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人生

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人生について徒然なることを徒然なるままに書いています。
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#日記

好き嫌いのこと

 私は取り立てて好きな歌手やバンド、作家さんというものがあまりない。というのは、 「この人の作品、生き様、ぜーーーーーーーんぶ大好き!」  という人がいないという意味で。  どちらかといえば、同じ人の手によるものでも、個々の作品−曲なり小説なり−それぞれ「これはすきだな」「これはそんなすきじゃないな」という評価があって、総合的に「すき!すきでたまらない!」という人があまりいない。  でもだからって、その人が「嫌い!」という訳では全然ない。作品は確かにその人に属するもの

懐かしさの宿る場所

先日、数年ぶりに懐かしい街に足を運んだ。街のそこかしこに、思い出が残っていた。 期待で胸を膨らませながら夜行バスで街に着いた夜明け前。ランチの店を探して歩いた昼下がり。みんなで徹夜で作業をした雨の夜。 正直、あの街にあんなに懐かしさを感じるなんて思ってもいなかった。年を重ねるごとに、懐かしい場所が増えていく。 「世界中に第二の故郷を作りたいよね」 旅好きなメキシコ人の友人とそう語り合ったのは、いつのことだったか。 きっと、ただその場所にいるだけでは、懐かしさは残らな

おしゃれは武装

 外出するとき−仕事に行くときであれプライベートな用事であれ−、どのくらい「おしゃれ」をするだろうか。  女性であれば、化粧をするかしないか、するにしてもどの程度するかが外出理由によって違うかもしれない。男性であればヒゲを剃ったり髪をセットしたりだろうか。あとは服装。超カジュアル、カジュアル、オフィスカジュアル、オフィススタイル…。  いろいろあるのだけれど、私は外出する時は、基本的に化粧をしてアクセサリーと時計をつける。  化粧の程度は、昔に比べたらだいぶ簡素になった

最後に泣いたのはいつですか?

 最近の私はちょっと涙もろい。ここ1年近くはほとんど泣いていなかったのに。  基本的に、「泣いても物事が変わるわけじゃないしな」と思っている節がある。でも同時に、「泣いてもどうしようもないからこそ泣くのかもしれない」とも思っている。それはきっと宇多田ヒカルの『time will tell』の影響だ。この曲はこんな歌詞から始まる。 泣いたって 何も変わらないって言われるけど 誰だって そんなつもりで泣くんじゃないよね  まあ、「泣き落とし」目的のこともあるかもしれないけれ

種をまく人

 子供のときに読んだ本の記憶はやけに鮮やかだ。  その本を通して初めて知った世界や感情があるときは特に。  『種をまく人』という本がある。子供のときに読んだ淡い緑表紙の薄いそれの内容を、大人になった私はほとんど覚えていなかったけれど、その本を読み終わったときの、あたたかな気持ちだけは覚えていた。  一ヶ月前に近所の八百屋兼花屋で朝顔の苗を買おうと思ったとき、同時に思い出したのは『種をまく人』のことだった。  自宅に苗を持ち帰ったあと、近所の図書館で『種をまく人』を借りた

情熱の「色」は何色?

『情熱大陸』。言わずと知れたドキュメンタリー番組の代表だ。 最近久々にこの番組を見て、以前、この番組プロデューサー(当時)の福岡元啓さんと、番組出演者の作家・石井光太さんのトークショーに参加したことを思い出した。2014年、下北沢の本屋B&Bでのこと。 その中で印象的だったのが、QAタイムで「情熱とは何か?」という参加者からの問いを受けて広がった 情熱の「色」は何色か? という話。 「『情熱大陸』のロゴって、青なんですよねえ…。赤じゃなくて。」 と福岡さん。確かに

袖振り合うも…

 夏休み。帰省したり旅行に行ったりする人も多いのではないだろうか。  この時期は、駅や街中でいつもと違う人とすれ違うことも特に多いだろう。私は実家を出てからは、この時期、新幹線で帰省するのが恒例になっている。  そんな中、私は新幹線にまつわる後悔の思い出が2つある。 願わくば、読んでくださっているみなさんがそんな後悔をしませんように。  これはそんな願いを込めたnoteだ。 駅のホームで困り果てていた老夫婦 ある日、乗車予定の新幹線出発間際、足早にホームを歩いて

過去からの贈り物

ふと思い立って、今までもらった手紙の束を広げてみた。半分くらいは離れて暮らす姉からのもの。姉とは今でも週に数回LINEする中だけど、折々に触れて直筆の手紙でやりとりしている。姉との文通についてのnoteはこちら。 残り半分は年賀状やクリスマスカード、バースデーカードだったり、季節やライフイベントとはなんの関係もない互いの日常について綴った手紙だったり。年賀状は国内在住の友人からのものが多いが、それ以外はほとんど当時留学中、もしくは日本に留学して帰国した友人からのものだった。

七夕よ、もう一度。

 8月になった。8月といえば?お盆、夏休み、帰省、旅行、お祭り…。いろいろあるとは思うが、私にとっての8月は七夕のイメージだ。  大学時代を過ごした仙台では旧暦で七夕を祝う。8月の七夕に向けて、仙台の街は次第ににぎやかになる。手の込んだ七夕飾りが街のそこかしこに飾られ、短冊の内容を読みながら街を歩くようになるのだ。  七夕祭り開催の前夜には毎年花火が打ち上がる。仙台の夜を明るく照らす花火。仙台市街地のビルの屋上やら広い大町西公園やら、花火がよく見える場所はいろいろあるが、

「六年」の質量

 ここ最近、六年前に知り合った人たちとよく連絡を取っている。ざっくり言えば、 「六年後にまた会おう」 という約束を果たすため。  そんな中、「六年」という歳月について考えることが多くなった。「六年」は長いか短いか、感じ方はそれぞれだけれど、具体的に例えるならこんな感じ。 ・生まれたばかりの赤ん坊が、翌年小学校に入るまでの時間 ・小学1年生が小学校を卒業するまでの時間 ・中学校に入学してから高校を卒業するまでの時間 ・大学4年間+大学院2年間を過ごす時間  各々

「自分」を駆使して壁と向き合う。

 先日、友人たちとボルダリングに行ってきた。ボルダリングは実に数年ぶり。経験上、ボルダリングでは、普段使わないような筋肉を使ったり動きをしたりすることが多いため、事前に念入りに体をほぐす。  ボルダリングの楽しみ方はそれぞれだが、どこのボルダリング施設も基本は同じだと思う。壁一面に色とりどりのストーンが配置され、各ストーンには決められた色や数字が割り当てられている。同じ色や数字のついたストーンが1セット。1セットのストーンには「スタート」と「ゴール」がある。「スタート」のス

自主練→交流試合→自主練→・・・

 ここ最近、将来のことだとか、今何をするか・できるか・するべきかだとか、もろもろについてずーっと自問自答していた。  そして、「あー、もう限界!」というところまで来たので、会う人会う人にいろいろと話を聞いてもらったり、意見をもらうことにした。  「ほほう!そういう風な考えもあるか!」という新鮮な意見もあれば、「あぁ〜、だよねえ」と、再認識させられるような意見もあり。そしてまた、「あー、もう十分!」というところまで来たので、またちょっと自分で咀嚼して考えてみることにした。

ボーダーの上で生きる

 白か黒か、YESかNOか、マルかバツか。  選択肢を2つに絞って、どちらかを選ぶのは勇気がいる。けれど、一旦どちらかに属してしまえば、あとはもう楽かもしれない。どちらか片方の目線だけで考えればよくなるから。  じゃあ、どちらでもないとき、もしくは、どちらも選びたい・選ばざるをえないときは?例えば、「日本人か日本人でないか」。この2択を国籍を持っているかいないかだけで考えれば、物事は至極簡単だ。でも、現実はそうじゃない。国籍は違うけどずっと日本で生まれ育ったとか、日本国籍

治らない傷はありますか?

 私の右手には20年以上経っても消えない傷跡がある。幼い頃、犬に噛まれて大出血し、2針縫った傷跡。たった2針だけど、傷跡は今でもうっすらと残っている。  正直、この傷を負ったこと自体、最近はすっかり忘れていた。当時は大泣きしながら病院へ行き、治療の最中も泣きわめいていたというのに。  その傷のことを思い出したのは、最近、心の古傷がかすかに疼くことがあったから。それは新幹線に乗った時。私は昔、新幹線で片道3時間以上かかる遠距離恋愛をしていた。相手は異性としてというより、まず