自らしく生きることは容易ではない。けれど自分が思うよりも”自然体な私”であることが私にとっても他者にとっても居心地がいい。

「自分らしく生きる」。この言葉を聞いとき、私達はどれだけ、自分はできているとうなずけるだろうか。私達の周りには、「自分以外の他者」がいる。家族も同じ。他者と共存して生きているから、自分のことだけ考えるわけには行かない。

けど、最近は個性や自分らしさの発揮が幸せの定義の一つである認識が増えているようだ。ダイバシティ推進が一つのきっかけでもあるように。

どうして今日はこのテーマのことを書いているかというと、昨日職場で同じチームのメンバーからこんな言葉を投げかけられた。

「Kさんっていつも前向きで一生懸命働いているから、周りにも良い影響になるよね」

私からすると、悩みが着きないし、仕事の成果も中々出ない中で、「疲弊」している自分がいたからびっくりした言葉だ。正直に自分の状態を打ち明けてみても、「え、そんなようにはみえなかったです・・・」と言ってくれた。

私としては、自分の疲弊した気持ちが他の人に伝わっているのではないか?たまに弱音を吐いた相談を周囲にしているけど、色んな人に「あいつは弱音を吐いているよ」と苦言されているのではないか。もっと強くならないと・・・と”周囲からの見え方”を過剰に意識していた。そんな矢先にメンバーから思わぬ言葉を投げかけられたので、びっくりしたのと同時に「安心」と「嬉しさ」がこみ上げてきた。

同時にわかったのは、「他人がみている自分と『自分が思っている自分』」には乖離があるということ。そして、私の場合は自分自身を厳しく見る癖があるので、他者が捉えているよりも、マイナスに自分をみてしまうことも理解ができた。

意外と他人は自分が気にしているほど、自分のマイナス面について認識はしていない。だとすれば、今のまま「自然体の自分」でいることが自分にとっても一番生きやすく、自分らしさが発揮できて仕事も上手くいく。

少しくらい図々しく生きてもいいのだと思う。
矛盾するようだけど、大人になればなるほど、私達は図々しく生きるのが難しくなる。それは、子供の頃に他者との協調において指摘を受けたり、強制されたりしてきたから。後は、社会にはルールがあるので、ルールやマナーを意識するようになるから。他者を気にして生きるのも大事。それでも、幸せな生き方を追求するのであれば、最低限のルールとマナーを守ること以外は、図々しく生きる勇気を持つことなのかもしれない。

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