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梅色の春

先日、庭園に梅を見に行った。梅のあの少し角ばったような枝ぶりやごつごつとした木肌、そして丸みを帯びた花びらが私は殊の外すきだ。

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桜以外の「花見」をするようになったのはいつからだろう。少なくとも学生時代はなかったような気がする。梅、藤、椿、紫陽花、バラ、ネモフィラ、水仙…。大体どれも大人になってからわざわざ足を運んで見に行くようになったものばかりだ(ネモフィラはまだないけれど)。

桜を見るときは、盛りを見逃さないように、なんだか気持ちが急いてしまったりするものだけれど、散ってしまうと残念なような、もう気を揉まずにすむという安心感のようなものが残る…。

ん…??どこかで聞いたようなセリフと思ったら、羽海野チカ先生の『ハチクロ』こと『ハチミツとクローバー』の竹本くんが似たようなことを言っていた。

桜の花が好きだ
でもなんでだろう
散ってしまうとホッとする
消えていくのを
惜しむ
あの切ない気持ちから
解放されるからだろうか

まさにおっしゃる通りで…。そして竹本くんのことを思い出すと、はぐと森田さん、あゆや真山のことについて話し出したくなるので、続きはどこかで。

それはさておき梅のお話。子どもの時。梅といったら梅干しだった。毎年のように母がする「梅仕事」のお手伝いを子どもながらにしていた。梅と紫蘇を混ぜて天日干しして…母の梅干しはとても酸っぱく、いつだか市販の梅を食べた時、その甘さにびっくりした。そうして思った。

あの酸っぱさが、いいんだよなあ。

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それから私は大人になってトウキョウという街に来た。トウキョウというのは人もビルもやたら多いけれど、その分、緑もたくさんあった。浜離宮だったり新宿御苑だったり、明治神宮だったり皇居だったり。

どこでも花ごよみのようなものは出していて、その中でいつだったか偶然出くわしたのが開花中の梅だった。白梅・紅梅だけじゃなく、もっといろんな名前があるらしい。「御所紅」「金獅子」「八重唐梅」とか。
*参考にさせていただいたのはこちら

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梅の花は潔く、凛と咲いている感じが良い。そして私はふと思い出した。梅が気になり始めた頃のことを。いつだったか忘れてしまったが、こんな歌を学校の授業で習ったのだった。

東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな

太宰府に左遷された菅原道真が、家の梅を見て詠んだという歌をあっという間に学生の私は覚えてしまった。なんだか浪漫があるなあと思ったのだ。その梅があるじを追いかけてはるばる太宰府にまで飛んで行った、だなんてさらに浪漫がある。

そんな浪漫を忘れ切れずにいた私は数年前、実際に太宰府に足を運ぶことにした。東京から文字通り飛行機に乗って飛んで行ったのだ。夕暮れ時、しかも盛りの季節を外れた飛梅は花をほころばせてはいなかったけれど、私は十分だった。教科書の中の浪漫にやっと出会えた瞬間だったから。

近くの茶屋で抹茶と梅ヶ枝餅をいただく。こんな贅沢も、花や旅の楽しみ方も、子どものころは知らなかった。

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まだまだ梅は盛りだ。梅が咲くと、春が来た気持ちになる。桜が満開の、何もかもが冬から解放されたような勢いの良い春ではなくて、まだ冬の空気が残る中で、春の先触れをそっと静かに、でも鮮明に伝えてくれるそんな春。それこそが梅色の春だ。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。