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良いサービスを受ける近道

お客が偉い、と言う風潮はとっくの昔になり、今は対等であるべきとなっています。
それでも横柄な態度でサービス業や販売業に接する人が多いのはなぜ?

教えられないから?

また、昔の話かよ!と言われてしまうかもしれませんが、昭和では何かしてもらったら「ありがとう」と言わされていました(教育として)
それが何故必要なのか?どういう意味なのか?は後々大人になってから、社会の仕組みを知って理解します。
いつの日だったか、”給食費を払っているのに、食事前に頂きますを言わせるのはおかしい”と言う事が話題になりました。
仏教由来だったと思いますが、命を”いただきます”の意味もあります。ですが、作る人がいてこそであり、それらの仕事に対しての感謝も必要であると言う意味でもあります。
そう言った面倒な事は道徳や、家庭では教わらなくなったからでしょうか?

仕事と通貨は対等な交換

世の中には様々な仕事があります。輸入されている物の中には我々が見たことも聞いた事もない仕事もあるかもしれません。
日本は長らく好景気だった時に、モノづくりこそ産業であり至高。メーカーこそ国を支える最高のお仕事、とヒエラルキーを作ってきました。
学校でも農業や漁業など1次産業には目もくれず、モノづくりがどんなに素晴らしい事なのかを教えてきました。
しかしながら、販売する人がいなければ作った物は誰が売るのでしょう?
販売者がいて初めてメーカーが成り立つはずですが、メーカーにお勤めだと人は「すごいですね!」になりますが、販売店にはそうは言いません。
サービスがなければ世の中の仕事は表に出てこないのです。
誰が偉いとか、どの仕事が凄いとか、そう言った関係性ではなく、近いか遠いかだけの関係で、時にそれは遠ざかったり、近づいたりを繰り返すだけです。犯罪でない限り、世の中に不必要な仕事をしている人はいません。
よって、全員が等しくその仕事の対価をお金として受け取っています。

何故サービス業は下に見られるのか?

先ほどの通り、先ずモノを作っていません。
また、販売やサービスは少なからず消費者の心を動かさないといけません。そこで、丁寧にかつお願いをする必要が出てきます。
人もモノもお金もいっぱいある昭和から平成では、競争も激しく何かで差をつけないと売れません。そこで、金を払う人=上位、もらう人=下位の関係性がバブル期の拝金主義の中で熟成されたと思われます。
また、誰しも王様、お姫様のようにされたらくすぐったくも嬉しいですよね?一度でもその快楽を味わうと忘れられません。ただ、それはその時代にその人の財布の中身に向けられていたのだとしても、勘違いは起きるものです。
そうしていつの間にか、販売やサービスは客に対して一方的に媚び諂い、頭を下げるものとして取り扱われていきました。

これからは

平成から令和に変わり、また当時とは考えられないほど他の文化とも交わる機会の多い現在では、そう言った経済活動における文化も変化すべきです。
互いのリスペクトと感謝はしつつ、対等な商関係が必要。
余りに酷い態度だと追い出すのもアリだと思います。また、価値観の多様化によって、同じ業界でも様々なお店やサービスがあります。自分の価値観を販売側に押し付けてはいけません。嫌なら買わない権利を行使すればいいだけなのですから。
また、消費者側は冷静に自分の支払い金額はどの程度として取り扱われるのか?を知るべきです。ここにも過去の”国内”での基準はもう通用しなくなっています。例えばホテルの料金。外国人観光客がこの内容ならこれぐらい払う、と言って予約をすれば基準はそこに寄っていくわけです。
そんな中、自己基準として「こんなに払ったのに!!」は通用しないのです。私を含めて身の程を知ることも消費において重要です。

と、言うことで

回りくどくなりましたが、どうやったら”そこ”での最高のサービスを受けられるのか?は
① その業種においてどのクラスなのか?を知る
② 最大限の丁寧さとリスペクトを言葉と態度で相手に伝える
これだけです。

汚い話ですが、お金をいっぱい出せば凄いサービスは自動的に付いてきます。一度プリティウーマンを見てみましょう笑
サービス業は現状虐げられている事が多いです。優しくされたら簡単に優しく返します。元々接客が絶対的に嫌いな人はほぼいません。そんな中優しくしてくれたらすぐに返します。
普段とは違って、満面の笑顔でコンビニのレジに行って「お願いします」「ありがとう」を言ってみてください。世界が変わりますよ!!

自己肯定が爆上がりします! いつの日か独立できたらいいな…