入門合格カルチャーショック 24/01/05
ゃほ~!「人間失格」を読破したので、意図的に明るく書いてみている。
飲み込まれそうな暗さがあったけど、時系列に沿って書きたいからとりあえずその事柄は置いておく。あと必然的に長いから、読むなら読みたいとこだけ読んでください。
朝17時に起きた。今これを書いているのは夜6時だ。
17時という書き方には午前5時の可能性がないのに、午前6時を意味する「6時」には午後6時の可能性があって面倒だな。06時なんて書いて冗談を通そうとするほど自分勝手ではない。
この気持ちをちゃんと書くのなら、17時に起きた割に罪悪感が薄かった。一応まだ正月として休んでいる社会人がいるから。
ある程度歯磨きトイレなど起きてからの動作を済ませたあと、すぐにリア友グループにチャットを送った。
起きてすぐすることがなかったというよりは、無性に誰かと話したかった。
感情を記録するように書いていて、その時の自分の気持ちを自覚することが多い。型にはめるようでちょっとムカつくし、ホントの感情はもっと複雑に積み重なった合わさったものだと思うけどね。
僕も一応「誰かと話したくなって」チャットをしてたんだな。
ネット麻雀を人数が集まるまで雑談しながら募集し、集まってダラダラと続けた。ご飯やお風呂で解散になったあと、再度少しだけ集まってまた同じことをした。これでも合間合間でYoutubeで見れる範囲の追っかけコンテンツを見たりnoteを見たりしていて、暇な感じはしない。
オンラインで「ドミニオン」というボードゲームもした。大好きなゲームでこの友達グループでは遊んだことがなかったから、布教がてら誘った。好評だ。
離脱が増えてやっていることに飽きた頃合いで、別のグループが集まっていたから浮気してみた。エンジニアお兄さんの界隈で、ボードゲーム好きが多い。ここでもドミニオンをした。これができるオンラインのゲームアプリ自体はだいぶ前からあったのに、こんなに稼働しているのは初めてだ。
こんなに寝かせるとは思わなかったが、正月って皆とりあえずでボードゲームに構ってくれるからチャンスなのかもしれない。
ドミニオンに関して書こうと思ったらかなりの文量書けそうなんだけど、僕が読者だったとしてもそう興味がないから書かないでおく。カードゲームの「デッキを構築する部分」「方針を計画する部分」だけが好きな人が触る、物好きなら知っていて良いちょっと異質なゲームだ。
会話中、自分の小ボケの多さに驚いた。
ついこの前そのグループの人に「しょうもないボケが口から溢れていて親近感が湧く」とネット上で言われたのだけど、その時は「この人の前でそこまで多くボケてない」と思っていた。
今日はその人が居たからボケをカウントしようと決めて入って、開口5秒でボケていた。ほぼ無意識。なんて言ったのかもはや覚えていない。
途中「手札がカスや……」と誰かが漏らした後、「それに比べて山岡さんの手札はカスや……」と言って「絶対に言うと思った」と言われた。
反射でボケる人は言うことが被るし似通った人を好むからか、生きていて「絶対言うと思った」と言ってくる人がそこそこ多くいる。僕としては嬉しいことだ。
道化みたいな高校の友達、情緒がおかしな職場の副店長、芸人みたいな兄の友達、ネット芸人みたいな女友達、そのグループの快活新米ママ、またそのグループのこの人やエンジニアお兄さん。今回のこの人に関しては知り合ったばかりなのに、Xの文面を見てかなり親近感が湧いてしまっている。
全員そこそこ性質が似ていて好きなので、それぞれたまに日記に書いている。その人らが見ている感じがしないから余計にこれを書きたいんだけど、思考を読んでくれる人が大好きだ。類は友を呼ぶというのは本当というか、情緒と小ボケに関してはたまに写し鏡を見ている気分になる。
解散後は午前1時になっていてオモコロチャンネルや芸人のYoutubeチャンネルを見たあと、noteで他人の日記を見た。
そのうち一人に「何度も見た千と千尋の神隠しを子供と見ていて、何故か爆笑してしまった」という話題で日記にしている人がいた。
転じて「年齢を重ねて楽しみ方も変わっている時がある」「人間失格を若い頃に見てもただ暗いと思っていたけど、辛酸を舐めてきた今見たら感想が変わるかもしれない」と書いていた。こんなことで他人様の日記を貼っ付けるべきじゃないと思うんだけど、素敵な文の人だし僕が他人に引用されたらかなり嬉しいし報告してほしいから貼ってみる。noteのスキが200くらいになると逆に信用できないパターンがあるな、なんて最近は考えている。
「ただ暗い」とまで評されているのに今も名が残る「人間失格」のことがなんとなく気になって、マウスカーソルをドラッグして検索した。
「太宰治が自分の感情も絡めて書いた自伝風の憂鬱な私小説」くらいの事前情報だった。あらすじだけでもと思ったが、青空文庫がトップにヒットしたから気合を入れて読んでみた。
まず第一感想として、読めた。全部読めると思ってなかった。目が滑る人間代表と思っていたのに、太宰治の小説が読めた。太宰だったからこそかもしれない。
小説を根気を入れて読むのはいつぶりだっただろうか。
本として手にしたのは湊かなえの「告白」が最初で最後だ。その前が宮沢賢治の文章を短編的にまとめた教育用のものと、星新一のショートショートを図書室で借りたもの。
大昔にいとこに初めて読んだ本だったかを問われて、拙い言葉で「告白っていう怖い小説みたいなやつ」と言うと曲解され、小馬鹿にされたのを覚えている。当時小学生同士だとかで恋愛ものだと思ったのだろうが、内容を知っている人からすればおよそ小学生がまともに食らっていい内容の小説じゃない。
母親が本の虫だから話題作のいくつか自体は家にあって、読もうと思えば読めるものの本当に小学4年生くらいから読めていない。
ちょうど不登校になった時期で、ストーリーが頭に入ってこなくなったのもこの時期。
そういえば父親が買っていた月刊スピリッツもこの時期にドキドキしながら読んでいた。話が逸れているのを承知で書くと、「闇金ウシジマくん」「アイアムアヒーロー」「土竜の唄」みたいなラインナップだったし明確に心がひずんだのってその年かもしれない。
楽しく読めたのは「るみちゃんの事象」「このSを見よ(ほぼエロ)」「アフロ田中」「団地ともお」「あさひなぐ」だったから、どちらにせよ小学生にスピリッツは難しかった。小学館が出してるのに。おやすみプンプン砲が直撃してないだけいいのかもしれない。
そういうのも今なら面白がれる気がする。「類は友を呼ぶ」にしても「この親にしてこの子あり」にしても、ただの格言というより真理めいた当然のことだと最近は思う。
人間失格のことをようやく書いてみる。
スラスラ読めた。意味のわからない語句も検索せず飛ばし、読み飛ばしたかと思ってしまうほどの倒置的な説明は一度読んでから考え、どうせ読まなくなっちゃうから一度に読み切ろうと決め、午前3時に読み始め5時には読み終わっていた。
仄暗い主観的な私小説だったから、リハビリにちょうどよかった。「noteの暗めのエピソード日記」の延長みたいに見ていた。入門編というか。
青空文庫でデスクトップに表示された白背景で横書きの文字だったから、ほぼうつ病の自伝ブログとして読めた。マジで失礼な書き方しててファンの人には申し訳ない。
僕としては「小説の読み手として復帰に成功」みたいな大がかりなニュースだけど、この感動は伝わらないと思う。
なんか全体的に調子の悪い時の父親みたいだな、と思った。躁鬱で不眠で文化的で、何回も死のうとしたことのある父親に似ている。
この感想が出てくる自分が稀有なのかもしれないけど、調子が一番悪い時の父親のmixiのブログをなぜか読んだことがあって、それにそっくりだった。
自分の苦しみをこれ以上ない痛みとして表現するのに長けていて、言葉は駆け巡るように書き殴ったようでそれでいて繊細でわかりやすく、カッコ書きの内容はだだ長く関係がないところまで引きはがされるのに、当人にとって書き記したいことだと伝わる。
途中までノンフィクションとして読んだし、「いやでもやっぱこの人最後死ぬよねぇ」と思った。太宰治の最後の作品だとなんとなく知っているくらいで、どこまでがどういうつもりで書いたかわからないけど、感情に共感できる部分は多くて読み切れた。
本当にダダ暗い人の胸の内みたいで、仮にフィクションだとしても描写が上手すぎる。ただこんなに女の話してるとは思ってなかった。
あとがきとはしりがきの第三者視点の感想を含めて作品になっていて、その第三者とされる人が入水自殺して完成みたいになっているのがなんとも触れづらい。思っても言わないことなのかもしれないが、小説って文化に触れないからわからない。
そういえばなんなら父親が今書いているnoteのありどころも知っているのだけど、こういうのって本当は書かないほうがいい。ただ父親はネットに文や言葉を放つことのなんたるかを知らない時があったから、わざわざ今ここで書いておこう。
ネットに書こうもんなら息子は特定し普通に目を通せてしまうこと、覚悟しなさいね。こんな日記を読んではいないだろうけど。
そういえばこういうことを兄の友達グループの一人に言って、露骨に不快がられたことがある。「見られたくないからってブロックしてもそもそもの解決にはなってないよ」というと本気で不快がられた。
この人は怒りっぽくて頭が固く、賢くひねくれているから平気で矛盾する。かなり利己的だけど構ってはくれるし、憎めなくて好きではある。思想はおそらく全然合わない。その人は未だに兄の友達グループの誰一人もあちら側から友達とは思っていないらしい。それを明言しちゃうのもすごい。ツンデレということにしておくから、勝手にしてほしい。
まだ書くのか、と思われるだろうけどまだ書く。人間失格を読んだ感じ、感情が溢れる時は全然まだ書いていいなと思ってしまった。
人間失格を見ても「暗くて読めない」と思うほど暗くはなかった。胸糞悪い展開もなくて、ただ如実に表現された精神がおかしい人って感じだった。これを読んだ人に「これくらい暗い人だっている」という選択肢が加わるのが本当に素晴らしい。というか僕もそうなっている一人だ。これを読んで感銘を受ける、心がギシギシのやつなんてごまんといる。
ただ僕でも「暗すぎるんじゃないか」と言ってしまったことがあって、それは曲の歌詞の一節だった。
たぶん無意識のうちに「小説家の表現の幅」「音楽家の表現の幅」「漫画家の表現の幅」「ダンサーや俳優の……」みたいにわけてしまっていて、それを逸脱した暗さを音楽に感じてしまったのかもしれない。
これを好きな歌詞ですと言って評する時に、「明日死ぬんちゃうかって暗さだ」みたいなことを書いたのだ。「死ぬほどの暗さはないんじゃ」と知らない人に疑問を持たれて、それで違和感に気づいた。「こんなに暗いバンドソングはない」という感情が先走っていた。
いま心の中の天秤ではかっても、重みで言えば断然当たり前に人間失格のほうが重い。
あと人間失格にここが圧倒的に父親みたいだった!というところがあって、読まなくてもいいんだけど引用しておく。
「○○なんじゃないか?」みたいなほぼ無意味な疑問を父親は口にしたり文にしたりすることがあって、結果「わからない」という着地をする。
細かいところで言えば「他人の家のトイレ便器の蓋を開けて終えるべきか閉めて終えるべきか?今でもわからなくて」「結局わからない!」みたいな具合だ。話したのにわかんねーのかよ。ただその「わからない!」に変に感心させる説得力がある。「わかんない」という感情が重すぎてそのまま伝わってくるのだ。
こういう粗雑そうな脳のノイズが走っているであろう時があって、僕の調子の悪い時ともまるで同じだ。この引用くらいの読点のスピード感で、言葉が脳にこびりついている。
「朝は爽快なのかしら」みたいなお茶目さも父の放つ言葉にある。
今更ながらこういう側面を見ることができるのが文学だとしたら、かねてより文学少女すぎたらしい母と、サブカル的で情緒不安定な父が結婚したのは理解できる。
でもさ、あんなにヘンテコなカルチャーショックを小学4年生に受けさせないでほしかったな。
人間失格が700万部と売られる時点で、太宰治が大文豪な時点で、父親失格と思い込みそうな人間に素敵な母が惹かれる時点で、ひどく憂鬱そうな人間にも見世物としての価値がある……なんて書いちゃうと流石にとげとげしすぎるのかな。
そんな識らないミュージックに価値があるのだ!
面白かったです。
人間失格、サイコー!
すみません、オールドスタイルのスパイファミリーのCMが面白かったので無理に載せてしまいました。
地続きで読んで書いて落ち着いて、今が午前8時。
夜はぐっすり眠り、朝は爽快なのかしら。
今度は頓挫したコンビニ人間でも読もうかな。
こなまるでした。
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