人生で一番幸せだった時間【~4歳】
こんぶです。初めて投稿します。
最近NetflixでThe Bold Typeというドラマを見て、主人公のライター、ジェーンに憧れて書きたくなったので、書きます!
大学では新聞や雑誌の記者になる人もいるゼミでジャーナリズムを勉強していて、何度か作文を書く宿題があったんだけど、そこで自信をなくし、書いていなかったんですが、ひまなのと趣味と転職のための自己分析という目的で書いてみることにします。
では、いってみよう!
大阪生まれ。床に転がしたら3秒で寝る手のかからない子どもだったそうで、阪神淡路大震災の震度5でも起きずにすやすや寝ていたそう。
食器棚から食器がフリスビーのように飛んで床に落ちて割れて大変だったそうで、それ以来我が家では食器は扉のある食器棚にしまわれ、クローゼットなど高さがあるものは突っ張り棒で固定されています。
これは日本に住むすべての人におすすめ。皆さんやってください。
私が物心ついて記憶があるのは3-4歳から。残念ながら大阪に住んでいた時の記憶は、姉のバレエ教室のお迎えで雨が降っていてとても寒かったことと、引っ越しの日に桜がとても綺麗に咲いていたことくらい。東京に引っ越してきた日はジーンズのジャンバースカートを着ていて、手を洗った後にタオルがなくて姉に私の服で拭かれて喧嘩になったのが最初の記憶。
(姉とは非常に仲が悪いです。そのうち書きます。)
東京に来て2歳上の姉は保育園へ通い始めたのですが、年少の私は幼稚園に通わず、毎日お出かけする母の自転車の後ろに乗り、いろんな場所に行くのがとても好きでした。
(記憶にないですが、行きたくないと言ったそう。やりたくないと言ったことを無理にやらせないでいてくれたのがうちの教育方針でした。
おかげで少しわがままに育ったようです。笑)
高校生くらいの時まではこの時が人生の中で一番幸せだったなと思っていました。姉とは昔から折り合いが悪く、母を取り合っていたので、姉が幼稚園の時間、母を独り占めできたことが嬉しかったのかもしれないです。
その時にお気に入りだったのが、白い帽子。白い帽子にパールのビーズがたくさんついていて、とても可愛かった。。。♡
あとは暑い夏の日に立ち寄った31の記憶。31ってとっても贅沢でよい記憶なんですよねぇ。
高校生の時も学校の帰りに友達と行ったり、去年の自粛期間中も少し遠出をして買いに行ったり、大好きです。
韓国留学中にやったゲームで、baskin robbins 31~♪という1人ずつ3つまで数字を言って、31を言った人が負けになるものだったり、楽しい思い出たくさんあります。
韓国では31ってbaskin robbinsって言われているんです4歳までの記憶はこの辺で終了!次は幼稚園での出来事を書いていきます!
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