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③警察官時代に脳卒中

こんにちは!!!
昆布です!!!

今回は警察時代の話と脳卒中になった時の話を記載しようと思います。

②ヤングケアラーから警察官へ
で警察官になるまでの話を記載しました。

前回までのおさらいを書きます。

母の総合失調症により家庭内の状況が悪く、自殺を考えていた私が筋トレを初めて、自分自身に矢印が向いて、目標である警察官になれたと言う内容でした。

警察時代の話は書けばすごく内容が膨れてしまうので箇条書きで、
・警察学校に入り、肩の怪我もあったので筋トレは辞める。
・警察学校で寮長という役職に。
・警察署に赴任
・刑事課に引かれ、ずっと捜査本部に。
 (捜査第一課、捜査第四課等)
という感じでした。

本当に仕事が楽しくて、当時私に関わってくれていた方本当に成長できました。
ありがとうございます。

事件の内容とかは記載できないのですが、筋トレをしていたメリットを箇条書きします。
・上司に怒られていても俺の方が筋肉あるしという謎の安心感
・警察に相反する組織の人間にもビビらない
・仕事も筋トレでいう負荷と思い、前向きにできる
・苦しい時にもう一踏ん張りできる
これはメリットとして挙げられます。

私は警察になる前間違った筋トレで左肩を損傷しています。
何をしても肩が痛む状態なので筋トレは避けていました。
おそらく筋トレができないことと仕事のストレスが溜まりすぎて、アルコール依存症なんじゃないかと思うくらいお酒にハマっていました。
ここから抜け出せたのも筋トレです。

筋トレを再開したのはコロナの初期の頃です。
コロナになり、犯罪の発生件数が格段に減った時期がありました。
その時に飲み会週5地獄から抜け出したので筋トレを恐る恐るやってみたら肩の痛みがなくなっていたので再開した次第になります。

再開して半年で使用重量が戻り、ベンチ150kgを扱えるようになりました。
完全にマッスルメモリーですね。

そこから完全にハマってしまい、毎日のようにやっていました。

24時に仕事が終わっても、1時にジムに行き、3時くらいまでトレして5時半に起きる生活を続けていました。

今思えばよくできたなって感じですねw

そしてジムに行って、私は一言も喋らないタイプなんですが、話しかけてもらえることが増えてきました。

その会話の中で
・大会出てますよね。
って会話をよく言われるようになりました。

もちろん出てないですし、興味もないので流している日々が続いたんですが、ジム友に言われ出よーかなと思って減量を開始しました。

減量自体は、自分の体で試すのが好きで何度もしていたので抵抗感はありませんでした。

そして中学生の時ご飯食べてなかったので特に何も思いませんでした。

減量が続く中、2022年3月末激しい頭痛が起こりました。

初めは私があまり体調を崩さないのでこれがコロナかと勘違いしていたのですが、今思えば、
・頭痛
・指先が動かない
・何を食べても飲んでも吐く
という状態だったので仕事を休んでいました。

そして病院でコロナの検査をして陰性。
血液検査も原因不明だったので自宅療養していました。

そして冷蔵庫のものを取りに行こうと思って、そこまで行くと、体全身が固まりました。

麻痺が始まり、そこから一歩も動けなくなりました。

倒れたら死ぬと思ったので根性で立っていましたが、尿はダダ漏れでした。

そのまま放置されていれば死んでいたと思うのですが、たまたま当時お付き合いしていた彼女が家に来てくれて、病院に運ばれました。

かなり意識が朦朧としていて、自分では覚えていません。

そして目が覚めると、真っ暗な場所でした。

ここはどこだ?

と思い、動こうとしても動かないし、目だけ動くのでおそらくここは病院なんだと認識しました。

そして朝になり、お医者さんと看護師さんが来てくれて、脳卒中で倒れ、数日寝たきりであることを教えてもらいました。

その時母の呪縛から解放され、やっと警察で一定の収入、地位を手に入れ、やっと幸せに生きていけるんだと思った矢先に脳卒中って、、、

その感情からその場で大泣きしてしまいました。
母の件があり、喜怒哀楽が薄くなっているので、泣くのはかなり久しぶりでした。

そこで無限のようにある動けない時間で
・次動けたら、筋肉で日本一になりたい
と思っていました。

すると麻痺が1週間くらいで解けたので病室でスクワットとかを再開しました。
そして1ケ月入院生活を続けました。

結果的に
・遺伝性の脳卒中
・麻痺が残らないのが奇跡
という結果で退院しました。

退院後が地獄でした。

いつ死ぬかわからない。
また減量で倒れるかもしれない。

急に目標に向けての不安感で目の前が真っ暗になっていました。

そんな中、あえて書きますが、刑事の上司ですが
・無視
・失敗を押し付ける
・係全体がそんな雰囲気である
このような状態でした。

そして
・お前病気でややこしいの理解してるのか。
と言われました。

普段の私なら全然気にしないのですが、毎日死ぬかもと思っている時にこれは答えましたね。

この頃うつ病の診断を受けていました。

警察に入れば、数十年後の自分の姿を上司を見れば想像できます。

そのことで悩んでいると命の恩人の彼女から別れを告げられ、
あなたらしく生きてね。
と言われました。

この言葉が引き金で、折角奇跡的に蘇り、そしていつ死ぬかわからないのに無駄な時間は過ごしたくないと思うようになりました。

大好きな筋トレで人を救いたい。
自分のような人を筋トレで救いたい。
と思い、パーソナルトレーナーになることを決めました。

そしてそこが決まってフッと心が軽くなりました。

死ぬことを恐れて何もしないなら死んでるのと同じ。
明日生きている保証はない。
毎日の筋トレを今日が最後と思い追い込もう。
というマインドになりました。

その後警察を退職して、プロジムというトレーナー養成校に通いながらアーバンフィットネスでアルバイトして現在勤務しているBEYOND吉祥寺店に縁があり働いているという形となります。

私は全身麻痺となり、体が動かない恐怖を味わいました。

人は息をしているから生きているんじゃないんだなと気づくことができました。

人は前に向かって進むから生きているんだなと痛感しました。

今となってみれば
・ヤングケアラー経験(母のこと)
・脳卒中
になってよかったなとも思っています。

普通にヘコたれる内容かと思われるかもしれませんが、この経験から得たことがとても多いと思っています。

・両親絶縁のため、自立が早い
・食事も食べてない時期があったので、こだわりがない
・筋トレに出会えた
・今日を本気で生きれるようになった
書き出せば色々ありますねw

不幸勝負をするつもりはないのですが、かなり底に落とされている人生だと思います。

おそらくこれから先にも直面すると思います。

ただ何事も捉え方次第です。

絶対に不幸なこともメリットにできます。

そこでヤングケアラーや大病をされた方は是非立ち上がりましょう!

必ずその経験は誰かの為となり、自分を救う結果となります。

ヤングケアラーについて調べると支援うんぬんが出てきてこれからそこは実際の声も含め学んで行くつもりです。

自分の経験ですが、愛情が感じられない。自己肯定感が低い、のがヤングケアラーの特徴ではないでしょうか。

寄り添って学校に行かせるだけが支援ではないと思っています。

その方が学校に行き、社会に出た時に自信がないままだと会社を辞めて、良くない流れに向かってしまいます。

そこを学生教育、子供の時に受ける影響は大事なので、人生のコーチとなるような人物と結びつけるのが支援だと思います。

例えば私だとヤングケアラー、脳卒中の経験を乗り越え、プロ選手となれました。
それまでのプロセスやマインドは必ず子供たちの心を動かせると信じています。
実際に私のお客様もメンタル面がかなり良くなってきています。
そこに筋トレが加われば多くの人を自信をつけさせ、社会に出てもらえると思っています。

そういった未来に向けて、どんどん活動していくので、💖を押していただき、フォローの方お願いします。

私の活動に協力や、興味のある方のご連絡もお待ちしております!!!!

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