私にヨガの先生はできません!【第十九話】ルイボスティーは売れない?
「はじめまして! 片井虎太郎と申します」
スーツを着た長身の男性はハキハキとした口調で名乗った。高身長。艶のある黒髪、そしてなにより良く通る声と名前が、数ヶ月前に会った彼であることを証明していた。
二十人近くの社員がいる中、すみっこで息を潜めているからか、はたまたスーツによって雰囲気が変わっているからか、片井さんはこちらには気づいていないようだった。
もはや、私のことを忘れてしまっているのかもしれない。それならそれで、べつに気にすることじゃない。
私たちはあのとき、お互い課題があって、たまたまおんなじレンタルスタジオで練習していた。それだけなのだから。
「では、片井さん。よろしくお願いします」
進行役に促され、片井さんは「はい!」と声高らかに返事をする。
「今回、私がお持ちしたのは、ルイボスティーです」
片井さんは大きな布のバッグのなかから、オレンジ色のおしゃれな箱をとりだして、全員に見せるように掲げながら話し出す。それは、たまにコマーシャルで見かける粉洗剤の箱くらいのサイズだった。
飲むとなぜ体にいいのか、どのようなシーンにぴったりか、仕入れ価格についてなど、話はすらすらと進んでいく。たまに言葉に詰まったり、動きがぎこちなくなったりすることもあったけれど、わかりやすかった。
きっとたくさん練習したんだろうな、と彼の背景を考えてしまうのは、少しとはいえ言葉を交わしたことがあるからだと思う。
私にとっては他人だけど、他人じゃない。
彼はそんな不思議な位置づけの人になってしまった。
「いかがでしょう? ご質問などもあればぜひ」
片井さんはうかがうように辺りを見渡す。
室内はシンとして、誰かが指の腹で資料の紙を捲る音だけが、ときどき聞こえてくる。
初めてこの場に参加する私から見ても、反応はイマイチ。
「飲み物系か……」
どこからか、質問とも言えない男性の呟きが聞こえた。
「ジムやホットヨガに通っている方は、美容や健康意識が高いと思います。相性は良いのではないかと思うのですが」
片井さんが言った。
「うーん。レッスン中に飲めるならともかくね。申し訳ないけど」
同じ男性が、もう話はおしまいだとでもいうかのように畳みかけると、進行役が慌てたように「あ!」と声を出す。
「もともとは、運動中に飲める別のペットボトル飲料の提案でした。片井さん、そうですよね?」
「はい。おっしゃる通りです。ただ、御社の多くの店舗は月額制の水素水サービスを導入されているとのことで、このような商品はあまり需要がないと事前にご返答いただき……。今回、こちらの商品をご紹介させていただきました」
片井さんが答える。
「なるほど。そういうわけね。ただ、ルイボスティー。あんまり売れる気がしないのよねえ」
また、どこからか別の女性の声が飛んでくる。視界の隅では、何名かのスタッフが同意するようにうなずいている。
このままじゃ、採用にはならないだろうな。
そう思うと、どうしてかモヤモヤした。
営業職のことはよくわからないけど、きっとこういうのって、よくあること。たとえうちの会社で採用にならなかったとしても、どこかべつの会社では契約が取れるはず。
だから、私が片井さんの仕事のことをあれこれ考える必要なんてどこにもない。ましてや、今は自分のことで精いっぱいなんだから。
たしかに頭ではそう考えたのに……。
「あの!」
私は片手を上げていた。指先にまで、自然と力がこもる。
声は想像していたよりも鋭く大きく室内に響いた。
誰もが一瞬で口を閉じ、ぴたりと動きを止め、それからこちらに視線を向けた。その中にはもちろん社長の姿もある。はっとした表情の片井さんも。多分、私のことに気づいたのだろう。
うう、怖い。
たくさんの目が、一社員のあんたが何を言うのだ? と問いかけてくるようで固まってしまう。
「笹永?」
隣から岩倉店長のうかがうような声が聞こえる。さっきまで、借りてきた猫状態だった部下が突然動き出したから驚いているのかも。
わかる。自分でもびっくりなんだから。
でも、私はこのまま片井さんがなんの成果も得られず、それをただ傍観しているだけの自分でいるのはいやだ。
そう思ってしまったんだ。
「どうぞ」
進行役の人が私の方を見て、話していいよというようにうなずく。
「あの、えっと……。私はけっこういいような気がしています。イメージ的に、ルイボスティーって女性が注目してくれそうで。レッスン中は水素水で水分補給してもらって、自宅ではルイボスティーでより健康に、みたいな感じでもありなのかなと」
頭に浮かんだ言葉たちが、発するべきか考えるよりも先に勝手に喉から飛び出てくる。不思議なくらいに突っかかることなくすらすらと。
「ありがとうございます! おっしゃる通り、健康のために自宅で飲むというのを想定しています。ノンカフェインなので寝る前にもおすすめです」
片井さんの声はさっきよりも、パワフルに聞こえた。
「あー。あのう、言いにくいんですけど、味ってどうですか? ぶっちゃけ、飲みにくいイメージがあるんですけど」
誰かが尋ねる。
「はい。ルイボスティーは味が苦手という方も多い飲み物です。この商品は渋みや苦みなどのクセを感じにくく、紅茶のように飲みやすく作っています」
片井さんが答える。
室内にいた何人かの社員がふむふむとうなずくけれど、好意的な声は聞こえてこない。
やっぱり、却下されてしまうんだろうか。
そう思ったときだった。
「笹永さんでしたよね? あなたは、この商品が売れると思うのですね?」
それまで黙って話を聞いていた社長が、伸びやかなハスキーボイスを響かせた。写真で見るよりも、美しくて迫力があったものだから、怯んでしまいそうになるのをぐっと堪える。
室内が再び静まって、そこにいる社員たちが、事の成り行きを見届けるように視線をよこしてくる。
「はい!」
片井さんの真似をして、私は大きな声で返事をする。
「それなら、笹永さんの店舗でテスト的に販売してみるのもおもしろそうですね。それで、順調に売れそうなら、全店に展開します。笹永さんのところの店舗責任者は岩倉店長ですよね? どう思われますか?」
社長は岩倉店長へと尋ねた。
「はい。もちろん賛成です。笹永、任せるけどいいか?」
岩倉店長の黒々とした目がこちらを見ている。
できるのか? と聞かれているようだ。
ふいに思い出したのは「岩倉チカラの目力は強い」という姉妹店で囁かれていると噂のフレーズ。
ヨガのインストラクターとしてデビューしてほしいと言われたときに、直に感じたっけ。あのときは、その目から視線を逸らしながらどう断ろうかと一生懸命に考えた。
でも、今は……。
「はい! やってみます」
私はまっすぐ、彼の黒々とした瞳を見て答えた。
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