優しさという武器は強い -鬼滅の刃-
「思いやりが強すぎて決断できない」
果たしてこれは弱さなのだろうか。
思いやりと優しさを持ち合わせた主人公は弱いのだろうか。
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今年の4月にアニメ化した少年ジャンプの人気作『鬼滅の刃』をようやく観ました。
人気作品には必ず人気な理由があるよね、と思っているので面白いことは間違いないんだろうなあと観始めたら案の定止まらず、アニメ全26話を3日で鑑賞。久しぶりの一気見でした。
時は大正時代。
炭を売るため下山していた心優しい少年・炭治郎(たんじろう)が家に戻ると、母親と3人の弟、妹が人喰い鬼に殺されていた。妹・禰豆子(ねずこ)だけが唯一生き残っていたが、その禰豆子は鬼へと姿を変えていた。
"鬼" は元々 "人間" だった
禰豆子は鬼になったものの人間としての自我も残っている。
炭治郎は鬼を討伐する組織「鬼殺隊」に入隊し、鬼と戦いながら禰豆子を人間へ戻す方法を探す、というのが大まかなストーリー。
禰豆子は特殊で、鬼になっても人間を守り鬼と戦うけれど、他の鬼は違う。人間を襲い、人間を食べることによって自分の力をどんどん強くしていく。
そして悲しいことに、鬼は元々人間なのだ。
戦いに敗れた鬼は最後に人間だった頃のことを思い出す。
遊ぼうよ、鞠で、遊ぼう
まだ人間だった頃わたしのことを
優しい目で見ていたあの人は誰だったっけ
書いた文章を「つまらない」と言われ
原稿用紙を踏みつぶされたこともあったな
自らの意思で鬼になりたくてなった訳じゃないよね。
人間の頃の記憶を取り戻そうとする鬼だって、いた。
鬼の中には異形のものもいるけれど、逆に人間と区別がつかないほど人型の鬼だっている。人間の中に紛れ込んで暮らしている鬼もいる。
人間の家族と一緒にいる鬼を見付けたとして、何も知らない家族の目の前でその鬼を切れるのか?
分かってる。それでもやらなくちゃいけないことは。
だけど…
鬼の討伐方法は太陽光を浴びさせるか、鬼殺隊の刀で首を跳ねるかだ。
ジャンプ作品の中ではグロテスクな表現も多い方かもしれない。だからこそテレビ放送は夜23時を過ぎてからの時間帯だった。
ただ、グロさがメインなわけでは決して無い。
首を切らなくてはならない。そうしないと倒せない。
それは禰豆子を連れている炭治郎の「覚悟」と同義だ。大人しくても妹は鬼なのだ。万が一、禰豆子が人間を襲うような行動をした時には…
炭治郎は常にその覚悟と共に行動することになる。
ただ鬼を倒して勝ちました、では無い。
その鬼だって元は人間だった、ということを忘れてはならない。炭治郎はそれを絶対に忘れない。
勝った!やった!と喜べず、毎回「ああ…終わったのか」と噛みしめながら観た。その部分がわたしたちの心を揺さぶる。
「鬼を切っても、鬼が食べた人たちは戻ってこないんだよね」
「そんな都合の良いことは無いよ」
恋人に窘められてそりゃそうだと思いつつどうしても涙が滲む。
カメラワークに惚れ惚れ
アニメーションもカメラワークという表現を使うものなのでしょうか。とにかく全編ずっと映像が綺麗。カメラワークが良い。
2話の罠を避けながら山を駆け下りていく修行シーンや、9話の鞠と戦うシーンが特にカメラワークが好きでした。
そして何よりも感動したのが19話!
19話は映画のようでした。テレビアニメですが完全に映画クオリティ。圧倒的な迫力、映像美に思わず息を飲んで画面を見つめてしまった。
本当に最初から最後まで作画が綺麗だったなあ。
続きは映画なので映画も楽しみです。わくわく。
ひとつのことを極め抜け
これはアニメ17話のタイトル。自分に自信が無くていつだって涙いっぱいになっている黄色い髪の毛の善逸(ぜんいつ)の話。
バトルものって成長していくのが楽しみの醍醐味だと思うんですよね。出てくる敵が強くなり、倒していく度に主人公も成長を遂げる。どんどん強くなる敵、ますます強くなる主人公。成長していく姿と比例して読者・鑑賞者のボルテージも上がっていく。
では、善逸とはどんな人物か。
「俺はな ものすごく弱いんだぜ 舐めるなよ」
善逸は戦闘向きの性格では無い。
そもそも炭治郎とは違って鬼を倒したくて鬼殺隊に入隊した訳では無いし、鬼殺隊だけど鬼と戦うことを怖がり、嫌がる。
善逸が使う刀の型は「雷の呼吸」というもので全部で6つの型がある。その中で善逸が使える技は1種類の型だけなのだ。
わたしはアニメのみの鑑賞なので今後の展開は知りませんが、少なくともアニメでは善逸はたった1種類の技だけで戦うことになる。
普通は敵に合わせて技の種類を変えていくもの。ルフィだって「ゴムゴムの」が何種類もあるでしょう?それどころか「ギア」だってあるでしょう?だってそれが面白いんだもの。どの技で戦うのかっていう頭脳戦や、新しく使えるようになった技で勝っていく気持ち良さとか。
でも彼にはそれがない。
ではどこで成長を感じさせるのか。
それは精神面だ。善逸の精神面が成長していく。
ひとつの技だけで成長を感じられる作品って今まであまり無かったと思う。たったひとつの技だけでこんなにも面白く観られるのか、という新しい発見があった。
ひとつの技しか覚えられない善逸に、彼の師匠は「ひとつのことを極めろ」と声をかける。「極限の極限まで極め抜け」と。
沢山の技を次から次へと覚えて強くなっていくキャラクターは格好良い。けれど善逸のようにひとつの技だけを極め抜いたキャラクターだって同じように格好良いのだ。
優しさという武器は強い
主人公の炭治郎は優しい。禰豆子を人間に戻すために鬼と戦うけれど、同時に鬼に対しての優しさも持ち合わせている。
初めて鬼と戦った時、炭治郎はなかなか鬼に対して止めを刺せなかった。鬼を倒すことを怖がり、鬼を前にしても優しさが消えない。思いやりの心が強い。
そんな炭治郎は弱いのだろうか。
わたしは優しさを持ち合わせているからこそ強いと思っている。例えるなら「北風と太陽」の「太陽」のようなのだ。
鬼を切る前に「苦しむだろうな」と思ったり「生まれ変わったら鬼になりませんように」と神様に祈ったり。家族の仇である鬼を「鬼」と一括りにして見ずに、たとえ結果として倒すことになるとしてもひとりひとりの鬼と真摯に向き合っているような印象を受ける。そういう部分が炭治郎の強さだと思う。
単なる憎しみだけではない。鬼は元々人間だったという哀しみを忘れていないからこそ炭治郎は鬼を倒すために努力し、強くなれる。そうだ、想像力のある人間は強い。
だから炭治郎は主人公として魅力的なのだ。
一緒に物語を追っていくのが楽しくて、一緒になって喜んだり悲しんだりドキドキしたりハラハラしたりできる。思う存分感情移入させてくれるキャラクター。これが面白いんだろうなあ。
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やっぱり人気な作品には人気な理由がありますよね。
アニメ面白かったなあ。続きが気になるなあ。
映画、観に行きたくなっちゃうなあ。
そうそう、鬼滅が好きな同僚に「アニメ観終わりました。わたしの推しは錆兎です」と伝えたら「大麦さん、王道いかないですよね」と笑われましたとさ。錆兎、お面が割れた瞬間に「あ、推せる」って思ったんだけど、なあ。
(はじめて恋人にトップ画を描いてもらったよ)
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