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2018.7.25 夢十夜 第二夜

 こんな夢をみた。


 今日も暑い。気持ち悪い汗を、すでに汗で湿ったタオルで拭く。
 地元の私鉄、無人駅の小さなホーム。気持ちばかりの屋根の下で電車を待つ。
 暑さにも冷房にも弱い私にとって、今年の酷暑はまさに地獄も同然だった。外で5分も直射日光に当たれば間違いなく倒れるだろうし、室内に入れば容赦ない冷房と冷風でまた倒れそうになる。
 駅まで徒歩15分。日光と、それを反射する青い稲が眩しいので、ずっと下を向いて歩いてきた。
 駅の日陰で家から持ってきた水筒を開けると、すでに氷が溶けたものしか残っていなかった。さっきの自動販売機で水でも買っておけば良かったと後悔する。実は少し、耳鳴りと眩暈がするのだった。
 これはまずい、とりあえず早く電車に乗って、中央の駅で水分補給をするしかない。
 電車に乗ったら、整理券をとるのを忘れない。ぼうっとしてるけど、大丈夫だろうか。
 そう思いながら、電車が来るだろう方向を見る。
 するとホームでも日光の当たる場所で、小さな影が地面をごそごそと動いている。目を凝らすと、帽子をかぶった男の子のようだ。地面にうずくまっている。
 まさか。
 手に持っていた荷物を下ろし、その陰に近寄る。
「だ、大丈夫?」
 返事が無かったらどうしよう。心配な割には情けない声でそう尋ねると、日焼けした真っ黒な顔とまん丸い目がこちらを向いた。その手には絵筆が、足元には4つ切りサイズの画用紙と絵具があった。
 なんだ。肩に入っていた力が抜ける。私がぼうっとしていただけか……。
「だれ?」
 まだ高く幼い声は、不愛想に返事を寄こす。
「いや、もしかして倒れてるんじゃないかと思って……日陰に入らなくて、大丈夫?」
「だいじょうぶ」
 男の子は視線を地面の画用紙に戻した。
 不思議とぼうっとした感じは、どこかに消えていった。呼吸も深くなったし、視界もはっきりしている。
 それ以上、声をかける必要はない。そう思いつつも、彼の足元が気になった。
「何、してるの?」
 彼との距離は1mくらい。つばの大きい帽子と、彼の陰でその絵を見ることはできない。
「……電車の絵、かいてる」
「電車? 見てもいい?」
 こくん、と彼が頷いたのを確認して、私は彼に近寄る。
 電車と言っても、私が駅に着いてこれまで10分くらいの間に電車は来ていない。田舎なのでこの時間帯は1時間に1本程度。あと5分もすれば私が乗る予定の電車が来る。1時間前から、ここで絵を描いていたのだろうか。
 さすがにこの炎天下で1時間も居られるわけないだろう。
 のぞき込むと、画用紙には丁寧な筆跡で、遠くの山や手前の青い田畑が描かれていた。空は青く、ところどころ白く塗り残されているのは、雲だろう。その中央に、線路が描かれていた。
「上手だね」
 実際画用紙の左半分しか見えていないが、想像する年ごろの小学生にしては、ものすごく上手に見えた。
「なんで上手だって思うの」
 喜びもせず、ぶっきらぼうな彼は言う。
「これでも美術の勉強をしていたから。君くらいの小学生に、絵の授業をしたこともあるよ」
「ふうん。ありがとう」
 最後のありがとうは、小さな声だった。
 カンカンと響く踏切の警報音に、後ろを振り返る。私の目的地とは反対方面の電車が、駅のホームに入ってきた。
 3人くらいの乗客が見えるが、窓にはカーテンがかかっているために気のせいかもしれない。きっとあの中は涼しいのだろうな。苦手な冷房の風を、羨ましく思い出す。
 車体は白をベースに、青いラインと黄色いラインが横長に走る。沿岸を走る電車でもあるので、白い雲と青い海、そして地元の名産である黄金色の稲穂をイメージしたデザインになった、と聞いたことがある。それまでは褪せた肌色と小豆色でどんくさい形の電車だったのが、第3セクターで運営されるようになった15年前に大幅に変更された。
 15年前、私は彼のような小学生だったと思い出す。
 電車はほどなくして発車し、ごとごとと北の方へと進んでいく。あの電車は海の近くまで行くだろうか。
 まもなく私の目的の電車がくるはず。その前に。もう一歩進んで、彼の絵の全体を見る。
「あれ」
 だいぶ昔。うろ覚えだった肌色と小豆色の、どんくさい形の車両がそこに描かれていた。
 彼は主役になる電車に、一生懸命着色していた。下書きの線に沿って細筆で描き、大筆で広い面を塗る。けれどその車両はもう、現役引退してとっくに姿を消しているはず。
「その車両」
「うん」
「なんで知ってるの? もう走ってないのに」
「うん」
 再び耳鳴りがする。鮮明だった視界も、なんとなくぼやけ始める。
「どこかで」
「今日は、何しに来たの?」
「えっ」
 私の言葉に被せて、彼は後ろ姿のまま問いかける。
「……お墓参りに」
「すぐ近くに墓地があるね」
「うん……」
「誰のお墓参りに来たの?」
「友達の、お墓参りに」
 日陰に戻った方がいい。私は地面に膝をついた。
 しかし、そのアスファルトはひんやりとしていた。
「友達、なんで死んでしまったの?」
「……電車の、事故で」
 あっという間に、視界が暗くなる。

 当時、私は小学生だった。地元の大学付属の小学校に通っていたため、校区がなく、電車通学してくる友達が多かった。
 夏休み目前、テストも終わり、教室の中がそわそわする時期だった。
 朝の学級会に、何人かのクラスメイトが来ていない。まもなく1時間目も始まる。教室をまたいで、先生もなにやら慌ただしく動いている。
 まだ来ていないクラスメイトの中に、とても仲の良い子がいた。その子は海の近くに住んでいるので、今年は電車に乗って、2人で海に行こうって約束をしていた。今日はその日取りを、予定を話しようって決めていた。
 1時間目が始まって、副担任の先生が言う。
 なんの間違いなのか、電車同士で正面衝突をし、大事故になったらしい。その中に、うちの児童も数名居たのだと。そして今、担任や教頭やPTAが、その安否確認をしているのだと。
 1時間目は国語で、半ば自習扱いだった。副担任に指定された漢字ドリルを、ひたすらに埋めていった。
 でも教室の中は誰一人、どの漢字を書いたかなんて覚えてないと思う。
 しんと静まり返った教室と子どもだけの世界は、突然の大きな空白に、戸惑っていたはずだ。
 時間が止まった教室の中、私は右手の鉛筆を見つめる。
「15年ぶりに、会ったんだね」
 男の子の声がして、後ろを振り返る。制服じゃない、広いつばの帽子をかぶった、日焼けした男の子だった。
 小学生の私は、うん、と応える。
「海に行く、約束をしてたの」
 今度は男の子が、うん、と応える。
 私は鼻の奥から湧き上がる何かを感じ、自分の胸に手をあてた。
「あれから、電車に乗るのが怖かった。バスも、車も。でも、もう許そうと思って」
 鼻の奥から湧き上がってきたものは、涙になって目からこぼれた。
 当時の教室には、夏場は扇風機しかなかった。ぶううん、という音とともに、温い風が私の涙をなぞる。
「許してくれるの?」
 男の子が言った。
「うん」
「どうして?」
「もう、会えないってわかったから」
 私の声は幼かった。
「もう、責めちゃいけないって、思ったから」
 男の子は帽子の下に顔を隠した。
「ごめんね。ありがとう」
 また耳鳴りが大きくなった。視界も暗くなっていく。
 まって、と手を伸ばした。まだ言わなきゃ。ちゃんと伝えてあげなきゃ。
 私も、ごめんねって。

 あの事故によって友達を亡くした私は、以来、乗り物をなるべく避けていた。ずっと、あのどんくさい電車を代表にして恨み続けていた。
 去年のある日、地元の新聞の一面は「私鉄の廃線決定」だった。
 15年前に大事故を起こしたその私鉄は、運営や営業方法を見直した結果廃線の案も出たが、地元市民の反対によって第3セクターで新しく運営されるようになった。
 しかし近年はJRの延線、バスの便数増によって利用者が少なくなり、運営も厳しかったという。大事故のイメージは市民に深く残り、今回の廃線反対運動もさして響かなかった。
 来年の夏には、運転取りやめになるとも書いてあった。
 廃線決定の記事を見て、両親は「すっきりしただろう」と声を掛けてきた。
 ぜんぜん、すっきりしなかった。
 何を恨んでいいかわからなくなってしまったからだ。
 だから、自分のために友達のお墓参りに出かけた。一度、リセットできるのではないかと期待して。
「お墓へ行くときは、バスを使ったんだ」
 私は言った。だって、電車は最後の最後に、とっておこうと思って。
 男の子は帽子の下で、うん、と頷いてくれた。
「バスは何度か使ったことあるし、学生時代にバス通学してたから、大丈夫だと思って」
「うん」
「でも電車は、ほとんど初めてなんだ」
「うん」
 だからネットで調べて、無人駅からの乗り方もちゃんと覚えた。
 乗ったら整理券を貰うんでしょう。降りる駅は有人駅だから、窓口で運賃を払えばいい。大きいお金だと困るから、事前に小銭に崩しておいた。運賃も調べて、ちゃんと別に取ってある。
 でも私は、おそらく今後この電車を使うことはないだろうから……今回だけ。
「本当は、海まで行けたらいいのにって思った。でもね、1人で海に行くのは嫌だった」
 また寂しい気持ちになってしまうだろうから。
「僕が一緒にいくよ」
「え?」


「大丈夫ですか?」
 男の人の声に、目が覚める。真っ白の世界が見えたとたん、視界が大きくゆがんだ。
 じりじりと暑い空気、身体は汗まみれだった。
「大丈夫ですか?」
 暑い中ネクタイをする男の人の胸には、私鉄のマークのピンバッジがついていた。車掌さん、それとも運転手さんか。
「あ、大丈夫です」
「電車、乗りますか?」
「はい、乗ります」
「立てますか」
「はい」
 肩を支えてもらい、電車の中へと乗り込む。ひんやりとした冷房が迎え、肌の表面を冷やした。
 入口に一番近い優先席に座らせてもらった私は、あたりを見渡す。乗客は私だけ。
「じゃあ、僕、運転席にいますので」
 そういって男の人は、電車の先頭を指さす。
「なにかあったら呼んでください。たぶん、声聞こえると思うので」
「あ、まって」
「はい」
「整理券を」
「大丈夫ですよ。僕がいますから」
「いや、欲しいんです」
 ちょっと困ったような顔をして、運転手は整理券を取ってきてくれた。
「ありがとうございます」
 冷え始めた身体に、眩暈と耳鳴りは少しずつ治まっていく。
「では」
 運転手は運転席に戻り、ドアが閉まった。
 ぷしゅう、と空気が抜けるような音がした。
 ドアの窓の向こう、ホームには、誰もいなかった。
 後ろを振り向き、閉められたカーテンを開ける。

 白い雲が遠くに見えて、少し西日になった日差しに青い稲が光る。
 まだ治まりきらない眩暈が、その視界に薄く黄色い線を引く。
 私の手にある整理券には、あのどんくさい車両の絵が描かれているように、見えた。


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