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お腹の子ライさんのこと

 こむイ垢の方ではあまり呟いてないのですが、私現在妊娠37週、妊娠10ヶ月で、仕事は産休中です。出産予定日まで残り1ヶ月を切り、色々考えることはあるのですが、それも出産子育ての時期に入ったら忘れてしまうかもしれないので、その前に今現在思っていることを残しておこうと思い、今こうして筆を執っている次第です。

 これまで私自身はちょっと長めのつわり期間(でも仕事には休み休み行けてたので多分一般的に見てそれほど重い方ではない)があったり、後期に入って動くのが辛くなったり、息切れするようになったり、内臓が圧迫されることにより食べたものを吐くことがあったりといった、よくある妊婦の苦しみみたいなものは普通にあったものの、子ライさん自身は毎月の健診で特に何も指摘されることなく、順調に週数通り育ってきてくれました。

命とは不思議なもので、私自身はただ毎日寝て起きてご飯食べて仕事行ってというのを繰り返してきただけなのですが、私の体は私が意識しなくともひとりでに子ライさんが育つような環境を作っていたし、子ライさんは産まれてきて外の世界で呼吸できる状態までひとりでに育っていたようです。私が育てたというより勝手に育ってくれたという感じ。今まで実感がなかったけど生物の体はそういう風に最初からちゃんとプログラムされているんだなと思うとなんだか不思議な気がします。

特に妊娠初期の、まだ胎動も何も感じない時期には、お腹の中で生きているのか死んでいるのかも感じることができず、でも妊婦健診は月に1回の頻度なので、次の健診でエコー見てもらったら心拍が止まっているんじゃないか、知らないうちに死んでしまっているのではないかと不安になったこともありました。
実際、私自身も妊娠するまでにそれなりの時間はかかったし、例え受精卵になれたとしても何らかのエラーがあって流れてしまうことは多いのだと思う、またお腹の中である程度育ったのに結果死んでしまうこともそれなりにあるのだと思う。だからここまで無事に育ってくれて、もうすぐ一人の人間が、それも自分の子が産まれようとしているというのがすごいことだなぁ、奇跡みたいなことだなぁと感じられます。健診に行くたびに最初は白く映った丸い何かだったものが、心臓が動き、人の形になり、手足を動かしているのが見えるようになって、お腹を蹴るようになり、最近は私の声に反応したりしゃっくりをしたりしている。あんなに小さくて最初は心臓がちょこちょこ動いているだけだった子が、いつの間にかこんなに大きくなっている。この子は最初から外の世界に産まれてこれるだけの力を持っている。だから大丈夫。そう思うようになりました。これからもこの子は外に出て一つずつできることを増やしていくのだろう、その過程を一つ一つ見守れるかもしれないと思うと、何だかとても楽しみです。それと同時に、今現在生きて生活している人達も、皆こういう過程を経て、産まれてこれない可能性も十分あった中で、それでも産まれてきて、今生活しているんだなぁ、それが何やらすごいことのように感じられたりもします。


 今出産を間近に控えて思うことは、ともかく無事に、元気に産まれてきてくれればということだけです。そのために私にできることはもちろんしておくし、あとは子ライさんと、夫や家族と、医療従事者の方々と、神様の力をお借りしよう、人事を尽くして天命を待とう、そんな気持ちです。


 本当に忙しくなるのは産まれた後からなのだと思いますが、今は子ライさんに会えるのが純粋にとても楽しみです。母としてはすでに何ヶ月も一緒にいた気でいるので、顔を見たら「やっと会えたね」などと言ってしまうかもしれません。産まれる前から子どもの存在を感じることができるのは、やはり母親だけの特権のようには思います。

 
 子どもに対して、どんな風に育ってほしいとか、親の願いとか、そういうものをもしかしたら抱くべきなのかもしれないけれど、正直私の今の気持ちとしては、ともかくいつまでも健やかに生きていてくれたら、人生の中で幸せだと感じる瞬間がこれでもかくらい沢山あってくれればと願うだけです。いや、それだけだとは言うけれども、今の時代もしかしたらそれすらとても難しいことなのではないかと思っています。
 勉強ができないよりはできた方が生きやすくはなるかもしれないし、運動もできないよりはできた方が何かと便利かもしれない。学歴もないよりはあった方が世の中渡っていきやすくはなるでしょう。少なくとも、自分の頭で考える力はそのまま生きる力に直結するとは思うので、自分の頭で考えられるように環境は整えてあげたいなと思うし、少なくとも、ありがとうとごめんなさいが言えないと人と関係を築くのは難しいと思うので、周りの色々な人、ものに対して感謝できるように心を育んであげたいとは思う。ただ、たとえ他人と比べて何か秀でたものがなかったとしても、私にとってこの子が一番大切であること、可愛いことに変わりはないと思っています。仕事をする中で、社会としては「優秀な人材」「使える人材」が求められていることも重々承知してはいるし、同僚になる上ではそういう人に来てほしいとは確かに思うけれども、今母親としての気持ちとしては、そんなの知ったことか、他人にも自分にも縛られ過ぎることなく、自分の心に適うように生きていてくれればそれでいいさ、といったところではあります。

ともあれまず私自身がなるべく健康で機嫌よくいること、夫とも協力して家族仲良くすること、この先いつか私自身が子どもの側にいられなくなる日が来たとしても、この子が問題なく生きていけるように、そういう力をつけられるように促してあげることが大事かもしれないと思います。子どもが自分の足で自分の決めた人生を歩んでいけるように、見守り手助けしていくことが、私の親としての役割なのではないかと今は思っています。

 
 私がここまで書いたことは、所詮育児したことない人間の妄言でしかないのかもしれません。が、ともかく、私はこれからあなたの母親を精一杯楽しむから、できるならばあなたもたった一度の人生を楽しんでくれたら嬉しいな、という、そんな気持ちではあります。