見出し画像

人を信頼するとは、相手の可能性を信じること

先日、ちょっとした出来事だが、とても後悔することがあった。

それは、私より10歳年下の従姉妹が、

「もしかしたら私、お酒強いかもしれない。」

と言ってきた時のことだ。

いとこは一体、私にどんな反応をして欲しくて、その言葉を口にしたのか分からない。

けれど、私は22歳のいとこを試すかのように、

「どれくらい飲めるの?どんなお酒飲んでるの?」と尋ねた。

すると、「甘いお酒は苦手だけど、焼酎の水割りならずっと飲めるの。それって強くない?」

いとこよりもお酒との人生を長く過ごしてきた私からすると、率直に「それは強くないな」と思った。

決して上から目線でものを言いたいわけではなく、

かく言う私も、20代まではお酒は飲める方だと勘違いしており、

周りのどんなに飲んでもかわらない人たちを目の当たりにし、

30歳になってお酒はあまり強くない方だと自覚した。

けれど、そんな私でも日本酒やワインを普通に飲む。

今ではだいぶ無理していたなと思うけれど、

大学生の時はビールの一気飲みや、焼酎をそのままで飲むのが当たり前だった。

そんななか、「私お酒強くない?」と同意を求められ、

とっさに私は

「それは強くないよ。もっと強い人はいっぱいいるよ」と答え、本当にお酒が強い人はどういう人かをとうとうと語った。

いとこは「そうかなー」とあまり納得がいかないという表情をしていた。

なんだか空気がギクシャクしてしまい、

しばらくたって、私が取った行動は、いとこへのマウンティングだと気付いた。

私が一番嫌いな、「価値観の押しつけ」を自分がしていたのである。

私はなんであんなにムキになって、お酒が強いと思うのは勘違いだ、といとこに伝えたかったのだろう?

その行動の根底にあったのは、

「お酒で失敗してほしくない」という気持ちと、

少し頼りなく感じるいとこを「危険から守りたい」という気持ちであった。

小さい頃にいとこは母親を病気で亡くし、

私はお母さんの代わりにはなれないけれど、

頼れるお姉ちゃんみたいな存在になりたいと思って、いとこと接してきた。

年上として、

自分の能力を過大評価すると、失敗すること。

お酒が強いと公言すると、飲ませてこようとする男の人がいること。

記憶をなくすまでお酒を飲むと、どういう行動を自分が取るか把握できていないこと。

これらのことをまだ経験していないと思われるいとこが、お酒が強いと自覚してしまうことを、私は不安に感じた。

楽しく飲む範囲であれば何も心配はないけれど、直感ではあるが、

お酒が強いと自覚すると、ロクなことにならない、と思った。

しかし、いとこを守りたいと思ってとった私の行動は、本当の意味でいとこのためにならない、と今では思う。

はたちも過ぎ、立派な大人なのだから、

楽しいこともニガいことも、色々と経験しながら成長し、

私の価値観ではなく、いとこだけの価値観を築いていく必要があると感じている。

危険な行動だなと思っても、

いとこのために私がしてあげられることは、

「あまり良くないことだと思うけど、自分がそう思うなら試してみたら?」と、

いとこが自分の頭で考え、経験し、成長する可能性にかけることだと思う。

私の親から見て私が未熟に映ったとしても、

色々と失敗し、自分の頭で考えることで成長してきたように、

頼りなく見えるいとこを信頼し、取り返しがつかない失敗をしない範囲内で、成長の機会を与えることが、

唯一私にできることなのだろうと思う。

「相手を信頼し、成長を見守ること」

いとこから見て、私はどんな存在なのかは分からないけど、

人生の先輩として、少し離れたところから成長を見守り、悩んだ時に相談できるような存在に、これからなっていけたらと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?