独り言
私は社会的にはそれなりに高度な接客スキルを必要とする、と言われている仕事に就いている
だが、ロボットでも人形でもないので余りに利己的要求であったり、理不尽に接した時はそれなりにムカつく
スキルはあっても人間としての器は別の話だ
時々ムカついた時は、周りにお客さんがいない事を念入りに見まわしてからスタッフの近く、それも娘だとしてもおかしくない年齢の女子大生であったとしても
私:あーーー〇〇(上司又はクレーム)ムカつく!!
女子大生:いや、心の声漏れすぎでしょ笑 もうちょっと大人として、管理職としてあるべき姿ってあるでしょうに笑
私:あ?今の聞こえてた?喋ってないつもりだったけど(スットボケ)
女子大生:いや、さいしょの叫びからこの距離で全部聞こえてます笑
などと、半分の年齢の子に泣きつき、窘められている有様だ
だが、それが誰であっても、本気の相談でなくても聞いてもらって、ツッコミもらって(関西人)心がちょっと軽くなる
人間ってそんなもんだ
そこで、電車内で時々出くわす見えない敵と戦っているのか、喧嘩しているのか分からない人って、あれは苦しいのか、楽しいのか考える時がある
姿が見えない敵と戦っているのは、小学校に通う前の男の子の一過性戦闘能力ではないように思える
一部の大人にはまだ備わっている能力なのだ
明らかに、そこに居ない誰かに文句を言っている
私はどちらかと言うと、本当に苦しい時ほど誰にも言えず、それが腐り鬱になるわけだが、普段から電車内の衆目環境でも文句言いまくれるのはストレスなのか、それとも楽なのか?
先ず、衆目環境で好きな様に出来るのは本当に羨ましい
夏になると脇が気になって色の濃いTシャツを着れないほど、私は周りの目が気になるからだ
お腹が知らない内に鳴ってしまう事が怖くて、イヤフォンも電車に乗ると外してしまう、それほどに周りが気になって仕方がない
だが、常に文句を言う、怒ると言う事はその前にそれだけのストレスや怒りの発端があるわけだと考えると、相当の嫌な事があったに違いない
限界に来ると人間はきっと何かを発せずにはいられないと思うが、
あの電車の中で見えない敵に文句を言っている人は、一体どんな事がその人の人生に起きたのか、できればダイジェストVTRを用意して欲しいくらいだ
一方で、あれほど毎日文句を言いまくっているが、一向に満足をしているようにも思えない
だが、文句は途切れない
ある意味、一般人より文才があるのかもしれない
人によっては、聴いていると同じことをリピートしているパターンと、
つらつらとずっと違う言葉と、用件がある人がいる
後者はもしかすると、金閣寺の美しさだけで一冊の小説に誉め言葉を埋め尽くす、三島由紀夫以上の文才があるのかもしれない
そう思ってしまうと、聞き入らずにはいられないだが終わりがないので結論を未だ聞いたことがない
虎穴に入らずんば虎子を得ずの精神で、その人の家までずっと聞き続けたい衝動に駆られたりもする
きっと、最後は満足げな表情で眠りにつくに違いない
衆目環境の何も気にならない、と言う精神状態は悟りなのかそれとも没落なのか
あの人達は、誰かが聞いていると言う意識はあるのだろうか?
結果、今のところこの命題に答えを出せず仕舞いでいる
だが、一つ気づいた事がある
今、私がここでキーボードを打ちながら画面に残しているのは、
あの人達と同じだ・・・ と
自己肯定が爆上がりします! いつの日か独立できたらいいな…