見出し画像

映画「最後にして最初の人類」を観た感想と,1930年の科学的知見について

ちょっと前ですが,映画「最後にして最初の人類」を観てきました.どうやら名古屋での上映は終わってしまっているようです.予告編はこちら.

「最後にして最初の人類」とは?

「最後にして最初の人類」(Last and First Men)は同名のSF小説の映画化作品です.

あらすじなどは映画サイトや上記出版社のサイトをご確認いただければ.「むっちゃスケールの長い人類史」という体裁です.序盤は歴史・政治小説の趣ですが,進行につれて人類がいろいろと進化したり地球を飛び出したりするところが本作がSF小説といわれているゆえんだそうです.

「だそうです」というのは,私がこの作品を未読だから.

そもそも本作は,SFに限らず全ジャンルでよくある「名前は有名だけど通読したひとはそんなにいない作品」の一つなんですね.かくれた名作!みたいな.

私はそこまで熱心なSF者ではないので,なんか名前をどっかで見たな…読んだことないけどエッジが立ってる感じがするから予習して映画見に行こうかな…と思い立ったのが,確か上映終了の1週間くらい前.

電子書籍あるでしょ?と思ったら無く,電子書籍どころか紙の本は絶版になっているらしい!仕方なく電子書籍がある英語版に手を出してみましたが,分量がとんでもない(日本語版の単行本が約400ページ)うえに単語を調べつつなので全然進まない(ただ,人物のセリフが皆無なので,読みやすいと言えば読みやすいかも.というか,一部理解できていなくてもその後の話を理解することに支障が少ない(苦笑)),しかも映画は最初と最後のダイジェストらしい,ということで3日くらいで原作の勉強はあきらめて公式サイトを熟読して鑑賞に行くこととしました.

映画にエンタメ要素はほぼゼロ.現代美術の展覧会で薄暗い部屋で繰り返し上映されているような映像作品といった方が正しく,展覧会を1時間強でかいスクリーンといい音響で体験してきた,というのが一番しっくりくる説明です.

作曲についてはよくわからないのですが,現代音楽っぽいのかな?重低音が絶え間なく鳴り続けて音が鳴っていることが分からなくなった後に静寂でびっくりする,という体験をしました.Spotifyで聴けます.

映像は旧ユーゴ諸国にある様々なモニュメント(「スポメニック」とよばれているそうです)を白黒で写したものが主で,モニュメントの抽象性・無意味性みたいなものが観念的なスクリプトとあっていてよかったです.

スクリプトは女優さんの読み上げのみで,これは劇場で売っていたパンフレットで内容を読み直せたのは良かったです.テーマや原作について予習していけば,はーそうなんですね,と納得できる作品でした.

正直な感想を言ってしまうと,非常に平板な展開で目を開けているのが苦しくなりましたし,数分寝てしまって目が覚めてもそれに気づかない作品だと思います.10分寝てしまうとさすがに違和感あると思いますが.まぁ,簡単に言うと予告編が70分続いてた感じですね.

1930年という時代のちょっとした考察

原作が執筆された時代背景を科学技術の水準から考察したいと思います.私は科学史の専門家ではないので話半分で読んでください.

この作品では人類は進化の末海王星まで進出しています.太陽が膨らんで地球に住めなくなったのでエクゾダスした,ということだそうです.

「海王星」というのが原作の時代を感じさせます.というのも海王星の発見は19世紀前半です.

それに続く冥王星の発見はまさしく1930年.原作者のステープルドンが本作をどれくらいかけて執筆したのかは存じませんが,「海王星」というのは当時の太陽系のうち最も遠い場所,という意味なのでしょう.

他の天体への移動についてはゴダードの液体燃料ロケットの業績が1920年台です.

有人宇宙飛行の具体的な難しさが人口に膾炙していくのはマーキュリー計画・アポロ計画くらいまで下った時代だと思うので,1930年代というのは「地球の外に出れそうだけどそれが具体的にどれだけ難しいチャレンジが分かっていなかった」時期のように思います.

「太陽が膨らんで」の部分は星の一生の知見が反映されているのでしょうか.天体物理学は詳しくないのですが,相対性理論(1910年前後)が重要な役割となっていると思うので,「太陽が膨らんだら地球はどうなる?」というのも科学の先端の問だったのかもしれません.

本作は「20億年後の人類が時空を超えて現代の私たちに語り掛ける」という体裁を取っています.時間を超えるのはアレですが,空間を目に見えない形で伝播して音声を伝える技術として電波が利用され始めたのは19世紀後半からです.イタリア人のマルコーニが1895年に無線電信を成功させており,1930年はラジオ放送華やかなりし時代です(アメリカでのラジオ放送開始が1920年).

画像1

(マルコーニの墓碑.サンタ・クローチェ聖堂,フィレンツェ.2005年撮影)

離れたところから広く一斉に音声を受け取れる技術の登場は革新的なものであり,その先に「海王星から時間も超えて音声が届く」と夢想したのも無理なかろう,という感じがします.興味深いことに,映像が未来から届いた,という描写には(少なくとも映画では)なっていないんですね.高柳健次郎博士が世界初の電子的な映像送受信に成功したのは1924年です.

リュミエール兄弟のシネマトグラフが1895年なので,映像まで踏み込んだ表現があってもおかしくは無いと思うのですが(小説内の他の場所に合ったらすみません.).

最後は雑多な記述になってしまいましたが,やはり人間はその時代の科学技術水準に想像力を拘束されてしまうのだな,という話でした.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?