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私にヨガの先生はできません!【第二十五話】電車に揺られながら

第二十四話「ひとつ増えた理由」はこちら 
第一話「無理です!」はこちら

【第二十五話:電車に揺られながら】

 駅のホームでカレンに今から戻るとメッセージを送る。途中で抜けてしまったことをあらためて謝罪するのも忘れない。
 出発まではまだ十分ほどあるみたいだ。
 私は準急電車に乗り、ロングシート座席の端っこに腰を下ろした。プラットホームにアナウンスが流れ、向こう側の線路をファーンという迫力ある音とともに特急電車が通り過ぎていく。見慣れた駅のなにげないワンシーンだ。
 そこでやっと、自身が緊急代行をやり遂げたのだという実感がわいてきた。
 勢いよく流れる水のように、時間はあっという間に過ぎていったから。
 なんて心地よい達成感なんだろう。
 ふふ。私、ちゃんとできたじゃない。
 思わず笑いそうになり、頬に力を入れる。
「ご機嫌だね」
 ふいに声を掛けられる。
「ナミさん!」
 電車の中だということを思い出し、小声でこんにちは、と言葉を返す。
「あはは。緊急代行だったよね? お疲れ様。あたしも別のヨガスタジオから家に帰るところ」
 ナミさんは私の隣に腰掛けながら言った。
「ご存じなんですか?」
「うん。店舗のSNSフォローしてるからね。さっき、見てみたらお知らせとして上がってたよ」
「ああ、それで」
「デビューしてまだ数ヶ月だったよね? たちばなさんの緊急代行だなんて、緊張したでしょ?」
「ほんっとーに、ドキドキでした。なんとかやり終えた感じです」
「普通の代行でも緊張するのにね。凄いよ」
「ありがとうございます。なんか、ずっとバタバタしてて、やっと今、達成感がわいてきたところなんです」
「だから、ニマニマしてたの?」
「な! 忘れてください!」
 小声で一生懸命に訴える。
「あはは。可愛かったのに」
 ナミさんがからかってくる。
 私たちを乗せた電車は、ゆっくりと動き出した。
「あ、そういえば、ナミさんはフリーランスになる前は、アルタイルの社員さんだったんですよね?」
 私は話題を変えることにした。
「え? そうそう。もっというとね、もともとはアルタイルの会員だったの。大学生の頃にね。懐かしい」
「そうなんですか?!」
 声のボリュームが上がりそうになり、とっさに口を覆う。
「うん」
「知りませんでした。あの、アルタイルで働こうと思ったきっかけとかあるんですか? あと、社員からフリーになった理由も気になります」
 私が尋ねると、ナミさんは小さく首をかしげた。
「最初はこれといった大きな理由はないんだよね。体を動かすことは好きだったから、募集の貼り紙を見てアルバイトに応募したの。ちょうど、大学四年生だったんだけど、就活がダメダメでね。もういっそのこと、フリーターになってやるってやけくそでもあったかな」
「へえ。アルバイトからだったんですね」
「うん。それで、バイトしてたら、一年後くらいに社員にならないかってお話をいただいたの。この業界のことは好きだったし、アルバイトよりもできることが増えるならって思って話に乗ったって感じかな」
「スカウトですね!」
「そんな大袈裟な話じゃないってば。人手不足だったぽいから、誰でもよかったのかも」
 ナミさんはそう言って笑うけど、誰でもいいってわけじゃないと思う。
「ええー。違いますよ、きっと」
「あはは。それで、社員になってヨガのインストラクターとしてデビューして、四年くらい経ったときに、私はレッスンが好きなんだってことに気づいたんだ。でね、だんだんとやってみたいことができたってわけ」
「やってみたいことですか?」
「一から自分のクラスをつくること! どういうコンセプトでどういう方を対象にして、どういうレッスンをするかって。やっぱり、店舗所属じゃ自由にというわけにはいかないでしょう?」
「たしかに」
「そんなわけで、思い切ってフリーになって、自分でスタジオ借りてレッスンを開催しているんだけど、まだ今はそれだけだと食べていけないんだよね。だから、いくつかのフィットネスクラブやホットヨガスタジオとの契約はしつつって感じかな」
「凄いです! 怖くはなかったですか? 迷いとか」
「もちろん、あった。でも、やってみたい気持ちの方が大きかったから。笹永さんは、このままずっとベガで働くの?」
 とくに深い意味はなく、なにげなく聞いたようなニュアンス。
「え?」
 私のまぬけな声は、急に大きくなった電車の走る音にかき消される。窓の外は真っ黒。トンネルの中に入ったのだとすぐに理解した。
 この状況では声が届かず会話にならない。ここの路線に慣れている私たちは、阿吽あうんの呼吸で話を中断した。
 いつも車内の蛍光灯は、トンネルに入った瞬間を見計らったかのように、空間を照らしてくれる。
 当たり前だけど、自然光よりも人工的な光だなあ。
 そんなことをぼんやりと考えながら、辺りを見渡す。
 夕方より少し前の車両には、いろんな人がいた。
 シートに座り、薄型ノートパソコンを膝の上に広げているジャケット姿の人、ドローンの国家資格対策の本を熟読している会社員風の人、昔の私のようにビジネス用バッグに顔を埋めて眠っている人。
 他には、仲が良さげなカップルと子連れの家族のグループが一組ずつ。
 電車は相も変わらず、トンネルの中を走り続けている。
 絵に描いたようなガタンゴトンという音の中で、私はふと考える。
 ……ずっと今の仕事を続けるんだろうか?
 ……将来、どこで何をやっているんだろう?
 正面のシートの背後に並ぶ大きな窓。外は真っ暗だ。
 黒いそこに映る自分の姿を眺める。顔も首も肩も、輪郭がくっきりとせずどこかぼやけていて影のよう。
 見えない。
 その言葉が脳裏に浮かびかけたとき、電車の音に負けないくらい大きな声が頭蓋骨いっぱいに響いた。
「ぼやけて見えない? それって、当たり前じゃない?」
 その声は、紛れもなく自身のものだった。
 その通りだと、私は思い直す。
 時を同じくして、ドンっという音と共に電車がトンネルを抜け、窓の外が一気に明るくなった。
 夕暮れの太陽の光が一斉に車内に降り注ぐ。
 私はナミさんの質問に答えようと、ゆっくりと口を開いた。
「ベガでの仕事は好きですし、続けるつもりですけど……。どうだろう。正直、先のことはわからないかもです」
 それは、嘘偽りのない気持ちだった。
「そうよね。あたしもね、アルタイルの会員として入会した頃は、アルバイトとして勤務するなんて考えてなかったし、アルバイトになりたてのときは、社員になるなんて想像もつかなかった。もちろん、社員になったときには、まさかフリーランスになるなんて思いもしなかったわ」
 ナミさんは、向かいの窓から差し込んでくる光に、眩しそうに目を細めた。まつ毛や瞳、髪がキラキラと輝く。
「想像しない未来だったんですね」
「そう! でもね、あたし、今にすっごく満足してるの。それは、どちらの道に進むのか、その都度、自分でちゃんと決めたからだと思ってる。どっちが正解かなんてわからないけど、自分なりにこっちって感じる方に進んだの」
 ナミさんの言葉はどこまでも力強かった。
「私にもそういう変化のときが訪れるんでしょうか。そう思うと……」
「怖い?」
 ナミさんが尋ねてくる。
 私は首を横に振る。
「不思議なことに、むしろワクワクします」
 答えながら、自分でも驚いた。
 そんな風に思えるなんて……。でも、嘘じゃない。胸の奥から込み上げてくるような興奮がある。
「さっすが!」
 ナミさんが私の膝の上にあるボストンバッグを叩いた。それに答えるように、バッグはポンっと軽やかな音を立てた。
「あはは、ありがとうございます。お話、聞けてよかったです」
「また、ゆっくりお茶でもしましょ。じゃあ、あたし、この駅だから」
ナミさんは手をひらひらと振って、駅のホームへと下りて行った。姿勢の良い後ろ姿を見送りながら、私の頭には、クエスチョンマークが咲き乱れていた。
 あれ? 
 私、こんなに前向きな性格だったっけ?
 そこまで考えて、もしも半年前だったらどうだろうかと想像してみる。先が見えないことが不安になるし、ささいな変化も全力で拒否したくなると思う。そのときの環境をキープしたまま、何事もなく、人生を歩んでいくことを選ぶだろう。
 だけど、今は違う。
 何が変わったんだろう。
 無理だと思っていたインストラクターになれたから?
 新しい挑戦へのハードルがちょっぴり低くなったのかもしれない。そこまで考え、あ……と思う。
 私、ふらりと流されるだけじゃなくて、自分から少しは動けるようになっているじゃないか!
 こんな小さな存在であっても、あれこれ動いてみると、変えられるものがある。そのことは、まさに実感しているところだ。
 協力者が現れたり、感謝されたり、色んなことが起こる。
 それまで知らなかった自分の一面と出会えることだってある。どれも、以前の自分では見ることのできなかった世界。
 それらを眺めることができるのは、本当に嬉しい。
 そして、けっこう楽しいことでもある。
 だからこの先どんな道に進むとしても、怯まなくていい。もしも満足できなかったり、上手くいかなかったりしても、自分で変えていけばいいんだから。
 ……これって、成長してるってことだろうか。
 そうだったら、いいな。
 まだ、レッスンの集客数や物販のことも解決していない今の段階で、こんな風に思える自分が心強いと感じた。
 うん。
 もう、大丈夫な気がした。

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