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心の内に秘めれやしない 24/01/11

書きたいことが多くて、いつも通りに書いたら暴走したような文字数になりそうだから整理する。

・ハローワークに行って残高がわかった
・でっかいハンバーガーを食べた
・心療内科の通院継続の手続きが面倒そう
・路上で泣いちゃった
・スマホのバッテリー換えた
・スマホを持たない時間があった
・めちゃ歩いた

熱量がなんとなく700字ずつくらいと仮定して、5000字くらいになっちゃうんだろうか。悪い思考なのにいい気分の日だった。

7000字でした。は?


歩いてハローワークに向かうことにした。早起きしたし。
歩きながら音楽を聴くのが好きで、気持ち良く晴れていることが早朝の時点でわかったからだ。

何時にその場にいればいいのか理解してなかったけど、施設が開いてすぐに駆け込んで聞けばいいと張り切って8時に家を出た。

またCloudsurfから自動再生をスタートした。
歌詞を見ても取っ散らかってて曲の意味なんて何もなく感じるんだけど、気が散ってることを肯定してくれるみたいで楽しい。
曲名も歌詞も、どことなく行くあてなく歩いている雰囲気がある。

そこそこの距離があるのがわかっていたが、時間読みが当たった。9時に到着しようとして、8時57分に門の前に着く。機嫌がよくなっちゃうぜ。

到着してから気づいたが、来るべき時刻は9時から9時半と書類にしっかり記入されてあった。赤いハンコで押してあった文字だったから見逃していた。
おそらくハンコは「自分が見るべきではない部分」として読み飛ばしているのかも。致命的なので直そうと思う。

その時刻を過ぎるとめちゃめちゃ頭を下げることになるかシンプルにお金が貰えないっぽかったので、運がいいと思うことにした。
注意散漫で極端なミスをすることがあるから、本当に大事な時はそもそもどっちに転んでも失敗にはならない動きをする必要がある。折りたたみ傘をずっとバッグに入れっぱなし、みたいなことだ。

一度鉛筆で失職認定の用紙に記入し、勘で提出して「ここはチェックを入れてもらわないと認定できないです、あとボールペンでお願いします(意訳)」と言われて「ヘヘヘ……」と思いながら書き直した。口に出てたかもしれない。こういうのを勘で出して通ったことがない。

86784円。
一週間後に振り込まれるらしい。働いていた時の手取りがこれの2倍から2.5倍、親に家賃もどきとして払っていた5万円のことを考えると充分生きていける金額だ。
家計簿が苦手だから電卓をポチポチして、そのスクリーンショットを残金として過ごすことにした。毎月の年金や保険料を込みで考えると暮らしていけない残金で、肩の荷が重くなるのを感じ取った。肩の荷が降りる時はわかりやすいけど、載る時もあるんだな。肩の荷ってつまり重たい気分のことか。

求人票は見なかった。これ以上の肩の荷は積載量オーバーだったからだ。
現実逃避が得意で、こういうのは多く受け止められない。飛脚としておうちに持って帰って、1ヵ月以内にまた取りに馳せ参じます。どちらにせよ形だけでも就職活動はしないとお金が降りない。別に働く気が全くないわけではない。

直帰しても10時くらいで退屈で気を病むから、前から気になっていたハンバーガーを食べに行くことにした。ハンバーガーが主食になりつつある。

バーガーキング公式サイトより引用

年末年始限定商品というのが外食チェーン産業にはあるっぽくて、これもそのひとつだ。

バカみたいにデカくて、4枚のパティとこれでもかと添えられたケチャップ・マヨネーズ・チーズが我こそはハンバーガーだと主張してくる。バーガーキングに行くのは2,3年ぶりくらいだと思う。

セットでドリンクを多めにすると2500円程度になる。高いと感じるけど、これを逃すと1年後だと思うと足が動いていた。円安ドル高でアメリカのビッグマックセットは2700円にもなるところがあるらしいし、ザ・アメリカンなハンバーガーを徒歩で食べに行けるならアリだった。

イオンモールに内設されていて距離も遠くないから、また徒歩で向かった。

10時に開店していて、ついた頃の待ちも2人程度。
3分とない待ち時間で運ばれてきて、写真を撮ろうと包を開けるとケチャップが牙を剥いた。出会って5秒で指ベタベタだ。

想像通りかなりおバカな見た目をしていて、宅配ピザを頼んで蓋を開けた瞬間と同じありがたさに心躍って、尻尾がパタパタした。
多動における尻尾とは、椅子に座った時の足のことだ。これで顔が良ければ……と一日に平均2回くらい思う。この日は10回くらい思った。

美味しい。量が多い。ケチャップがめちゃめちゃつく。口を拭う。美味しい。量が多い。口を拭う。

僕でも一口がそこそこ大きいほうだし、バーガーキングで大きいサイズを頼むたびに「無理な人は無理じゃない?」と思う。恐らく持って帰って包丁で等分でもした方がいい。

味は文句がなく、求めていた品質を130%くらいに越えてきた。こういうバカな味でハードルを越えてくること自体珍しい。宅配ピザなんてハードルを2口目からくぐっていくのに。とにかくパティが美味しい。

ちなみに前に買った冷凍のチーズバーガーは、美味しく食べられることがわかった。
これもトマトを除いて9等分くらいにして、個包装で冷凍庫に入れておけばジャンクな食欲は満たされるんじゃないだろうか。

食べ終わって手を洗って店を出て、トイレに寄って、鏡のある手洗い場で確認しながらまた手を洗った。
拭ったつもりのケチャップは鼻と口元と上着の袖についていて、「罪の代償……」と思った。鮮血(ケチャップ)を拭って、またまた顔が良ければかわいいのにねぇ……と思った。

もっと言うなら、本当の罪の代償は体の健康だし。袖の汚れは日の光にあたれば乾きそうだったから、水とハンカチで拭き取った。

イオンを出て腹8.5分目くらいになって、動きたくないからちょうどいいベンチに腰掛けた。

マンションの前にある白い石のベンチで、大きな交差点が見えて景色に飽きない。日向と風も暖かいのに涼しげで、腰掛けた石の冷たさは脂質と糖質で火照る体のバランサーみたいだった。気持ちがいい。

このままカメラが空にクローズアップしていって、「~fin~」って人生が終わらないかな、とも思った。理想の終わり方って多分これだ。

父親がハンバーガー食べてる時にピストルで脳天ぶち抜かれて人生を終えたいと言っていたのを思い出して、母親がエンディングノートをこそこそ書いているのを思い出して、足して2で割んなよと思った。
仕事をやめてから、親からの思想の混ざり方をまざまざと思い知らされる。マザファザとね……(?)


~fin~


としたいとこだけど、この日記は体感1/3くらいだし人生もまだ体感1/3くらいだ。音楽を聴きnoteを見てXにくだらないことを呟いて、冷めた面してコンビニに向かった。逆エレカシ。

脳に変なリソースを使って体が落ち着いたから、コーヒーが飲みたくなった。

コーヒーカップの蓋アンチなので、周りに匂いを気にするような人がいない時は開けている。火傷するし香りもよくわかんないし。あんまり熱いと楽しむどころじゃなくて。
味も薄い方がいい。変にこだわりあるように見えるけど、味に関して高級か安価か濃いか薄いか以外はあんまりわからない。雰囲気でコーヒーを飲んでいる。

コーヒーカップの蓋アンチって「やぶらこうじのぶらこうじ」みたいだな。

みくのしんさんの文を読めば最後、みくのしんさんみたいな自分の文への触れ方をしてしまう。「みくのしんさんみたいな触れ方をしてしまう」で1みくのしんカウント(書いた文章に適当言う)なのに。
この文章まだめちゃめちゃ続いちゃいそうなのに。

書きたくないんだけど、戻ってパチンコをした。
いつも全然しないが故にやってみた。22歳で5回目ならまだマシだろうか。

なんでわざわざ書いてるかって、「パチンコをしている」という後ろめたさが大きすぎて全然その記録が残っていないからだ。

4000円負けて、唾を吐き捨て中指を突き立てるみたいに30分もせず退店した。「ケッ!」ってこういう時に言うんだな。犬のかがやきみたい。

もう行かない。
次に娯楽用の4000円が貯まったらふくおか吉本の劇場に初めて見に行くんだ。


あとパチンコをする前、スマホのバッテリー交換を予約していた。
小さなスマホを使っているうえに最大容量が76%で、ものの20分でバッテリーが一桁%になる。予約をすれば1時間後で1000円引きらしく、パチンコはその時間つぶしだった。トータルで損になったじゃん。

賭けは「増えるかもしれない」のワクワクの部分にお金をつぎ込む文化だと思っていて、なくなっても文句言えないと思うが故にあんまりやりたくない。
僕としては射幸心を煽るならローグライクゲームでもやっていた方がいい。というのは4000円負けた人間のあとづけか。行かないというより行きたくないになったから、結果としてはよかった。

交換するためにまたイオンモールに戻ってきた。電器修理屋もあるらしい。
イオンってなんなんだ。経済の縮図?

これは終わってから見たことだけど、無駄に歩きまくったから人生で一番歩いた日だった。それでも3万4千歩/25kmで、フルマラソンって文化が怖くなった。

バッテリー交換の間、1時間ほどスマホを持たずにイオンのなかを散策した。

情報を入れもせず出しもせず、30分くらい不安になりながら、見る物も買う気もないまま雑貨屋をブラブラした。
こんなに離れたことがしばらくなかったから、この程度でも依存が理解できた。

情報を出したいのに出せない、入れたいのに入れられない状態。なんだかパチンコの球がレバーを回しても飛んでいかず空のままカチカチ音を出しているのを思い出して、無性に不安になっていた。

これだけ長い文を毎日書いている人間を見ていて勘付く人もいるのかもしれないけど、もともとはスーパー不安人間だ。面白いものが好きなだけで。

途中で本屋に寄ってからは解決した。むしろ修理屋に遅れて受け取りにいったくらい楽しかった。

本を進んで読む人間では全くないんだけど、インターネットがまだこの世になかったら本を読んでるんだろうな、なんて思いながら立ち読みした。

この本、自分の不安がどこかに行くくらい面白かった。立ち読みで申し訳なくなるくらい。

脳科学としてイラストで有益に解説していて、あとがきでもまえがきでもTipsでも欲しい補足説明がある。
「まだ研究段階」「この限りではない」みたいなことが赤裸々に書いてあって、誰だかわからないけどお金貯まったら電子版でも買おうかなと思った。
……書いてから気づいたけど、電子版はないらしい。本を読まなすぎてそういうのも知らない。

「アルジャーノンに花束を」をチラ見して「人間失格」よりずっとしんどくなっちゃいそうだなとか、「正欲」って思ったより性欲が題材の話なんだとか、自分が文学的じゃないと思ってる割には飽きない。

受け取りに戻りピカピカで元気になったスマホを見て、バッテリーが摩耗する使い方をやめることを心に誓った。クリーニングも頼んだの、間違ってなかったな。
メガネを買った時も思ったが、なあなあになって杜撰な扱い方をしないようにしたい。

子供がペット飼いたい!お世話する!って言う時みたいに愛着からこういうことを思うのだけど、毎回なんだかんだ雑になってしまう。
ペットなら家族がムカつきながら代理で世話するけど、自分の所有物だとそうはいかない。基本が直らないくらい雑な性格だから、雑にしちゃいけない部分は自分のなかで約束しときたい。


通っていた心療内科にも寄った。

最近はめっきり薬を服用していないし通院してないけど、県が補助している制度の更新期限が迫っていて、一応相談がてら寄ってみた。14歳くらいからだから、2年更新で4回目だろうか。
自立支援医療といって、通院や薬の自己負担が1割になるし月5000円より上は免除してくれる。

税制のものだから破格なんて言ったら角が立つが、通う可能性があるなら持ってないと困る。不眠と不登校で悩んでいた時に、知らないうちに親が申請を工面してくれていたものだった。

自分には正直そんなに治す気がなかったのに、こういうのを真摯に処理できる親でよかったな。そんなことを思い始めたのも、高校3年生くらいからだった。

ストラテラとエビリファイの作用も知らずに言われるがまま飲むのって、結構恐ろしくはあるけどね。今は軽いジスキネジアも出てしまってるし。
でも飲まなかった世界線は、今ほど自分のことを好きじゃないと思う。多分。

・仕事を辞める前から投薬をやめても困るとはあまり思っていなかったこと
・投薬の効果を意識すると一時的に気分が悪くなること
・服薬すぐに苦い気持ち悪さがある場合があること
・習慣づけるにしては仕事が忙しいと感じていたこと
・担当医が短期間に2回変更になったこと
で通院頻度が遠のいた。
総合的に余裕がなくなっていた。

前にその病院に来たのは仕事をやめるちょっと前だから、約3か月ぶりだ。

8月15日に辞職を相談するまでの半年間、薬の量には変化があった。僕を常人っぽく振舞わせていたのは、やはり薬だったんだろう。

でも薬の量に変化があったのは、仕事量が増えて飲み忘れないのが無理だと思ったからだし。しゃーない!

こうやってうだうだ思考を書ける僕の方が正直好きなんだけど、その状態でも生きて稼いでいけるかは不安がある。

一番薬が効いていたのは2年連続の留年を回避した時だと思うし、その時に書いた文は今より整然としていて読みやすい気もする。

そうでもないかも。


少し待たされて聞いた話には、ちょっとだけ動揺した。

頻度的に医師の再診断が必要なこと、今日はその再診断にスケジュールが合わないこと、定期通院の方に向けた制度だから申請が通るかは怪しいこと。

いや、かなり動揺した。まるで自分のグレー度合いが薄くなってる、と宣告されたみたいだった。
未だに発達障害のことはよくわかっていない。他人も自分も。

「一度持ち帰って電話してまた予約を取ります~」と伝え病院を出たものの、再診に向けて動ける気概は全然なかった。

自覚では現状の心情に困ってないからだ。
現状困ってないけど困る時が出てきたら嫌だから相談に行って、「現状困ってないならちょっとダメ」と、はねのけられたようにすら感じてしまった。

実際には文字通り「定期通院してないから別日に再診断が必要です」でしかないし、対応した事務員さんは相手が動揺するのを見越したような物腰の柔らかさだった。
本当に考えすぎているだけ。

二次障害にならないように、適度に再診も考えているけど迷いがある。そんな本を立ち読みしたばかりだし。

寝て起きていま書こうと思ってなお、やっぱりこの時感じたことは変わらずに書ける。

そういえば医師の診断書を本当に見たことは無いし、8年前にWISCⅣという検査のIQ差を見たくらいだった。今も画像フォルダに保存してある。
診断書はそのまま申請に使われていたのだろう。

発達障害診断書の文面なんて見たことないな~、お目にかかってみたかったな~、とあとになって考えながら道を歩いた。

もう来る気がないくらいの、なんだか一章終わったくらいの気分だった。

主観で困っちゃないけど、困りそうではあるし、客観的に見て困ってそうな状態にはあるのだ。
よくわかんなくなって初めて路上で泣いていた。人通りの少ない道で6粒だけ。

この日はコンビニのコーヒーを飲んだあたりからPEOPLE1の鈴々って曲をリピートしていたけど、ポップな曲が聴けなくなって、リピートを解除した。

その曲の
「すばらしい世界にありがとう なんて思えないから」
「三分前の暗闇と 君の憂鬱を歌うから」
「最終回のその先へ 君の不安を歌うから 好きな自分を選べばいい」
って歌詞でうるうるとしてしまってたのに、次に流れたのは「僕の心」って曲だった。

この曲で泣いちゃってるの3回目だな~、今度は路上か~、ウケるな~、と思いながら溢れ泣いて、自分の客観視に悲しくなりながらもスマホのインカメラでそのままの写真を撮って、非表示のフォルダに入れた。防衛反応か、悲しくなりながらウケている。

死ぬのは題材として面白いのに悲しいし、それと同様に人が生きるのも悲しいのに面白い。
他の人がどうだか知らないけど、泣いている時の僕は同時に「泣いてるな」と思う自分がいる。

漠然とした生きづらさに確証がないこと、理解されなくたって辛いことを、こんなに声色だけでもメロディだけでも歌詞だけでも伝える曲を知らない。

好きな他の曲には、それこそ鈴々には「頑張っていこうぜ」みたいなニュアンスがあるけどこの曲にはない。

寄り添うというか、「ほっといてくれ」って一緒に思ってくれるだけだ。

まあ分かってんだホントはさ
そんなの言い訳だって言うんだろう
ほらやっぱりねそうなんだ 大体そういうもんさ
分かってるんだよ
分かってるんだよ

だのにどうだ 僕の心は
惨めで悲しくて 消えてしまいたいの
もうほっといてほしいよ
なんにもうまくできない僕のことなど

頑張ったってこんな出来栄えじゃ
まるでやってないみたいでなんか

なんかさ やるせないよなあ

分かるわけがない 知るわけがない
この僕の本当の心を
みんなにだって そう君にだって
分かるわけがないでしょう

分かるわけがないでしょう

どうやって仕事をしようか、生きていけないかもしれないな、薬を飲んだままの方が、辞めない方が楽だったかな、勤務を増やさなきゃ良かったか、僕だけなんかな、言い訳かな、認められやしないよな、なんて思うと気持ちと視界がグラグラになって、こぼれた。

これを分析して、歌詞を引用して、自分を観察して、言葉にはできる。
それだけ面白がっていて、他人が見ても興味深いもの面白いものだと思っていて、それ自体が気持ち悪く感じて、それでも理解はされないと思っていて、そのあと涙が引っ込んだ。

そもそも外だし。

神にでもすがりたくなって最寄りの神社にまた行って、今度は前よりちゃんと鳥居にも礼をした。名前を唱えて、仕事運の御守りを買った。

初めて御守りなんて買ったな、なんて思考のグルグルを足に回すように、ずっと徒歩のまま家路についた。普通に筋肉痛になっている。

今の方が、書きながらしっかり泣いてる。
泣きながら書いた日記なんてネットに出していいのかな、親にも友達にもお世話になった先生にも見ていいからねって言っちゃったが。
でも苦しいの自分だけじゃないし、みんな苦しい時はあるし。こういうの隠さない人がいてもいい。

見返した未来の自分も、よくわかんないままの過去の自分も、見ているか見てないかもわからない他人も。
本当はわからないからこそ、苦しみに優劣はないと思う。
痛みは想像する、近いものを体験するくらいまでしか共有できない。テレパシーみたいにできたら痛すぎるからそうはできていないし、分かりきれないようにストップするんだと思う。
「僕の方が痛い」なんて言えない。

だからちょっとだけでもわかるように、こうして記録だけでも置いておきたい。
第一こんなに駆け巡る言葉は、脳の中にずっとあると新しい苦しみになる。

心の内に秘めれやしない。でもその方が面白い。クサいしイタいしダサいし恥ずかしいけどね〜。

仕事見つけなきゃだな~。

こなまるでした。

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