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[日記]2024年3月15日、16日 ともに晴れ

2024年3月15日
テレワーク。上司から何度か電話がかかってくる。昨晩は緊急の対応のために22時まで仕事をしていたらしく、声色から疲れが滲み出ていた。あまり迷惑をかけまいと思いつつ、小さなミスを繰り返してしまう。そういうときこそ冷静さを保つことが大事になると思う。でもつい気分の起伏に引っ張られてしまう。頭ではわかっていても凪いでいる状態を保つのが私には難しい。終業後、鍋に追加する白菜をザクザクと切っているとチャイムが鳴った。レンタルの予約をしておいた、結婚式で着る服や小物が宅配便で届く。お風呂上がりにYouTubeを流しながらネイルをする。伊沢さんと須貝さんが一週間で保育士資格取得を目指すというもの。私もいつか保育士資格を取得したいと思っている。ネイルは服の色に合わせてピンクとベージュ。今年初めてネイルをした。相変わらず器用にできないが、華やかになった爪をちらりちらりと見ては惚れ惚れとしてしまう。頃合いを見て就寝。ちゃんと乾いているか心配になって夜中目が覚めた。しっかり乾き、表面は艶やかになっている。満足げに爪を撫でて、再び眠った。

2024年3月16日
先輩の結婚式の日だ。朝からずっとそわそわしていた。お化粧が上手くいかなくて二度メイクオフした。三度目の正直かと思いきや、右の眉毛を上手に描けない。推している芸人の九月さんが、Xで質問箱の回答として以下のようなことを言っていた。

俺は世に言う「完璧主義」って「不完全嫌悪」なんだと思うよ。不完全を嫌悪するがゆえ(万物はどうせ不完全なので)何もできない、って話なんだと思う。

そして「そんなふうに何もできない自分もまた嫌い」にループして、自己嫌悪が終わらなくなってるというか。

そう考えると、あれは「完璧」どうこうの話じゃない。不完全なものを許容するか否か、どうせこの世が不完全なものだらけだと受け入れるか否か、不完全だからこそ美しいものがあると知ってるかどうかの話なんだと思う。

別に人間に完璧とか完全な納得なんてやってこない。この世にはどうせほころびがいっぱいある。他者も、環境も、自分自身でさえも、僕たちの認識にかなうようにできているものなんか一個もない。

だからみんなもっと、ほころびを愛した方がいい。僕はそう思ってやまない。コント「強く足りない者たち」を添えておきます。

九月の『読む』ラジオ/Xより引用

今が「脱不完全嫌悪」を果たすときだ。ほころび(右だけ太く描いてしまった眉毛)を愛すときだ。第一、新郎新婦が主役の日に、だれも一出席者の右の眉毛など見ていない。これでよしとして出掛けよう。
大人になってから初めて出席した結婚式は、本当に素晴らしいものだった。幸せで気持ちが満たされた。みんないい顔をしていた。高校時代に慕っていた一つ上の先輩は、卒業後も変わらずあらゆるところで人を思い、人に愛されて生きていたということを知ることができた。家族、会社の人、高校・大学時代の同輩、そして私たち高校の後輩に対する顔を一日に見ることができるなんて、貴重で贅沢な時間だなと思った。結婚式は新郎新婦とその家族だけでなく、出席者(少なくとも私)にとっても大きな意味がありそうだと思った。幸せな空間をつくる一助になれたことは光栄なことだし、私はこういう仕組みの社会で生きているんだなと改めて実感した。親しい人たちが見守る中で誓いを立てて、それからは一人ひとりではなく夫婦二人三脚で生きていく人たち。幼少期に両親が別れたのもあって、私は結婚生活や夫婦についてあまり具体的なイメージができていないのだけれど、こうやって人は生きていくんだなと、私は思った。"こういう"とか、"こうやって"という指示副詞が多いのは、私はまだその生き方を知っていっている最中なのだと思う。まだ納得感のある言語化ができない。披露宴で隣に座っていた同級生の仲のいい女の子にそんな話をしたら、何をいっているかわからん、という顔をされた。やっぱりな、とは思ったが。
夜は同級生二人と居酒屋で二次会をした。披露宴でワインを何杯か飲んでいたが、メガハイを二杯も頼んでいたあたり、だいぶ気持ちよくなっていた。一人は一杯だけ付き合ってくれた。もう一人は下戸でホットジンジャーをちびちび飲んでいた。付き合ってくれただけ嬉しかった。そのうちの一人は今年結婚する。結婚式に招待してくれるみたいだ。どんな式になるのだろう。人によって全然違うのだろう。言葉が適切かわからないが、今回結婚式に参列して、結婚という儀式に対して探究心のようなものが芽生えたのを感じている。

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