自分を好きになるために、生きていきたいなと思った話。
色んな価値観をもった人たちの中で日々生きていると、
私の場合はどうやら、自分のことを嫌いになりやすくなるということが、
30年ちょっと生きてきてようやく分かった。
正確に言うと、私のことを否定してくる人がいる環境だと、
相手の考えに流されて、
「あぁ、私はダメな人間なんだ...」
といえ考えに陥り、自信を無くしやすいということだ。
否定してくる人がいるということは、本当にダメな人間なんじゃないの?
という疑問も湧かなくはないけれど、
今とは逆に、学生時代は自己肯定感は比較的高い方だった。
いわゆるデキの良い人と比べて勝手に落ち込むことはあったけれど、
2、3時間後には、「まぁこれが私だし」というかなりの早さで切り替えができていた。
そして、社会人として働く中でも、自分が思っている以上に評価してくれる人が、今も周りにいるということだ。
「じゃあ、社会人になってから、なんでそんなに自分を嫌いになりだしたの?」
自分の中で、ずっとそれが疑問だった。
自分の性格のベースや人間性は、社会人になる前と後では大きく変わっていないはずなのに、
一体何が変わったのか?
考えを掘り下げていく中で思い当たったことは、
私のことを否定してくる人の考えに囚われ過ぎた、ということだ。
自分から否定的な意見を聞きたいと思って聞いていたわけではないけれど、
社会人として経験がない中で、10年も20年も先輩の言葉は、
私よりも大人の人の考えというイメージで、
私にとってはすごく重たいものだった。
そして悲しいことに、私に向けられた肯定的な意見よりも、否定的な意見の方が、より鮮明に映った。
「そんな考え方、意味わかんないし」
と突っぱねる強さが私にあれば良かったのだけれど、
社会人の先輩から見て、私はできない人であると指摘をされているのだから、
ダメな人間なんだ、と信じ込んでしまった。
(その時指摘してきた人が、周りからの評価があまり高くないと知ったのは最近の話。)
時間が経つ中で感じたことは、
否定的な意見を言った人が、とくに何も感じておらず、何も覚えていないであろう状況の中で、
私だけ、自分のどこが悪いのか?何がいけないのか?
ということにひたすら向き合っていることは、
すごく無駄なことに時間を使っているんじゃないか?ということである。
そもそも、自分から相談もしてないのに、
指導者でもない人が、その人だけの価値観で相手にダメ出しをすることは、
私からしたらすごく無神経だと感じるし、
そういう人のそばに居たいとは思わないから、
そんな意見は聞き流しておけばよかったと思う。
もちろん性格や価値観の相性の悪さで起きていることだから、そういう人と相性のいい人もいるけれど。
色々考える中で思ったのは、
人はみんないい面と悪い面をもっていて、
それを引っくるめた総合評価がその人なのだから、
悪い面だけにスポットを当てて自分を嫌いになるのではなく、
自分の良い面を見て好きになれた方が、
幸せな生き方だなと思うのである。
せっかく生まれてきたのだから、自分を苦しめるために時間を使うよりも、
自分を好きになるために時間を使っていきたい。
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