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ヨーロッパ旅行その3

ルーブル美術館。パリの目玉の一つだった。名画が何なのかは分からなくとも、モナリザがすごいことくらいは分かる。

その日、私と母は、ルーブル美術館でツアーに参加した。巨大な美術館は、自分たちだけで見て回ったところで、当然迷子になって時間が過ぎてしまう。そこで、美術館の中で大事なところを押さえて回ってくれるというツアーに申し込んだのだ。ガイドさんが一人で、参加者が六人という小さなツアーだ。一人の観光客として、モナリザには是非お目にかかりたいと思っていたから、参加することにためらいはなかった。

集合時刻として指定された場所 (美術館の中庭にある、工事中の小さな凱旋門の周りが集合場所だった。カルーゼル凱旋門という)に行くと、ガイドの方が立っていた。彼女は、中央アジア出身の方で、英語が母国語というわけではないが、ツアー自体は英語で案内してくれるようである。膨大な手書きの資料を挟んだファイルを携えており、いかにも大学や大学院で美術を専攻してきましたという趣のある人だった。
私たち以外に参加していたのは、アメリカ人の家族だった。テキサス州から来た家族で、若い夫婦と、その(おそらく女性の方の)両親だった。ツアーが始まるまでは、この人たちと同じツアーに参加するのかな、などと若干の警戒心を持っていたが、いざ始まってお互いに自己紹介すると、すぐに打ち解けられた。ガイドさんの話しぶりも、丁寧で穏やかである。
美術館には、カルーゼル凱旋門から少し歩いた所にある、地下への小さな階段を通って入った。通常の観光客とは別の入り口である。屋内に入って歩いていると、いつの間にかツアー客が利用する受付まで来ていた。そこもすぐに通過した。おそらく個人客であろう人々の列が、隣で長く続いていたのを見ると、やはりツアーの利点を感じずにはいられない。
入り口に向かう間、テキサス州の家族やガイドさんとは、どこから来たのかとか、フランスは初めてなのか、とか和気藹々と話していた。どうやらテキサスの家族は、日本を二週間ほど観光してからフランスに来たようだ。バカンスの長さやフットワークの軽さに驚きつつ、日本で仕事をするとこうはいかないので、羨ましい限りだと思った。
ツアーは、まず美術館自体の解説から始まった。Fortressとremainという言葉が多用されていたが、実際に美術館の建物はもともと要塞であった。セーヌ川から水をひいてお堀にしていたようである。そして、その頃の遺構が展示されている。要塞だった時代から、宮殿の時代へ、そして博物館へ、建物は改築も増築もされていった。

名前も分からない大理石像がたくさん並んでいる回廊の一番奥に、それはあった。ミロのヴィーナスである。他の像と比べ、ひときわ人混みが大きかった。教科書や資料集で見てきたからこそ、感動も大きい。この像はMilos島で農夫によって発見されたという話を聞きながら、日本の金印のようだと思った。ツアーには6人しか参加していないのに、1人が少し離れた場所にいたり、像を見るのに夢中になっていたりすると、ガイドさんは2回でも3回でも同じ話を繰り返してくれる。みんなが理解したと思ったらようやく次に進むのだが、そこにガイドさんの几帳面な一面が出ていた。テキサスからの家族は、若い夫婦のうち女性の方が、展示品に大変な興味を持っているようで、多くの質問をしていた。思えば、先ほどの要塞についての解説の時も、私がなんとなく考えた仮説を述べると、それに対して賛否を言ってくれるくらい積極的だった記憶がある。
サモトラケのニケでは、私の勘違いも明らかになった。この像は、船に乗っており、全体で一つの彫刻なのである。資料集には、女神の部分しか掲載されていないことが多かったため、下に船があり、その上に女神が立っていたとは思いもしなかった。ここでも、テキサスの家族の若い女性と私で、ガイドさんにいろいろ聞いた。

アポロンの間 (Galerie d’Apollon)に行くと、ルイ16世やフランソワ1世をはじめとする、ヴァロア朝やブルボン朝の王の肖像が壁一面にずらりと並んでいた。ただの肖像画ではないらしい。ガイドさん曰く、ゴブラン織で作られているとのこと。近づいてみると、確かに絵の具ではなく、織物だった。その空間にあった王冠やアクセサリーは、どれも値がつけられない程の価値を持つ。ルイ18世に授けられたエレファント勲章も飾られている。象の上に、象使いや塔が乗っていなければ良いのにとか思ったりしたけれども。ルイ15世の王冠も凄まじい眩さを放つ。どれも、圧倒的なフランスの財産である。天井も装飾で埋まっていたが、その中にある紋章が特徴的で記憶に残った。フルール・ド・リス (Fleur-de-lis。ガイドさんはユリの花と言っていたが、後で調べたらアイリスかもしれないようだ。)と、金の鎖 (ナバラ王国のもの?) という2種類のマークが隣同士に配置され、その下にルイを意味するLの文字が配されている。当時は、今のフランスの領土に留まらない影響力を誇示していたのだろう。

ここまででお腹いっぱいになっているわけだが、ようやく、モナリザである。部屋に入ると、それまでの彫刻や絵とは桁違いの群衆がいた。部屋は広く、天井も高いのに、皆の注目の的になっている絵は、ぽつりと小さくあるだけだ。一応、列はあるのだが、その中で、押し合いへし合いして、どうにか絵の前までいかなければならない。日本からはるばるパリまで来て、この絵を見届けないのは惜しいのだ。この絵が日本に来ることもまず無いだろうし (今までに一回だけあったようだが、その時、私は生まれてはいない)、ルーブル美術館で見ることにも価値がある。パリの観光地だからこそ、そこかしこに歩いているというスリに気をつけながら、遂にモナリザの前まで来た。その絵の持つ、異様とも思える力を感じずにはいられない。何が人を惹きつけるのか、見抜こうとするのだが、巧妙にベールに包まれているようにも思われる。そうしているうちにも、後ろからは、人の波が押してくる。母と一緒に何枚か写真を撮ると、まもなく横にずれていかねばならなくなる。お互いに興奮していた。写真も、全部がそうとはいかないが、うまくモナリザが入って撮れたものもあった。開けた所に抜けると、ガイドさんとテキサスの家族がいた。先ほどアポロンの間では興味がなさそうにサングラスをいじっていた、テキサスからの家族のお母さんも含めて、みんな、テンションが上がっている。この地に、親と来ることができて、本当に良かったと思った。

その後は、これまた有名な絵である「ナポレオン一世の戴冠式」を見てツアーは解散となった。やはり、このツアーは美術館の目玉を効率よく回れるように工夫されているものなのだろう。ガイドさんとは、ここでお別れだ。同時に、テキサス州から来た家族とも、これでお別れだ。握手や挨拶をして別れた。ツアーの途中では白熱する質疑もあったが、そんな中でも、終始、和やかに過ぎていった。別れると次第に距離ができていき、それぞれが別の絵を見たり、別の部屋に行ったりすると、姿も見えなくなった。おそらくもう二度と会うことはない。自分にとって初めてのルーブル美術館を共に見て回った、印象にも強く残っているガイドさんや家族ではあるけれども。

その後も閉館時間までの少しの間、私と母は、ドラクロワによる「民衆を導く自由の女神」など、数多くの名画を見た。

夕方、美術館の一部に構えるレストランで夕飯を食べた。ルーブル美術館のツアーが想像以上に充実していて、大満足だった。翌日はパリから離れたところにバスで旅行に行くため、パリ市内を観光するのは、この日で最後だ。中庭に面している半屋外といった感じのテラス席だった。これについては別の記事で書くこととする。


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