見出し画像

航空機事故から学ぶ:Pitot管への不注意

ピトー管(Pitot tube)は、ライト兄弟が1903年に初飛行した170年も前の1732年にHenri Pitotによって考案された流体速度計であり、今日でも航空のessential equipmentとして利用されています。その理由は装置が簡単ながら、精密に速度を表示できるためです。興味がある方は、「Pitot管とは何でしょうか?」をお読み下さい。
しかしPitot管の初歩的な管理ミスにより、幾つもの重大な航空機事故が知られています。

●静圧孔の防水テープを剥がし忘れた:アエロペルー603便墜落事故
●Angle of attackセンサー周囲の防水処置を忘れた:XLドイツ航空888T便墜落事故
●Pitot管カバーをつけなかった:ビルゲンエア301便墜落事故
●フライトセンサーにカバーせず、Pitotヒート後の較正をしなかった:米空軍B-2爆撃機離陸失敗事故

Aeroperú 603便墜落事故:1996年10月2日、ペルーのリマ空港からチリのサンチアゴ空港へ向かおうとしていたBoeing 757型機は、午前0時40分に離陸した。上昇姿勢に移ったところ、高度、速度、昇降速度などFMSの表示に異常を認めた。0時43分に高度計・速度計が作動し出すが、左席、右席、中央にある予備の3つの計器が各々違う数値を表示して、自動操縦に切り替えられなかった。その後機体の姿勢に対する警報が作動し、パイロットはリマ空港の管制官に異常発生を報告。FMSの数値が信頼できないため、管制官にレーダー高度を確認しながら航行した。

絶えず速度超過警報が鳴っていたので、副操縦士はスピードブレーキで減速を続けた。0時57分に速度超過警報 ・失速警報が同時に作動し、その際は加速させた。その後クルーはリマ空港へ引き返す事を決断。リマ管制官は誘導のためBoeing 707型機を手配した。

1時03分、高度計が3,000mを示している時に対地接近警報装置が作動した。603便は管制官に高度を尋ねたが、3,000mとの返答を受けて警報を故障とみなした。しかし実際には高度は徐々に下がり続けており、この時点で機体高度は既に300mを下回っていた。603便の乗員は漆黒の大平洋を超低空で飛行していることに気づかぬまま、ILSのローカライザー電波を頼りに空港を目指した。

1時08分、603便は管制官から誘導機が間もなく到着する旨の報告を受けた。この際、高度・速度に関して管制官に確認をしたがやはり計器の数値と一致せず、対処法を尋ねていた最中に左主翼が海面に接触。603便は再上昇を試みたが、22秒間飛行した後左翼から水面に突っ込み、機体は反転しながら墜落した。乗員乗客70名は全員死亡した。

事故後、ペルー航空局事故調と米国NTSBの調査官らは、事故前後の状況を調べ、米海軍の潜水艇を用いて水没した機体からCVRとFDRを回収して解析した。603便の機体はリマを出発する前に洗浄・研磨されていたが、その際整備士が胴体下面にある静圧孔を防水テープで覆い、洗浄後に剥がし忘れていた。離陸前点検でも地上クルーやパイロットそれに気付くことはなく、そのまま離陸したため、Pitot管システムからの情報が誤って表示されたと判明した。

夜間に海上を飛行していたため目視による水平飛行が難しく、計器誤表示でパイロットは混乱し、機体のコントロールが不可能となった。管制官が把握していた603便の高度や速度の情報は、一次レーダーによる直接的な数値ではなく、事故機のMode-Cトランスポンタから送信された誤った数値を二次レーダーで受けたものであり、それに気づかず指示が出されていた。パイロットも矛盾する警告に気を取られ、2,500フィート 以下までに降下した後は電波高度計で正しい高度情報が得られることに気付かなかった。

XLドイツ航空888T便墜落事故:2008年11月27日、Air New Zealandへリース予定であったXL888T便(A320型機)は、機体受領のためANZの査察機長や整備士ら3名を乗せて、XL社の操縦士によってフランスPerpignam空港をRwy33を離陸して、仏西国境沿いにBordeaux方面へ飛行した。FL310で30°の360°急旋回を行おうとしたところ、Bordeaux管制から航空路でそのようなマニューバーは許可できないと却下された。やむを得ずPerpignam空港へ引き返すこととし、途中で幾つかの課題をこなして行った。pitch upにてstallを引き起こしstick forwardで回復させる課題を実施したところ、機首が下がらず、同機は地中海へ墜落した。

仏BEAの調査官は、共に海底よりFDRとCVRを回収した。これらは海水による損傷があり、専門技師らが努力して再生を試みたが叶わず、結局Hanewell社へ送付された。解析してみると、事故機は速度超過、急上昇や降下を行っており、Bordeaux管制から急旋回を断られて出発空港へ戻ったことも航跡から確認された。

15:33に低速飛行から失速回復を行なっている最中に、機長は"pitching up all the time!"と叫んで墜落していた。FDRでは2つあるAngle of Attackセンサーが両方とも故障していたようで、ダイバーが墜落地点の海底からセンサーを回収した。これらの動作試験では問題なかったが、センサーの周辺部に塗装が残っており、同センサーのvaneに塗料が付着して動作不良になっていた可能性が考えられた。

同社の整備記録をみると、EAS社でXL社仕様からANZの塗装が行われ、A/A計にカバーがかけられていた。実際にvaneの動作には異常はなかった。しかし塵埃を落とす作業の際に、通常は行われない高圧水道水による水洗作業があり、これで内部に水分が浸水していた可能性が考えられた。そのため、高高度で飛行後にvaneが凍結して、正常に作動しなかった可能性が考えられた。
誤作動発生当時、機長はfull throttleとしてpitch full fowardを試みたが、計器が示した"use manual pitch trim"は行わなかった。BEAは乗員らは何ら曇りない経歴の持ち主であったが、自動操縦装置を過信してしまったと結論した。

ビルゲンエア301便墜落事故:1996年2月6日、Turkeyのチャーター航空会社Birgen Air 301便(B757型機、TC-GEN)は、Dominica共和国Puerto Plata空港からGermany Frankfurt空港に向けて、ドイツ人旅行者を乗せて4時間遅れの23:30にramp outした。機長と副操縦士のほか、それに9時間の長距離飛行なのでReliefとして交代の操縦士が乗務していた。

小雨の降るRWY30を23:45に離陸開始。滑走中から左席の速度表示がおかしかったものの、そのままairborneして2,500ftでSt.Domingo管制センターからFL280への上昇を指示され、auto-pilotを入れた。すると左席の速度は速すぎ、右席の速度は遅すぎで表示されているように見えた。操縦士は左席の速度表示を信じてthrottle down, nose upで操縦を続けたところ、stick shakerが作動して機体は左右にrollingした。機長はthrottle全開にしてところ、錐揉み状態となり、そのまま海面へ墜落した。

翌朝、Dominica海軍と米海軍が協働で捜索することとし、B757の最初の海上事故であったので、NTSBからベテラン調査官が派遣された。事故機は7,200ftの海底に沈んでおり、Black Boxの回収は直ちに難しかった。まずATCとのやり取りを分析したところ、"Squawk 377...stand by!"を最後に交信が途切れていた。海面に浮かんでいた遺留品を見ると、非常用vestが膨らんでいた一方、coffee缶がペシャンコに潰れていて、海面に叩きつけられた衝撃の強さが想像された。

その後、潜水艇を投入して、FDRとCVRが回収されたが、A/Pが入ってから対気速度が350ktと記録されており、pitot管に異常があったのではないかと推測された。特に事故機は同地に25日間駐機され、その間pitot管にはカバーが取り付けられていなかったため、異物で詰まっていた可能性が浮上した。

FDRデータからは右席の速度表示は正常であった。CVRの解析では、副操縦士と交代操縦士がADIを観ろ!Nose down!と叫んでおり、それを機長が聞き入れなかったことが判明した。機首上げ姿勢が大きく、左エンジンがcompressor stallを起こして停止し、そこに右エンジンがthrottole全開となったため、spiral diveとなったことが分かった。

結局海底から事故機のPitot管は回収できなかったが、Puerto Plata空港周辺ではbeeやwaspが多く、特にアッドドーバー・ワスプと呼ばれる小虫は、土で営巣することがよく知られていた。
NTSBはPitot管閉塞時の速度計誤表示への対処を訓練に入れることを勧告し、stick shakerは乗員を緊張させるので、別の警告方法が良いとした。

米空軍B-2爆撃機離陸失敗事故:2008年2月23日、4か月間の任務を終えて、米GuamのAndersen空軍基地からHawaiiとCaliforniaを経由してMissouri州Whiteman空軍基地へ帰投する59爆撃航空団第393爆撃飛行隊所属のNorthrop Grumman B-2 Spirit(Spirit of Kansas)は機長でもある司令官と副操縦士の大尉の操縦で、9:15amにRwy6Rを離陸しようと滑走を開始した。

B-2爆撃機には4万ポンドの爆弾を搭載できるが、この帰投フライトでは搭載されていなかった。168tonの機体は100ktに達した時にbeep音を伴う黄色の警報が表示されたが、警報はすぐに消灯したため、145ktで機長は機首上げ操作を行った。B-2は離陸すると急激な機首上げ姿勢となり、直ちに機首を抑えて失速を免れようとしたが、機体は次第に左へ傾き、左翼端が滑走路脇に接地したため、両名はejectorで緊急脱出した。機体はそのまま滑走路脇に墜落炎上した。機体は2日間燃え続け、20機ある同型機は地上待機とされた。機長は背中に負傷したが、両名は怪我で済んだ。

米空軍の事故調査官は離陸の様子を録画した動画を視聴した上、エンジン、油圧系統、フラップ、weight&balanceを調べたが、いずれも問題は見当たらなかった。事故機の前に僚機のSpirit of South Carolinaが離陸していたが、その離陸滑走距離は事故機より500ft長かった。事故調査官は事故機のFlight Control Systemに異常が発生した可能性を疑って、事故から3週間後に負傷した機長とTV越しに面談した。

B-2には速度、高度、迎え角などを計測する24個のセンサーがあり、事故機では出発前に整備士がair data calibrationを行って問題なしと判断し、出発することとしたこと。離陸中にmaster cautionが黄色で点滅表示されたが、数秒で消えたため離陸を継続させたと証言した。

事故の前日、目的地のWhiteman空軍基地は雪で、393爆撃飛行隊はGuam出発を24時間延期としていた。事故機はAndersen空軍基地のエプロンに一昼夜留め置かれていたが、その晩は風雨が強く、Capenter調査官はセンサーに浸水があったと考えて、センサーに大量の水を浴びせる実験を行ったところ、同様な動作不良が確認された。

事故機は9:34amにcalibrationを行ったが、その56分後にpitot管にheaterを入れたため、センサーを再較正すべき状況に戻してしまっていたことが判明した。同型機の整備士への聞き取りでは、Pitot管の使用と再較正の必要性について、理解していなかった者もいた。simulatorを使った離陸再現では、どう操作しても失速を免れることは出来なかった。
事故調査委員会は同型機のソフトウエア入替えを指示し、米空軍は事故の2か月後にB-2爆撃機の運用を再開した。

近代的な旅客機や軍用機は高度にコンピュータ化され、それによる操縦の負担軽減と安全向上が実現しました。しかしコンピュータへ飛行情報を送るセンサー類に故障や維持管理の不良があると、コンピュータは信じられないような誤作動や誤指示を与えてしまいます。それに素早く気づいて直ちに修正できるか否かが、今日パイロットの重要な資質の1つに求められているのです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?