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もっとマイペースに生きてもいいじゃん

自分の存在価値を見出すために「他者と比較」してしまうことがある。私達は学生の頃から、試験の点数、スポーツテスト、部活のレギュラー争いと、何かと点数化を図り優劣がつく環境で育ってきた。数十年前にSMAPの「世界に一つだけの花」が流行った時、この競争原理に疲れている人が多数いることも伺えたが、「オンリーワンなんて言っている甘い世界じゃない。ナンバーワンを目指す気持ちが大事」と唱える人もいる。

学生を卒業し、社会に出てからも競争原理は残っている。会社での出世、競合他社との競争、同年代の争い。モチベーションを高めるためには、このような競争原理も一定は必要に感じる。お互いにリスペクトでき、一定期間は競争するが、時が過ぎれば認め合える関係性が作れるような健全な競争であればいい。しかし、現実は「自分の価値すら否定」しなければいけない、健全ではない競争も漂っている。

相手を下げることで自分の地位を保つ。負けたくないプライドが正しい競争から逸脱を招く。私個人的には人と比べられることや他者の比較によって価値を図られることがとてつもなく嫌い。だからこそ、世の中の競争原理に対して懐疑的であったり、会社の中で競争イベントが実行されると、純粋に楽しめない自分がいるのだろう。もちろん、自分の弱さも関係していて、「負けたくない。負けたら嫌だな」と負けたときの落胆する気持ちをなるべく味わわないために、競争から一線をひいいていることも否めない。

今は多様性の時代だと言われるように、一つの能力が優れているからと言って、その自分物が全て優れているわけではない。皆、自分らしい部分を持っており、その自分らしさがどこかしらの環境で価値の発揮につながる。また、組織の上位層としては自分らしさを持っているメンバーひとりひとりを活躍させることができる土壌作りも大切になってくる。

何が言いたいか、というと「もっとマイペースに生きて」もいいのではないかということ。少しくらい会社での成果が同期よりも劣ってもいい。いつもいつも誰かに勝たなければ、他者よりも優れている点を持っていないと。そういった相対比較の考えを一旦脇において生きてもいいのだと思う。私自身のことだが、以前は仕事の努力においても人との比較ではかっていた。そうすると本当に自分にとって必要なことがわからないまま努力してしまったり、常に他者のことを意識しながら日常を過ごさなければいけなくなる。努力自体が自分に向いてないため、いくら頑張っても自信もつかない。けど、最近は自分が決めた努力をすることで自分を認めてあげることが、成長や自信につながることを知った。他人よりかスピードは遅いかもしれないが、自分の中で得られているものがあるのであれば問題はない。「努力することで結果は保証されないが、成長は保証される」という言葉がある通り、自分の過去と今、未来を考えていけばいい。他者との比較はきりがないし、満たされることがないが、自分の過去との比較であれば成長している部分が沢山みられる。
だから、私は残りの人生も有意義に過ごすために、マイペースに自分の決めた道を進んでいこうと思う。

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