湖南市行政の、改善の方向性:行政改革懇談会委員応募レポート

湖南市行政について、その改善の方向性を考えてまとめてみた、というお話です。

今年、湖南市の行政改革懇談会の一般委員の募集というものがありましたので、私は応募したのですが、落選しました。。涙。。

この募集のチラシは、次のPDFファイルのようなものでした。

この応募の際に「レポート」を書く必要があり、私なりに、湖南市行政の改善の方向性を考えたのです(ただし、教育分野についてはあまり言及しませんでした)。これを以下で共有したいと思います。こういうの公開するのは、めっちゃ恥ずかしいんですけどね。でも、公平で透明な議論のために、必要だと思い定めております。

この「レポート」で、私が「これまでの湖南市の行革」として触れているのは、第三次湖南市行政改革大綱などに示された内容を指しています。

私の「レポート」のPDFファイルは次のようなものです。

特筆したい

特筆したいのは、これを書いた時点(2020年4月10日)で、「個人への給付のためにマイナンバーを活用して、半自動的に給付を実行できるようにすること」を主張していることです。こうした方策は現時点では、広く必要性が認識され、国レベルではかなり現実的な動きになっております。

内容

以下が「レポート」の内容です。

文字制限を超えているのに追加してしまった部分があります。熱が溢れすぎました。こういうのは審査の際に嫌われたかもしれませんね。

字数制限内の内容

湖南市 行政改革懇談会委員応募にあたっての書面
「湖南市の行政改革についての提案や意見などのレポート」
2020年4月10日 山本耕資

今後の湖南市の行政改革のポイントとして(1)市民との対話、(2)行政職員のマインドの変革、(3)市民との協働、(4)負担と給付の適正な履行を挙げます。

市民との対話のために、どのような市民も無条件で参加して発言でき、それに対して行政が答責性を負うが、それらが完全に公開されている、という会議の開催を提案します。また、その前提として行政の情報の透明化がより促進されるべきです。

行政職員のマインドの変革について、まず、市民への対応の際に「悪質なクレーマー」を見極める能力を職員が涵養することが望まれます。また、行政に対する民主的統制を行政職員が妨げてはなりません。加えて、行政主体が特定の特性を持つ人間にスティグマを付与しないように留意するべきです。

市民との協働の形態として、公共の機能をボランティアに担ってもらうというものがありますが、これについて以下のように考えます。

まず、「何をボランティアに任せるか」の再検討が必要です。湖南市では、市職員が「事務負担が重い」と認識しているのにボランティアに関与させずに抱え込み、結果として事務自体を廃止しようとする傾向があります。この現状を改めることが有益でしょう。

次に、ボランティアの位置づけの再検討が重要です。公共の機能をボランティア組織に依存する際、その組織が「公的なお墨付き」を得てしまう現象が生じます。こうした組織は、不透明で、非正統的な権力を有してしまい、ガバナンスに問題を抱え責任の所在が不明確になりがちです。こうした組織の位置づけを明確にすべきです。

負担と給付の適正な履行も課題です。マイナンバーを活用したり、新たな税源等を検討したりする前提として、行政が把握する情報をマイナンバーで紐づけ、これによって個人が金銭等を受給できる権利を自動的に識別し、該当する個人に「半ば自動的に」給付を実行するシステムを構築しておくことが望まれます。

字数制限を超えた部分

以下は、上と同趣旨の文章ですが、800字に収まらなかったものです。800字以内のレポートのみを審査対象とする場合には、以下の内容を考慮ならさなくて構いません。
今後の湖南市の行政改革のポイントとして私は次の4つの点を挙げます。すなわち、(1)市民との対話、(2)行政職員のマインドの変革、(3)市民との協働、(4)負担と給付の適正な履行です。
(1) 市民との対話

第1に、市民との対話が重要です。これまでの市の行革においても、「市民に信頼される行政」「市民主体」「透明性の確保」が意識されてきました。

法制度においては、行政組織と市民との対話は、主に市長・市議会議員を介することが想定されていますが、このレベルの制度を自治体が改定することができません。選挙制度を変えられないために、選挙への立候補と当選には大きな負担が伴い、また、これらの民選職の方々の責任は重くなっています。ここから、一般の市民が選挙に出馬し当選することにはかなりの困難が伴います。

そこで、こうした代議制のシステムを補完するシステムを、地方自治の枠内で構築し、市民の声を吸い上げる方策が重要です。これにより、行政に関わるニーズと無駄を明確にして、その認識に民主的な正統性をより強く付与することができます。

この目的のもと、私は、市民との直接的な対話のために、次のような会議の運営を試行することを提案します。すなわち、どのような市民も無条件で参加して発言でき、それに対して行政が答責性を負うが、それらが完全に公開されている、という会議です。これを仮に「市民会議」と称します。これをネット上の仮想空間で開催することも有益でしょう。

また同様に、市民との対話を促す観点から、行政の情報の透明化がより促進されるべきだと考えます。例えば、予算・決算の詳細な情報をネットで公開することを提案します。現状では、『一般会計歳入歳出決算書』などの資料は、図書館に所蔵されていて、また、財政課が販売していますが、ネットでは公開されていません。こうした資料はすでに電子化されていると思われ、それをネットで公開することに、それほどの手間・費用がかかるとは考えられませんが、それはなされておりません。こうした公開性がない状態は、市民の行政に対する理解の前提がない状態だと言えます。「行政活動の中で具体的に何にどの程度費用がかかっているか」を、そもそも市民に知らせようとしていない、という批判を免れません。

行政の情報の透明化において、「市職員にとって『都合の悪い』情報」を除外してはなりません。「都合の悪い」情報をも包み隠さずに公開することは、その「都合の悪い」事象の改善について市民が検討する前提であり、また、隠蔽しない行政への信頼の礎となります。

これらのように、情報の透明性を前提とした市民との対話を一層重視して、行政の改善につなげることが望まれます。

ここで、補足的に以下の点に言及します。すなわち、行政が「市民を『バカにする』」という態度は許容されない、という点です。もし仮に、市民が行政について、知らないことや、熟慮できていない部分があるのなら、積極的に行政の情報を知らせて、また、熟慮の材料と機会を提供していくことが、肝要です。この点は、学校教育などの場でも生かされるべきだと思われます。つまり、そもそも政治行政に無関心でこれらに何も要望しないような市民を、育ててしまうことのないように留意するべきです。これが長期的な行政の改善に必要でしょう。
(2) 行政職員のマインドの変革

第2に、行政職員のマインドの変革について言及します。これまでの市の行革においても、「職員の意識改革」「前例踏襲主義からの脱却」、「服務規律の確保」、「職員の実務能力の強化」が意識されてきました。

私の限られた個人的な経験からも、市の行政職員がすぐに市民を「敵視」しがちであると感じられます(具体的な実例を挙げることができますがここでは割愛します)。おそらくは、市民が行政職員に意見を述べる場合に、職員は、相手が「悪質なクレーマー」だと認識してしまう傾向があるのだと思われます。この傾向は市のあらゆる施策への不信感を招き、結果として、例えば徴税等や行政機能の縮小への反発を強めるでしょう。

そこで私は以下の点が重要だと考えます。

まず、何が「悪質なクレーマー」の振る舞いなのかを根源的に検討し、具体的なそれぞれの場面で、「悪質なクレーマー」を見極める能力を、職員が涵養することが望まれます。この際、職員が、法令条規と公平性概念の理解を深めることが必要でしょう。

その上で、基本的な姿勢として、市民の意見をどの職員も尊重し吸い上げるという考え方を持つとよいと思われます。市民が行政の立場とは異なる意見を述べた場合に、職員が「市民が意見を言ってくれた」と理解していくとよいと思われます。

これに付随して、主権者がそれぞれの個人であることを再度確認することが有益です。残念ながら、市民が市長・市議を通じて行政を改善しようとすることを、行政職員が阻むような言動をとることがあります(具体的な実例を挙げることができますが、ここでは割愛します)。しかし、法制度の想定では、市民が市長・市議に影響力を行使すべきであり、市長の責任のもとに行政活動の方針が決定され、それに行政職員が服するべきはずです。この行政に対する民主的統制として正統な経路を、行政職員が妨げることはそもそも許容されません。それを妨げるような行政の姿勢は、行政の正統性と信頼性を低下させてしまいます。

また、補足的に以下の点も述べます。市民を「敵視」する傾向と関連して、行政関係者が特定の市民に偏見を持つケースもあると思われます(関連する具体的な実例を挙げることができますがここでは割愛します)。しかし、行政主体が特定の特性を持つ人間にスティグマを付与しないように留意するべきだという点です。例えば、無職者にスティグマを付与するべきではありません。無職者がスティグマにさらされることで、本人が苦痛を受けて厚生が下がるほか、無職者が「ひきこもる」可能性が高まり、市の経済活動などにも悪影響を与えると思われます。

行政職員のマインドの変革という観点からも、職員が「市民を『バカにする』」という態度をとるべきでないことが強調されます。
(3) 市民との協働

第3に、市民との協働を重視します。これまでの市の行革においても、「市民協働」は意識されてきました。

公共の機能を市民に担ってもらう形態の1つは、ボランティアによるものです。市はこうしたボランティア組織に財政的な補助を含めた支援をしています。他方でここには課題が山積しています。以下では2つに分けて課題を述べます。
(3)a. 何をボランティアに任せるか?

ボランティア活用における課題の1つは、ボランティア活用の対象となる役割が恣意的に決められているという点です。これは、見方によっては「市職員がやりたくない仕事」をボランティアに押し付けている、とも言えるでしょう。

この点で私の以下の経験は象徴的です。私は市のある部署(具体名はここでは割愛します)から、すでに定まっている行政上の手続きについて説明している文書を受け取りました。しかしそこには誤りがありました。そこで私は、「私がボランティアでこの文書を直しましょうか」と申し出ましたが、これは拒否されました。そしてその代わりに、市職員は「事務負担が重いので、今後こうした文書を市民に送ることをやめることを検討している」と告げました。

ここで、もし「事務負担の軽減のために文書の発送をやめる」という「行政改革」を進める考え方があるとしても、それ以前にまず、誤りを含む文書を作成してしまうような職員には全く別の職務を与え、定型的な文書の作成は(私を含む)ボランティアに依頼することを検討するべきだと思われます。定型的な文書の作成であれば、よりわかりやすい表現を(場合によっては図やイラストも含めて)、多様な市民が参加することで高質に行なうことが可能だと思われます。この際、オンラインでGithubのような方式で集合的に不特定多数の参加にもとに市民協働を進めることも考えられます。

この例のように、湖南市には、市職員が「事務負担が重い」と認識しているのにもかかわらずボランティアに関与させずに抱え込み、結果として事務自体を廃止しようとする傾向があると思われます。この理由は不明ですが、その1つは市職員の特権意識(「文書作成はお上の仕事だ」というもの)かもしれません。なお、行政職員がよく用いる、「プライバシーの問題があります」という文言は、実際には極めて限定的にしか妥当しないものであり、こうした文言での「言い訳」を慎むことが望まれます。

この現状を改め、オープンに予断なく、あらゆる公共の機能を、ボランティアとの協働の対象として検討することが有益でしょう。
(3)b. ボランティアはどのように位置づけられるか?

ボランティア活用における課題の2つ目として、中間的組織の透明性の向上を挙げます。

公共の機能をボランティア組織に依存する際、その組織が「公的なお墨付きを得た私的な組織」になってしまうという現象が生じます。これは湖南市国際協会において生じています。実際、市職員の中にも、国際協会は公的な組織だと認識している人たちがいます。

実際には湖南市国際協会は(私の知る限り)、個人の集合体である、単なる任意団体です。これには法人格はなく、よって責任の所在は不明確です。また、地方独立行政法人等ではないために、そこでは公務員のような服務規則が確保されていません。

これらは以下のような現象を引き起こします。すなわち、(i)市のお墨付きを得ているという特権意識から、組織内の人間が「市に認められている」と考え、それ以外の人間に対して侮蔑的な態度をとる、(ii)同様の理由で、組織内の人間同士では「注意」し合うことができない、(iii)特権意識から、自分たちの組織に「傷がつく」ことを恐れ、不祥事を隠蔽し、結果的に内部事情を知る者に不信感を与える、(iv)これらの組織の体質から、新たにボランティアを志す者が組織を敬遠するようになり、人材を確保できない、(v)新たな人材を確保できないので、既存の人間が限られた人数で、組織を閉鎖的に運営していってしまうために、ますます特権意識を高め、外部から来る人間への侮蔑的な態度が強化される、といった現象です。

(これに関連して、長沼豊『人が集まるボランティア組織をどうつくるのか ―「双方向の学び」を活かしたマネジメント―』2014年 ミネルヴァ書房 などが参考になりそうです)

こうした状況によって、実際に、私の眼前で国際協会は人権侵害に相当する言動をとり、これについて隠蔽しております。これによって私は国際協会でボランティアをしようとしなくなりました。

現状では、こうした組織は、不透明で、非正統的な権力を有してしまっており、ガバナンスにも問題があり、責任の所在が不明確です。ここに行政が関与している限り行政への不信感が高まるほか、意欲のある潜在的なボランティアを遠ざけてしまい、市民との協働が機能不全を起こしえます。

これらを省みて、公共の性質を帯びた民間の組織の位置づけを明確にすることが必要だと考えます。
(4) 負担と給付の適正な履行

第4に、市民が行政上の負担の義務を適正に果たし、かつ、給付の権利を適正に実現でききるシステムの構築を望みます。これまでの市の行革においても、「目的税の新設や税率改定」「特別徴収の強化」「マイナンバーの活用」が挙げられてきました。

私は以下の条件のもとで、マイナンバーを活用することや、新たな税源等を検討することに賛成します。

すなわち、行政が把握する情報をマイナンバーで紐づけ、これによって個人が金銭等を受給できる権利を自動的に識別し、(申請主義を補完しながら)該当する個人に「半ば自動的に」給付を実行するシステムを構築しておく、という条件です。

負担の義務を果たさせるためのみにマイナンバーを活用することは、人間の権利義務の本質的な一体性に背馳する考え方であると思われます。給付の権利と納付の義務が常に履行されることを担保するシステムは、市民に対して「行政は、自分たちから何かを奪うばかりではなく、自分たちに何かを与えるときには必ず与える」という感覚をもたらし、結果的に信頼感を生じさせると思われます。

このための方式(情報管理の方法も含めて)については、例えばエストニアにおける電子的な行政手続きの方法が参考になりそうです。
付言
(※引用注:記事を改めて引用します)
上述の意見は、もちろん非常に「粗い」思考の表明にすぎません。私が委員になった暁には、こうした意見をもとに、他の委員や事務局の皆さまと議論しながら、より具体的な方策を検討していきたいと考えます。

以上

私は委員にはなれませんでしたが、以上のような意見を検討してもらえたらありがたいなと思います。

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