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全部「お疲れ様です」って言わせてくれ【雑記】

少し前に人から言われて気づいたことだけど、僕の締めの挨拶が全て「お疲れ様」になっているらしい。

よそよそしい書き方で申し訳ないが、ほぼ無意識でそれが当然かのように「お疲れ様です」と言っていた。

友達と個人経営の飲食店から出る時に、自分たちと店員さんいわゆる2対2の状況で「ごちそうさまでした~!お疲れ様です!」と言って総ツッコミを食らったのだ。気づいたら友達も盛り上げと非難に回り、1対3になっていた。マリオパーティーか?知らない間にミニゲーム切り替わってたか?

それまでも普通に使っていた。1対1で不自然な場合も、ほぼ別れの挨拶だから指摘されることが少なかったみたいだ。違和感はあってもわざわざ指摘する理由と指摘する根拠が薄かったってことだろうか。「お疲れ様です」って仮にも挨拶だから指摘はしづらい。
この時は違和感が満場一致になって、それはおかしい!の根拠と場が盛り上がるという理由が十分になった結果だった。

不服ながらも納得というか、そこでようやくちょっと変だと気付いた。
不可ではないにしても、少しだけ違和感があるらしい。ツッコミどころにはなるみたいだ。

どうやら僕はワードチョイスがたまに変らしい。良いのか悪いのかわからないけど、初対面の人にそこそこの頻度で「賢そう」と言われる。友達には「バカ」「マイナー野郎」「ちょっとおもしろいだけ」と言われていて、初対面も深い仲の評価も多分どっちも合っている。
顔を見てというより会話の内容で判別されている感じで、言葉選びで評価を下されている気がする。


飲食店以外で、他どんな時に「お疲れ様です」を放っただろうか。
僕は終点のバス停に最終便で降りていたから、バスの運転手さんと実質1対1で挨拶することがあった。これも「ありがとうございます」だけでいいところを「お疲れ様です」と言っていた気がする。挨拶しない時もあったけど。
この場合、運転手さんも終業時刻が近いし合ってるのかもしれない。

コンビニの店員さんにも「お疲れ様です」と言っていた。この場合は僕が退店してもまだまだ労働が続く場合が多いわけで、たぶん適していない。わかんないけど。
働いている人以外なら、知り合いと会って別れる時。「おつかれーす」と言っている気がする。
だいたい違和感を覚えているのか、少しツッコミたくなっている雰囲気を感じることが多い。
実際にほほえまれた時と、笑いながら何それと言われた時がある。どうやらそれくらい「お疲れ様です」はふさわしくないらしい。仕事じゃないんだから、みたいなことだろうか。

でもネット通話の終わり際は割と言うし……文化の違い?結構言う人は言うよね、多分。時と場合としか言えないか。


どんな時も全員に「お疲れ様です」って言いたくなってる。

言い訳させてほしい。

一番言いたいのは、いやいや疲れただろ!っていうその一心を込めているってことだ。
一瞬でも他人を相手して、疲れてないわけがない。
確かに僕の主観でしかないんだけど、どれだけ相手が好きでもありがたくても疲れはあると思っている。というか、疲れの大小はあるにせよ何やっても疲れはするだろうと。ただ呼吸してるだけでも基礎代謝でカロリー消費するし。
「一緒に居ても疲れない」というのも「消費するエネルギーが最小限で済みます」でしかないと僕は思う。生きてるだけでえらいとまでは正直思えないが、生きてるだけで疲れるよね、疲れて当然だよねとは思う。

どの行動が一番疲れないかで言えば睡眠だろうが、それでも心臓は動いちゃってる。そこに存在している以上は寿命を使って立っているわけで、それを労おうとすると僕の挨拶は「お疲れ様です」になっちゃうのだ。
常に疲れが取れない……トホホ……睡眠が足りないにょ……ショボン……と喚き散らしているわけじゃなくて、何しても寿命は一定で減るし僕は誰に対しても「お疲れ様」と言いたい。どうやら挨拶としては蛇足らしい。

「時間の経過すべてに対して有効な万能ワード」だと思っていた。

僕は「力を使いましたね」とは全く思ってなくて、「時間経っちゃいましたね」くらいのニュアンスなのだ。
書きながら確かに一言で伝わるわけもないな、と思った。でも今の考え方として書き残しておきたい。読み返してもまあ屁理屈だ。


言われてみれば、どこから目線か分からない人から労いの言葉をかけられるよりは、シンプルに感謝だけを貰ったほうがいいかもしれない。
たぶん普通感じる違和感は、「お前は誰目線なんだ」というとこにあるんだろう。仮に心に余裕がなかったらムカつく可能性もあるし、やめとくか。不必要な優しさも時にはある。
嬉しい人もいればムカつきや違和感を覚える人もいるなら、やめとくのが無難か。
僕の全人類お疲れ様です計画が……。



言葉、特に挨拶って通貨みたいなところがあるのかも。
その言葉自体に信用がないと、そもそも受け取ってもらえない。
「この国ではそうやって使えるものだよね」という前提が共有されて初めて交換できる。そこに相応しくない、信用ならない挨拶は弾き返される。
「わたしのありがとう」と「あなたのありがとう」を換えましょうね、だからやってることは物々交換に近いけども。

周りで取り扱ってるから使えるようになるだけで、僕の「お疲れ様です」も新500円玉みたいなものだと思うんだけどなあ。
流行んないかな、お疲れ様文化。それが普通のところもあるだろうけど。
まだまだ新500円玉は両替機に弾き返される。

さすがに言いがかりすぎるから、挨拶は「ごちそうさまでした」「ありがとうございます」でとどめとくか。
不服だけどね。

こなまるでした。

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