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子どもの本当の姿、見てみませんか?【モンテッソーリ教育】


今日は
モンテッソーリ教育 < 4つ目の特徴 > を
お話ししたいと思います。

まず前回までのおさらいを
してみましょう〜!


< 1つめの特徴 >

自立 → 自分のことが自分でできる
自律 → 自分をコントロールする

モンテッソーリ教育の最終目標は
この「自立」「自律」

・ 子どもはこの目標に向かって発達している。
・ 大人の役割は、この発達を助けていくこと。


< 2つめの特徴 >

モンテッソーリ教育は
子どもの主体性を大切にした教育

・ 子どもが自分のやりたいを叶えられる
・ 自分のやりたいものを自ら選んでいく
・ 自己選択の自由が保障されている

・ 時間にしばられない

これらを子どもに提供していくことが大切


< 3つ目の特徴 >

環境を通して行うこと。

・ 子ども
・ 大人
・ 環境

この3つはどれも欠かすことのできない
三角形になる。

子ども

1 自分でできる環境を用意する
2 やり方を見せる
3 やり方を見て、やってみる
4 思考錯誤して、トライアンドエラーを繰り返す

・ 子どもの権利
「失敗に気づく」「失敗を訂正する」
を奪わない

・ 子どもが自分でできるように
物的環境を整える

・ 手出し口出しをしないという
人的環境を整える



これらを復習したところで
< 4つ目の特徴 >をお伝えしたいと思います。


「 観察を通して子どもを知る 」

ということです。

実はこれ、
意外とハードルが高くて難しいんですけど、
大切なポイントになっています。

では、
実際に観察をするとは
どうゆうことなのでしょうか?

それは、、、
客観的にみるということなんです。

・ 「きっとこうなるだろうな」
・ 「この子はこうゆうタイプだから」

そうやって、
偏見、バイアス、色眼鏡をかけてみると、
なかなか本来の姿が見えてこないんです。

バイアスとは、、、?

「 傾向、偏向、先入観、データ等の偏り、思考や判断に特定の偏りをもたらす思い込み要因、得られる情報が偏っていることによる認識の歪み、といった意味で用いられる語 」(出典:Weblio辞書

決めつけがあるとどんな姿があっても
そっちに寄せたくなってしまうんです。

なぜなら、
【 自分の予想したことが当たるのは
心地がいいから 】です。

意識をしていなくても、
結果をそちらに寄せてしまいたくなってしまうんです。
無意識って怖いですね ><

そうすると
ありのままの姿がなかなか見えなくなってしまう。
本当の姿は違うのに
バイアスがかかってるからこそ、
これが起こってしまいます。

本当の姿が大人の目に映らなくなってしまう。
本当は成長しているところも、
成長してないように見えてしまう。
これは簡単に起こりえることなんです。
怖いですよね。


私たち大人は意外と様々な物事を
自分のバイアスをかけて、
決めつけてからみてることが多いんです。
それは我が子についても同じ。

一番近い立場で、
子どものいろんなことを知っているからこそ
客観的にみるのは難しくなります。

でも、
ありのままの姿をそのまま捉える
バイアスをかけないで見ることが大切です。



バイアスをかけずに子どもを見ると、
そんないいことがあるのでしょうか。

・ 子どもの成長、いい面に気づける。
・ 子どもの求めていること、
欲していることに気づき、叶えてあげられる
・ 適切な環境を用意してあげられる。
・ 必要な関わりをしてあげられる。


「こうなってほしい」という
大人の希望、理想、願望を通して見ていると、
すべてがその理想とどれだけ近づいているか、
理想と現実と違うところはどこかな、と
間違い探しになってしまいます。

バイアスをかけずにみていると、

「こうゆうことができるようになったんだな」
「こうゆことを今楽しんでいるんだな」
「こんなことに興味があるんだな」
「ここができないんだな」
「ここで躓いているんだな」

と気づけます。

ネガティブな面だとしても、
ありのままの姿をそのまま捉えるだけなので、
どうしようか、こうしようか、とはなりません。


比べていると間違い探しになって

「これができてない」
「これが理想と違う」
「ここがダメだな」

と、減点法になってしまう。

いいところを見つけるよりも
足らない部分が目につくようになります。

必然的に声の掛け方が

「こうしなさい」
「これはこうでしょ」

と教え込んだり、
子どもの行動姿を理想に近づけようと
コントロールする声かけが
無意識のうちに出てしまうんです。

でも、毎日ずっと客観的に見るのは難しいです。

子どもは、自分の感情が入りやすい相手だから。


難しいことではあるけど、
ひとりで集中している時、
家事しながら見ている時などは、
意識してバイアスやフィルター、理想を捨てて
目の前の子どもを見てみる。

そうすることで、

「今ってこうゆうことを楽しんでいるんだな」
「こうゆうことを欲しているんだな」

ということが見えてくるようになる。


マリア・モンテッソーリ
(モンテッソーリ教育を作った方)も
子供を観察することで、
教育方法を確立してきました。

理論で、

「子どもはこうだから、この教育法がいい」
ではなくて、

子どもの姿があって、
「こうゆうことなのかな、こうゆうことかな。
実践してみよう。
あ、他の子でも同じことが起きた。
また同じことをやってみよう、
あ、さらに同じことが起きた!」

と、何度も繰り返して
モンテッソーリ教育の理論、実践面での
かたちを築き上げてきました。

目の前の子供が何を欲し、
どんな発達をしていくのかを
観察を通して発見してきました。


バイアスをかけないで子供を見てみる

すると、我が子の本当の姿が見えてくる。


私たちは、無意識に予測をしながら
生活しています。
予測してカタにはめようとする。
でも、それは悪いことじゃない。

【 自分の予想が当たると心地いい 】
と言うことのほかに、
【 思考を効率よくするため 】に予測を行ってします。


「この時間に子どもが起きてくるから
これは終わらせておこう」

「この日はパパがいるから
これも買っておこう」

あらかじめ予測をしておくと、
思考がスムーズになりますよね。
そうすると、
自分の中にスッと落とせるから楽なんです。


思考を効率よくするために
日常生活ではこの予測を使っています。


でも子育てにそれを当てはめると、


「こうゆうタイプだからやっぱりこうした」
「こうゆうタイプだからこうなのよ」

となってしまいます。

日常生活の癖で、子どもに対しても
予測をし、自分の中にスッと落とせるように
してしまうのは仕方のないことだと思います。

でも、子育てに関してはできるだけ意識して、
カタを決めない瞬間を作る。

そうすると、
自分にとっても新たな子どもの姿を
発見するきっかけになるはずです。

恥ずかしがり屋だと思っていたけど、
ただの成長の過程であって、
恥ずかしがりな子ではなかった、
ということに気づけるかもしれません。

でも、
「恥ずかしがり屋な子だな」と思う経験が
何度もあると、ついいろんな場面で、

(この子恥ずかしがり屋だからなぁ)

という前提で
その子を見ようとしてしまう。

そうしたくてみているのではなくて
無意識的にそうなってしまう。

だからこそ

「恥ずかしがり屋な面もあるけど、
実際どうなのかな」

と、恥ずかしがり屋という型から抜け出して
子どもを見てあげたいです。

意外と、
恥ずかしがりの型にはめていたのは大人の方で、
ただの成長の過程だったということもあります。

時期的なモノだったに
過ぎないかもしれない。

ヒトと話す時に

「うちの子恥ずかしがり屋だから」

と、子どもの目の前で言っていると
子どもがそれを吸収して

( 自分は恥ずかしがりなんだな )

と心の中に溜め込んでいく。
成長の過程だっただけなのに、
それがその子の人格にさせてしまう
ということもあるんですね、、、
それは避けていきたい

だからこそ型にはめないように
していくのがおすすめです。




まとめ

< 4つ目の特徴 >は

「 観察を通して子どもを知る 」
ということ。


× バイアスをかけると、、 
× 子どもの姿を予測した姿に無意識に寄せてしまう。
× 子どもを減点法で見てしまう。


○ 客観的に子どもを見る ○
(バイアスをかけない)
○ ありのままの姿をそのままとらえる
○ 本当の姿が見えてくる
○ 子どもの成長、いい面に気づける。
○ 子どもの求めていること、
欲していることに気づき、叶えてあげられる
○ 適切な環境を用意してあげられる。
○ 必要な関わりをしてあげられる。



この記事は
【モンテッソーリ教師あきえ】さんの
Voicyを参考にしています。


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