣装も服を作ることも自分の中では全部繋がっている。人に伝えたいことがあるなら、人と同じものを見て考えることも大事。時間を割いて足を使ってその場に行き、言語のできない時間と記憶を他者と共有するのも大事。

100分の間ダンサーの身体とパフォーマンスに観入りながらずっと、こんなようなことを考えていた。

(2023.1.8.)


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