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noteくん、今の備忘録【雑記】

noteでnote自体のことについて書くのはめちゃめちゃめちゃめちゃやりたくないんだけど、書いてみる。かなり憚られるなんてレベルじゃなく、アクセス稼ぎに見えて書きたくはなかった。別にアクセスだけのためにやってないし。
でも書いてみないと考えが吐けている感じがしないというか、モヤモヤしたまま一日が始まりそうだった。もう12時だけど。
そんなに不穏なことは書かない。思うことは4つくらい。


一個目は、noteが思ったよりもSNSっぽいぞ?ということ。
つぶやき機能やらコメントやらスキボタンがある時点で、少し察しはしていたけど。純粋な日記記録アプリとか個人ブログとかと違って、見せるために書く部分が大きいからこうなるのも当然か。
Xで言うところの140字が、制限なく目安2000字程度になっただけ、みたいに見えている。
書き始めて他の人の文も見るユーザーになるまでは、高尚かつ詐欺臭い、いけ好かない場所だと思っていた。それでも詐欺臭さは多分使い続ける以上はずっとあると思う。構造上取り除けない感じするし。

純粋な日記共有アプリより人同士の干渉が大きい。反応欲しさに始めたし良し悪しが分かるのは便利なんだけど、そればっかり見るようになるとなんか思てたんとちゃう!という気持ちが強い。
とはいえこっちから干渉しにいってる部分もかなりあって、純粋に面白いから反応しているけどお返しみたいな文化がウザいなっていう……。
今はまだ、サービスが続く限りは書くつもりでいるけど。



二個目。
僕は軽く面白いと思っただけで「スキボタン」を押している。かなり軽率で安いボタンだな~と自分でも思う。
そもそもSNSの好意反応のボタンって、本当はかなり安い。安い割に受け取ると嬉しいからこそ、人がハマってしまうんだろう。安くて美味い定食屋に人が流れて……違うな、この例え。

最近はXでも、本当に軽率にいいねしている。SNSの欲も、のめりこみさえしなければ別に趣味のひとつとして可だと思う。
お酒と同じで適量が大事。そもそも一杯も飲まないほうが健康にいいって研究が出てるから、そもそも触らない方がいいのはSNSも同じかもしれないけど。

僕の反応の基準は、全部一定で「ウケますね」だ。

『「○○で草」は「それは笑うに値します」を意味していて、別に笑ってはない』みたいな投稿をどこかで見た。誰の言葉か覚えていないけど、的を得ていて見た時驚いた。そもそも草が言葉としてキモいのは置いといて。

僕のいいねやスキも「草」に近い。「ウケる部分、あります!」だ。
いいねやスキをしたとしても、全て総合的に見て面白いとは思ってない。全部が面白い場合も勿論あるけど。
無償の好意なのに、全部が面白い時だけ押してたら押すタイミングがない。その時面白いと思っているのは確かで、意図的にハードルを下げている。別に安くて良くね?とここ3年くらいで思い始めた。

どこか一部分の表現や、その人がそれを言っているっていう人柄とか環境とかの文脈も汲んで、ウケがこみ上げた時にいいねやスキを押している。
そこまでいいね一つに考えたことないと思ったかもしれないが、別に僕もそこまで考えてない。なんかモヤモヤしたから、たったいま形にしてみただけで。

「うたよみん」という短歌アプリがサービスを終了したことがある。
憶測も憶測だけど、「お返し」で全体的に廃れていったと思う。
短歌SNSとしては申し分なくて、文字数表示やデザインや週ごとのテーマに沿ってこだわって発信できるいいアプリだった。
そのうち「短歌の実力とは言い切れないが絶対的人気の人」や「絶対にお返しをくれるからいいねが伸びる人」なんかが出て、論争が過熱するような短歌すら詠まれた。
なんだよ、SNS論争の短歌って。

結果、運営はいいねを非表示にした。
もちろん無償で送れる反応だけど、詠んだ側も誰からの反応か見られない。
いいねする側も、それがどれくらいの数で評価されているのかは見られないようになった。
その後は下り坂で、ユーザーが減って広告収入が減ったのかサーバー運用費が上がったのか、真相は定かじゃないがサービスが終了していた。
実際のところ、いいねが見えなくなっても使い続ける人はかなり少なかった。

インターネットって、ずっと見てるとたまに寓話みたいなのが発生する。
ソーシャルゲームの廃れ方なんて、失礼だけどいちサンプルにして学ぶなら良質なのが何個もある。

仮にも創作みたいな良し悪しがあるものに、お返しみたいな文化があるとただただ厄介だ。

実際にnoteでも「自分が面白いと思う文章」と「スキが無尽蔵に伸びてる情報商材導入の記事」とで、スキ数では面白さを判断できない。
スキの数は多分サービスが始まってから今までずっと、面白さの判断基準にはなれていない。ダッシュボードでアクセス数を見たとしても、それは他人からの興味の数であって面白さの基準ではない。
その人の属する畑によって、相対的にある程度は計れるんだろうけど。
畑によってスキの伸び自体が全然違う雰囲気がある。
あと客観的な判断が難しいぶん、僕は僕の文を改善しながらずっと面白いと思い続けたい。

何が書きたかったかって、別にお返しを求めてないということ。
高級なボタンとも思ってなくて軽率に押してるだけだし、気張らないで他人が書き続けてるのも見ていたい。
それでも全文読まなかった記事は絶対にスキを押していないし、読んでもよくわかんなかったら普通にスキしないことだってある。
絶対的に評価しているわけでもないけど、面白いと思わなかったらそもそも押さないから安心してほしい……みたいな。
これもSNS的な他人に向けた書き方で、だいぶ書くのは嫌なんだけど。
お返し文化のせいで、非会員ユーザーからとか閲覧専用アカウントからとかのスキのほうが3倍くらい嬉しい。これもあるあるだと思う。
だから気にせず押させてください。

もう一個。僕は他人のネット日記を見るのがかなり好きみたいだ。
個人でページがあるはてなブログでは漁ろうとも思わなかった。noteは書く前のページと直結していて寄り道しちゃう。おすすめみたいに嗜好を汲んだランダム機能があるとやっぱ見ちゃう。

小説もライトノベルも漫画すらも読まなかったのに、日記だと不思議と読める。逆にそれらはなんで読めない、読もうとできないのか不思議だ。
なんだろう、物語って嘘すぎると思ってしまう。あらすじ聞いたら満足しちゃう。4割読んだあたりでなぜか飲み込めなくなる。
フィクションへの真剣さがないんだろうか。そもそも「フィクション」って思っちゃってるから無理、という説もあるか。
変に気を張っちゃう。紙の本も無理。若林正恭のエッセイを2冊買って20ページずつだけ読んで、伊坂幸太郎の本を買うだけ買って開くことすらしてない。僕は全然文学的じゃない。
人の話を聞くのが好きなだけで、そんなだから電子書籍はまだ試してない。ブログ調の横書きだったら試してもいいかなと思う。

この文じゃちょっと独り言すぎるか。

日記と考え方の文章しか評価できてない。ポエムや小説の類にこちらからスキしてないのにも、当然全文読めてないしわからないって理由がある。

別にnoteにSNS的な部分を求めているわけでも、物語を毛嫌いしてるってわけでもないんだけど。ジャンルとして好んで読まない。
スキを返そうという気持ちもないから、ちょっとだけ申し訳なさがある。

あともう一個だけ。
僕の文が綺麗になっちゃってる。

なんか捻じれた考え方と話の着地をしている人がやっぱり好きで、そういう人は文が無駄に綺麗だ。ノイズがないから話としてスッと入ってきやすい。
いまだに書いている人のオススメなら「やひろ」さんと「高倉大希」さん。

「いい人」って「よく知らない人」なのかもね、みたいな着地の記事。
こういう個人の考えのコラムっぽいことをずっと書いていて素敵。
当人が「ブログ」と称するのも納得感がある。
あと僕がこの人の文章が好きなのも、自分の文を見ているとなんか納得感がある。

この人はプロの引用を使いつつ、文章論や知見を年明けから1年くらい書いている。ちょっと冷たさもあるけど、引用するフレーズがいちいちグッとくる。引用力も文章力のひとつだと思う。


少し前のブログを読んでいた友達から「懐かしい!でもこなちゃんの文もっとチョケてたよね?」と言われた。うん、チョケてたよ。いいこと言うじゃん。

別に今でもチョケたい時はチョケるし、こういう形になったのも満足している。
チョケるって関西弁でふざけるって意味らしい。僕がチョケてる様子は、はてなブログの昔の方を見てくれたら伝わる。

よくわかんないことを言いながら、よくわかんない話し方で話すとまず相手にされない。
よくわかんないことこそ、真面目な顔で話したほうが聞いて貰える。聞いてもらったうえで評価は委ねるとして。

全力でチョケれる日が来るまで、とりあえずこうしてブツブツ言っておこう、みたいな気持ちで文を書いている。

僕はそもそも面白いものの方が好きだ。


遺言みたいに書いたけど、そもそも日記は趣味として楽しすぎる。
今のところはずっと書き続けたい。これを優先できるくらいの拘束時間の職に就きたい。無職だから時間を取れている部分がどうしてもある。

忙しいと書いて更新が減っているあの人は元気かな。でも無理をせずね。
なんて、いろんな日記書きに2か月と少しだけでもだいぶ愛着がわいている。

なんかね。面白いね、note。


こなまるでした。

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