見出し画像

ピン芸はなぜ笑いにくいんだろうか【雑記】

お笑いムズ……。別にお笑いの人では全くないのだけど、お笑いってムズいなぁと思っている。
具体的には、一人で書く文章で面白いと思わせるのって限界あるなぁと思っている。
そもそもバカ笑いさせる面白さじゃ全くないから、考えてもしょうがないんだけど。なんなら100%感心の気持ちで見てていい。

R1の優勝者や決勝メンバーから一人だけで取る笑いの種類を考えてみたり、トリオ漫才師の難しさを見て二人だけでの掛け合いってスゴいなぁと思いを馳せたり。

お笑いに分析は不要だと云う言論も多いけど、分析することで面白くなっていく類のものではあると思うのだ。言葉や芸術、僕はもっと分析されてほしい。型にハメることで、型からハズれた面白さが出てくる気がしている。

万人が笑うものなんて共通で答えがあるから、仮説を立てたもんがちだ。その仮説を常に振りかざすのも違うだろうけど。

なにに対してもそうなんだけど、考えて上手くなるのって考えること自体であって、その行動自体ではない。
ゲームの考察をしても、それをパターン化して行動にできたらいいのにできないから上達しなかった。頭で理解できるのと行動として達者になるのは全く別で、達者である人が正義だ。
ねじって考える部分だけが無駄に伸びていくから、捻くれ考察選手権があったらいいとこまで行けると思う。


ピン芸って基本はあるあるでできている。
それぞれをグラデーションで言うと、あるあるのピン芸、中間の漫才、ないないのコント。コントと漫才の間にトリオ漫才。持てる笑いの幅が広いから漫才が一番好きだ。
でもこうやって分別すること自体マズい気もするな。

「あるあるを客観的に持ってきて斬る」か、「あるあるに主観的に乗り移ってお客さんに斬ってもらう」だ。後者はタブーに近い部分に触れることも多い。
必ずどちらかに振りきれるものでもなくて、割合で言うと7:3だとか2:8だとか混合だと思う。ただほとんどの場合「広義ではあるある」だ。

「なんかおかしくね?」の部分を笑うから笑いがあるし、それが楽しいからわざわざできるようにした形がお笑いだと思う。「絶対にありえない設定」もあるあるから派生している。

客観的なあるある芸と言えば、フリップやモニターを使ったもの。
田津原理音もお見送り芸人しんいちも野田クリスタルも粗品も、どちらかと言えばあるあるを客観的に斬っている。世間一般の違和感をボケとして、ツッコミとして違和感を消化している。
ギャガーみたいなのも、納得と感心が伴って笑えるからこっちだと思う。

主観的な憑依あるある芸と言えば、ヤバい人。
世間から逸脱していてヤバいと思われてしまう人も、捉えようではあるある芸のひとつっちゃひとつだと思う。
「ダメダメダメダメ!!!!」と思いたくならざるをえない状態にさせれば、ボケとツッコミが成立してるも同義だ。ハリウッドザコシショウ、ゆりやんレトリィバァ、アキラ100%。
優勝した人以外なら、横澤夏子とかルシファー吉岡とか吉住とか森本サイダー。「いるいる」になるから、「コントに入っている」という前提はあるにせよこっちだろうか。

濱田裕太郎はどうだろう。タブーに自ら触れて「いやいやいや」と言ってくれるから面白い。どちらかと言えばスタンダードな前者なんだろうか。

なんかこう、ピン芸ってそもそもが笑いにくい。
笑いどころを客個人で判断する感じというか。
ツッコミがフレーズを口にしたら笑えばいい形と違って、各々に刺さったかどうかで笑えるかが決まる。

否定してくれるだけのツッコミがいるだけでめちゃめちゃ面白いと思うのだ。おいでやすこが、ランジャタイ、カベポスター、霜降り明星、ウエストランド。
「いや、」と言ってくれるだけでバカみたいに笑える漫才の形がめちゃめちゃある。「えっ」でもいい。ヨネダ2000みたいな。

否定すればいいだけのボケって日常生活でも凄い多い。たとえばチョコレイトディスコを黒柳徹子に替え歌していた場合。ねーのか、そんな場合。僕の家庭ではあった。
クロヤナギ・テツコ♪と歌っている人がいて、それだけでも面白いのは面白い。ただ「替え歌すんな」と言えば笑いやすいひと笑いに変わる。補足すれば「大御所の名前で替え歌すな」か。
もっと簡単に否定だけのツッコミをしていいと思う。誰も傷つかない笑いは幻想。笑えるかどうかも捉え方次第、傷つくかどうかも捉え方次第。笑いやすい題材や傷つきやすい題材は確かにあるから、そこを避けようって話だろうか。

逆を行く人たちもいる。二人してボケて、客に判断を任せていることで癖になるウケが出る人。
具体的にはキュウのことを思っている。だから最初好みが分かれていたし、今でも笑えない人は笑えない。お笑いファンに飛びぬけてウケる漫才も「どこで笑えばいいの?」と言われると終わりだ。

R1グランプリがお茶の間にウケないのも、二人してフザけてると思われると毎回M1の決勝で最下位になってしまうのも、笑いどころを自分で見つける必要があるからだと思う。ダイヤモンドもランジャタイもキュウも一回目のマヂラブもニューヨークも、二人してフザけてると思われてしまった。

客が「いやいやいや」と思い始めたら勝ちだ。M1の準決勝と決勝でウケ量に差が出てしまうのも、笑おう!っていう客の気概がそもそも違うからだと思う。M1準決勝2022のキュウの「全国弁」はスゴかった。
意味が分かると怖い話はわからなかった時のギャップで更に怖くなるが、面白さにもそのギャップが発生しうる。例えかわい。

文章も同じことが言える。
一人でただただウケようとすると、見る人からしてウケどころがわからないのだ。
だから画像のキャプションで例えツッコミする形の工作ブログはわかりやすく面白い。笑いどころが明確だ。
文章だけの独り言は笑いどころがない。本気で言っているのかわからない。
小説としてコントインすれば笑いようはあるにしても、現実のテーマでやろうとするとエピソードトークになってしまう。自分以外の登場人物が必要だ。

なにが書きたかったかって、この感じの文でウケ方面目指すのは厳しいよねってこと。感心して帰ってくださいね。
ここまで書いて伝わったのって、「このひとお笑いすきなんですね^^;」だけなんじゃないか。

「ピン芸はなぜ笑いにくいんだろうか」というタイトルへの返しは、「笑いどころを判断する必要があるから」にしておこう。
最初はそんなつもりで書いてなかったけど、引きがありそうな題はこれかなって。

この記事でやったのって、「分析」「型にハメる」「一方的な意見」だから多分すっごいタブーだ。
トリオのことも書こうと思ったけど、あまりにも型にハメすぎるからまた今度かな、と見送った。お見送り芸人……?
読み返したあたりで公開やめとこか、とも思ったけど勿体ないから上げておくね。
誇張したお笑い分析家のモノマネでした!ゴース!

こなまるでした。

フォローとスキを求めています