2018.7.19

 月明かりが眩しくて、目をそらして歩いてきた。


 ついこの間、夕焼けの中でみた三日月が膨らんでいた。よくよく見れば陰になっている月面も、ぼんやりと見える。
 駅から西へ15分ほど歩いたところに、僕の家はある。学生時代から住んでいる、小さな一人暮らし用のアパート。帰り道はいつも細い月や上弦の月と一緒だ。帰る時間帯と月の出の時間がずれてくる、上弦以降の月はあまり見たことがない。
 僕は一般に認知されている三日月が、その本当の満ち欠けでは相当に細く見えることを知っている。クロワッサンの形とかいろいろ言われるが、実際の空で見る三日月は心配になりそうな細さだ。
 一番好きなのは2日目の月。その日は意識して少し早めに職場を出る。そうすると西の山低い所、まだ明るい空の中に細い細い月が見える。湿度の高い日は赤い夕焼けの中に、からっと晴れた日には淡く青白い空の中にある。この儚さが、とても好きだ。
 僕はそんな、満ちていない月を目掛けて家路を進む。
 部活や予備校帰りの学生と共に、時々自転車で追い抜かれながら、僕はとぼとぼ歩いていく。
 夏。日没過ぎてもまだ暑い。空が暗くなってもまだ30度超える日がある。全国的な酷暑で、熱中症の報道も連日続く。
 直射日光よりも、夕方から夜の蒸し暑さがつらいんだ、と僕は上弦前の月にごちてみる。
 月面は涼しいのだろうか、そこに風は吹くのだろうか。何もない地表を思い浮かべる。
 たしか赤道付近は日中ものすごく暑くなって、夜間はものすごく寒くなるって何かの本で読んだ気がする。ロマンだけを思って、僕は月面で地球を見上げながら夜風に当たる風景を思い描く。

「満月ってきれいだよね」
 昔、付き合っていた恋人がそういったのを思い出す。
 レイトショーを見たあと、ふと見上げると満月がビルの上に見えていたんだろう。彼女は空を見上げてそういった。甘い恋愛映画を見た後で、感傷的になっていたのかもしれない。
 僕は街灯に照らされた彼女の顔だけを見た。満月は、僕にはまぶしすぎた。
「わたし、満月の日が好きかもしれない」
 その時からすでに二日目の月に魅入られていた僕には、なんとなく同意し辛いものだった。返事のない僕をちらりと見て、彼女は駅の方向へと歩いていった。
 何年も前の話。あの日は長い夏休みの終わりで、夜はひんやりとしていたのを思い出す。
 その後彼女とは、なんとく、別れた。とても好きで、大切にしたいと思っていた人なのに、僕はそれを時々怠った。
 あの時の夜風に、僕は月面での夜風を重ねる。

 僕がそんな昔話を思い出している間、月はゆっくりと沈んでいく。
 生まれ変わったら月面に命をもらいたい。微生物でもいい。生物とも判断できないような、有機物質でもいい。いつだったか、NASAの火星探査機が見つけたという有機物のニュースを思い出しながら、僕はアパートの階段を上っていく。
 僕の部屋は西側の角なので、部屋に居てもまだ月が見える。
 鞄を下ろし、汗の染みたシャツを脱ぐ。このままシャワーを浴びてしまいたい。そう思いつつつけたテレビには、天気予報が映し出されていた。一週間を埋め尽くす太陽のマークから、僕は目をそらした。
『今月末の満月は、皆既月食となります』
 そう、天気予報士の声が聞こえて、テレビへと向き直す。
『日本では未明から夜明けにかけて、月が地球の影に入る様子を見ることができます。残念ながら月が地球の影に入ってから再び出てくるまでの後半は、日本では月没となってしまい見ることができません。しかしながら今年の1月の月食は悪天候で見られなかった人も多かったため、また夏休み中ということもあり注目できますね』
 映し出された図には、27日の3時半ごろから部分食が始まり、4時半ごろには皆既食の始まりだと表示されている。その後に、今年1月の皆既月食の様子が映し出される。ほの暗い満月、やんわりと赤い。
 窓の先、西の山に姿を隠そうとする月は、何も変化していないように見える。
『また今回の満月は今年最少の満月です。1月の皆既月食が最大の月、スーパームーンと呼ばれていたのでそれと比較してみるのもいいかもしれません』
 僕は月のこと、宇宙のことは良く知らない。なぜ月に最大や最小があるかはわからない。細い2日目の月を好きなことは、きっと変わらないだろう。
 でも、僕はこの暗く赤い満月を見てみたいと思った。
 夜明け前、まだ夜が残る空。淡く明るい空低いところに見える、地球の影に隠れた満月。
 また西の空の月を見る。

「満月ってきれいだよね」
 思い出の中の彼女は、得意げな顔で言う。




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