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帰り道に、宇宙をみたはなし。


 眼鏡が無くても星が見える、と気付いた。
 駅を出て、西へ進んでいく途中のことだった。
 最初に気付いたのはオリオン座のリゲルとベテルギウス。どちらも冬の一等星だ。そのままちょっと左へ視線を向けると、おおいぬ座のシリウス。そのまま少し空高い所へ目を向けると、こいぬ座のプロキオン。
 視力0.5くらいの世界だけど、一等星くらいなら見えるんだ。少し嬉しくなった。

 ん?、と足を止める。
 西向きに歩いて、オリオン座が見やすいっていうことは。後ろを振り返ると、しし座のレグルスが見える。東の空はすでに春の星たちが輝いている。
 そうか、もう季節の変わり目なのか。
 僕が吐く息はまだ白いけど、夜空の星たちは毎日1度ずつ動いて、様子を変えている。
 北の空も見てみる。つい最近まで半分しか見えていないと思っていた北斗七星が、すっかり北東の空に昇っていた。
 駅前だから地平線近くは明るい。でもきっと、あの向こうに春の一等星、うしかい座のアークトゥルスが見えているんだろう。もう少し時間が経つと、おとめ座のスピカも昇ってくるのだろうか。
 僕は西へと足を向け、家路を進む。なんとなく、下を向きながら。


 プラネタリウム併設の博物館に勤め始めて、まもなく3年になる。
 そのうち、2年半はプラネタリウムで解説をしていた。つい先日、2月27日まで。
 人事異動に伴って、僕はそれまで分担に入っていたプラネタリウム解説業務から外れることになった。他にやる仕事が増えた分、得意分野に関連が低いものから仕事が手を離れていくのは当然だろうな、と思った。
 プラネタリウムから離れて1週間ほど。僕の中で、星空は2月末の20時で止まっている。
 オリオン座が南中を過ぎたころ。ちょうど冬のダイヤモンドと呼ばれる季節の目印が、空高くに見つけることができる時期。

 冬の星座たちは探しやすい。明るい一等星がたくさんあるから、星座を探さなくてもたのしめる。僕は冬の大三角をヒントに、オリオン座・おおいぬ座・こいぬ座の3つを紹介する。そのまま、オリオンの目の前におうし座を描く。
 そうしたら必ず、おうし座の肩のあたりに注目してもらう。小さな明かりの星たちが、こちょこちょ集まっているところ。僕の大好きな、すばる、プレアデス星団。この向こうに生まれたばかりの星が100個以上集まっている。彼らはゆっくりと時間をかけて、膨張する宇宙のように、宇宙空間に広がっていく。
 すばるの美しい写真を見た後は、今度はふたご座の話をする。ふたご座の話をしながら、僕は「プラネタリウムのふたご」という小説を思い出す。神話のカストルとポルックス同様、とても仲の良い双子の兄弟の話。とてもやさしい、にせものの話。
 思い出すだけで、話はしない。
 そして天頂近くに見える、ぎょしゃ座。馭者のおじさん(王様)が抱える小さなメス山羊には、一等星のカペラが輝いている。
 冬の一等星でも一番最初に昇ってくるこのカペラは、季節を知らせる星として地上で生きる人間の目印にされてきた。冷たい雨を降らせる、「雨降りの山羊の星」と呼ばれていたそうだ。
 一通り星座を紹介すると、また少し時間を進める。星たちはゆっくりと西へと動く。僕の後ろ、お客さんからは見辛いところで北極星がじっとしている。
 ここまで約30分。
 ここからは、少し科学的なお話。最近の宇宙開発の話とか、天文学のお話をする。これは10分程度。
 そのお話が終わると、プラネタリウムの中が暗くなり、ゆっくりと星空が戻ってくる。時間が進んでいる。午前2時の夜空。そろそろ、投影も終了の時間。あと5分。

「どの季節の星も好きだけど、冬が一番好き。一等星がにぎやかで、大好きなすばるも見えるから。でも一番の理由は、空気が澄んでいてちょっと寒いので、星空というよりも、宇宙を見ている気持ちになれるから」
 星が動いているんじゃない。僕らの地球が動いているんだ、と感じることが出来るから。
 僕は、僕の投影を、あまり自分では好きになれなかった解説を、口の中で繰り返す。

 僕は2月28日の午前2時、西の山の向こうに冬の星たちが沈み、しし座が南中し、南東の空に木星が輝くあの星空にずっととらわれている。そのまま120秒で日の出2時間後まで時間を進める。東の空から明るくなる。にせものの空とわかっているのに、星たちが明るい空に消えていくのが、ひどく、寂しかった。


 あれから1週間以上たった。2年半に比べればほんの少しの時間でしかないのに、同じ20時でも、星たちは場所を変えている。すばるは西の空低いところへ、街明かりの中に姿を隠す。オリオンも狩りを終えたのか、ちょっと疲れたようにも想像できる。
 僕は白い息を吐きながら、どんどん西へと進んでいく。あわよくば、冬の星たちに追い付かないかな、なんて思いながら。
 駅を離れ、大きな道路を超えてしばらくすると、途端に街明かりが少なくなる。一面に田畑が広がる。僕の家まであと3分。
 街明かりが暗くなったからか、裸眼でも暗さに慣れてきたのか、オリオン座の三ッ星も見えるようになった。
 ポケットに突っ込んだ手に、同じく一緒にポケットに突っ込んだ眼鏡が当たる。
 僕は眼鏡をかける。視力1.5の世界。

 真西に体を向けた僕の目には、冬の星たちの強い光が届く。山に近づく、すばるの淡い光も。
 まだ南に見える、一等星のシリウス。大気にゆらいで、瞬く。「焼き焦がすもの」という名前をもつこの星は、洪水を知らせる目印の星でもあった。
 何百年と時間をかけて、やっと今、僕の目に届いた光。
 空を仰ぐと、しし座。東を振り返ると、まだ明るい街明かりの向こうに、黄金色に輝くアークトゥルスの光。そういえば、アークトゥルスは「麦星」とも呼ばれる。この星が宵の時間、南中する季節に、麦の収穫時期を迎える。季節の目印の星だ。

 途端に、僕の中で地球が動き始めた。
 時速約1700㎞で自転し、秒速30㎞で太陽の周りをまわる。
 星座をつくる星たちは何百光年も離れた先にあり、一個の惑星の寿命では捉えきれないほどの時間を使って動いていく。一個の惑星のスピードに比べれば、それは不動に見える。
 僕は3月8日の星空を取り戻し、地球の自転と公転を取り戻した。
 そして、再び宇宙を見た気がした。



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