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私が「一万円選書」に当選するまでとその後、選んでいただいた10冊の本について紹介していくシリーズ物note。今までのnoteはマガジンにまとめていますのでよろしければどうぞ。 *** 3冊目は木皿泉著『昨夜のカレー、明日のパン』。2014年、本屋大賞第2位。NHKでドラマ化もされています。ドラマの出演陣も豪華。仲里依紗、星野源、鹿賀丈史などなど。 ちなみに「木皿泉」というのは夫・和泉勉、妻・鹿年季子による夫婦脚本家の名前だそう。夫婦で何か一緒に作品を作るって、い
今日はどんな1日だったろうか。仕事を終えて開放感を感じている?それとも、何か緊張することや乗り気じゃないことがあって、ブルーだったりしている? *** 夕方過ぎまで私は暗澹たる気持ちだった。待ち合わせがあったのに、電車に遅れて結局間に合わなかった。準備にもたもたしていた自分が悪いのだけれど、駅のホームに向かうエレベーターに駆け込んできた人がいなければ、ちゃんと予定の電車に乗れたかもしれなかった。目的の駅に着いてからも待ち合わせ場所へ必死で走ったけれど、私の時計では間
人生の節目節目で、メッセージを贈られることがあると思う。でもきっと大半は入学式・入社式や卒業式で大勢に向けて贈られるものだろう。 時には個人的に改まってメッセージを贈られることもある。私の場合は、大学を卒業したときに研究室の面々からいただいた色紙だったり、仕事でプロジェクトを終えたときにいただいた手紙だったり。 どれも特別で印象的なのだが、特に折に触れて思い出すメッセージがある。 ある職場を離れるとき、お世話になった方々にお礼のメールを送ったあとのこと。ひと
ラグビーW杯がもうすぐ始まる。それと絡めて最近わたしがよく目にするのがビールのこと。いわく、 ラグビーの試合でのビール消費量はサッカーの6倍。 「6倍」の根拠や理由はなんだろう?と調べてみたら記事が見つかった。 これによれば、ラグビーW杯・15年のイングランド大会では、同じ会場で行われたサッカーの試合に比べ、ビールの消費量が平均で6倍以上だったのだという。そして消費量が多い理由として、パブ文化が根付くイギリス発祥のスポーツであり、キックオフ前からも、試合中も、さら
毎年、自分の誕生日が近づくと、「今年の自分へのプレゼントは何にしよう?」とあれこれ考える。お気に入りのデザイナーさんのアクセサリー?それとも隠れ家的お店の贅沢ディナーコース?いや、プチ旅行にしようか。 ところが今年は、何か「トクベツ」なことをしようという気持ちがあまりわいてこない。「ほしい!」と熱烈に思うものやコトが今のところ取り立ててないのだ。 それは今の暮らしに満ち足りているからかもしれない。だから、「今の暮らしがあること」自体が今年の自分への贈り物なの
ここ最近、自炊続き。すきな食材をすきな分量ですきに味付けできる。なんてハッピーなことなんだろうと思う。おかげで外食からはめっきり足が遠のいた。 おかひじきの辛子マヨネーズ和え、ニンニクとごま油で作るもやしのナムル、たたききゅうりのミョウガ和え、酒盗とクリームチーズの和え物…。そんな手のかかるものは作らないけれど、その時々の体調や気分に合わせて分量や食べるタイミングを調整して口にする料理は、単純に、そして確実にわたしを幸せにしてくれる。 最近の発見はイタリアンにイカの
小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。 私のすきな物語はこんな出だしで始まる。宮沢賢治の『やまなし』という作品だ。『やまなし』という題名より 「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」 という一節でぴんとくる人の方が多いかもしれない。 学校の国語の授業で習ったこの作品が、私はとてもすきだった。今でもきっと。『スイミー』とか『くじら雲』とか『ちぃちゃんの影送り』とか、思い出す作品は他にもあるのだけれど、私は『やまなし』が殊の外すきだ。 風景や色の描写が綺麗で、それでいて少
私は取り立てて好きな歌手やバンド、作家さんというものがあまりない。というのは、 「この人の作品、生き様、ぜーーーーーーーんぶ大好き!」 という人がいないという意味で。 どちらかといえば、同じ人の手によるものでも、個々の作品−曲なり小説なり−それぞれ「これはすきだな」「これはそんなすきじゃないな」という評価があって、総合的に「すき!すきでたまらない!」という人があまりいない。 でもだからって、その人が「嫌い!」という訳では全然ない。作品は確かにその人に属するもの
ああ、贅沢だなあ。 最近、ふとそう思う機会が増えた。 自分の食材を自分の好きな味付けで調理して、ゆっくり食べているとき。 部屋で好きな音楽を聴きながら、ひとダメソファに身を埋めるとき。 何の予定もなく、ごろごろとマンガを読んでいるとき。 ゆる〜く集まって、ゆる〜くしゃべって、ゆる〜く解散していくとき。 *** 社会人になって数年は、週に何度も外食したり、社内外の人と会って刺激を受けたり、国内外に旅行に行ったり、そういうことが「大切」で、その時間が「貴
10代。10歳から19歳までの10年間。いろんなことがあったし、「コドモ」なりにいろんなことを感じて考えてきた。「オトナ」になった(かもしれない)今よりずっと敏感に。 大嫌いだった小中学校:みんな「何者」かになりたかった 小学校は大嫌いだった。中学も嫌いだった。「みんな」と同じことができなかった。したくもなかった。全校集会に行くためにみんなで2列に並んでクラスごとに整然と行進することとか、揃いの制服や体育着、靴を身につけることとか、休みのたびに雑巾を縫うこととか。 訳
私は海をほとんど知らずに育った。四方を高い山々に囲まれた雪深い盆地の街で。 たまに家族で海に行くことはあったけれど、それも小学校低学年くらいまで。海で泳ぐと必ず溺れて父に助けてもらったものだ。ある意味、海の怖さは少し知っていたけれど、その記憶も時間とともに薄れていった。 海の怖さを改めて思い知ったのは東日本大震災の津波。たまたま東北にいた私は、岩手・宮城の沿岸を震災1,2ヶ月後から数年かけて回った。松島、石巻、南三陸、陸前高田、大船渡、釜石、宮古…。 集落
お盆に帰省して、ふと高校時代のことを思い出した。 高校生になりたての頃、私は卒業後のことを何も考えていなかった。小学生の頃からずっとその高校に入るのが夢で、そのためにがむしゃらにやってきた。入学して当初はまだそれでよかった。 でもしばらくして、進路について先生や同級生に聞かれることが多くなった。 「どこの学校に行く?」 「地元出たい?出たくない?」 「将来何になりたい?」 そのどれに対しても明確な意志も答えも持っていなかった私。焦りを感じ始め、
先日、数年ぶりに懐かしい街に足を運んだ。街のそこかしこに、思い出が残っていた。 期待で胸を膨らませながら夜行バスで街に着いた夜明け前。ランチの店を探して歩いた昼下がり。みんなで徹夜で作業をした雨の夜。 正直、あの街にあんなに懐かしさを感じるなんて思ってもいなかった。年を重ねるごとに、懐かしい場所が増えていく。 「世界中に第二の故郷を作りたいよね」 旅好きなメキシコ人の友人とそう語り合ったのは、いつのことだったか。 きっと、ただその場所にいるだけでは、懐かしさは残らな
soarというメディアで、自分の心身の回復や癒やしのためにしている習慣について、ハッシュタグ「#私の回復じかん」を付けて紹介するというキャンペーンをやっている。 ■レベル別・私の「回復じかん」。 せっかくなので私の「回復じかん」についてエネルギー消費レベル別で書いてみようと思う。レベルについてはこんな感じ。 ・数字が上がるごとにちょっとずつ気力・体力や道具が必要になる。 ・なので、Lv1が超省エネ、Lv2は省エネ、Lv3は通常…という感じ。 ・今回、それぞれにかかる