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(短編小説)饒舌な沈黙たち

真冬の深夜の弁当工場はその清潔さが寒々しい。俺はシュウマイをひたすら詰める。どんどん詰める。それはそのうちシュウマイに見えなくなり、ついには話しかけてくる。

「しけた顔してんな」
「向き逆ですけど」
「おい、寝るなよ」
「グリーンピースずれてない?」

 その出会いは一瞬であっという間に別れがくるが、同じ顔のシュウマイが去り際に一言ずつ話しかけてくるから会話が続いてるように錯覚する。
 それは俺の脳内で作り上げている会話だ、妄想だ、わかってる、大丈夫だ。黙っていると視界が歪んで頭がぼーっとしてくるから、担当食材と話すようになった。誰とも話さなくていいからこの仕事を選んだっていうのに。

 休憩時間も話す人はほとんどいない。目を瞑ってイヤホンで何か聴いてる人、スマホをいじる人、競馬新聞を読む人、ラジオ体操する人、謎の手遊びをする人、本を読む人、じっとしてる人…一緒の空間で三ヶ月以上働いているのに、誰のこともよく知らない。マスクと帽子で覆われているから顔もほとんど見えない。あまり声も聞いたことがない。ただ同じ時間、同じ空間に共に存在している。

 仕事を終え、まだ暗い早朝の道を自転車で走る。吐く息が白い。手がかじかむ。頬が凍る。途中コンビニで、どこかの誰かが作ってどこかの誰かが詰めた弁当を買う。

 家の玄関をそっと開けると、台所で母のたてる音がし、洗面所で父の水を使う気配がする。俺は誰にも会わないように素早く自分の部屋に入った。

 大学を出て就職した会社を半年もしないで辞めた後、東京の一人暮らしの部屋を引き払って実家に戻った。母は痛ましい者を見るような目で俺を見て何も言わずに背中をなでた。父は言いたいことを必死でこらえているのがわかる顔で諦めたように細いため息をついた。

 実家に戻ってきたのは夏の終わりが始まる頃だった。高層ビルに遮られ風も吹かず、コンクリートの照り返しで息の詰まるような東京の暑さと、同じ関東でも海風が吹き土や緑の多いこの辺りの暑さは、種類がまったく違う気がした。東京の暑さに慣れていた俺にとって、夜には窓をあければ暑いなりに気持ちのいい風が入ってくることが新鮮だった。エアコンをつけずに生ぬるい風に吹かれて汗をかきながら眠った。呆れるほどよく眠った。昼すぎまで寝ても夜の9時にはまた睡魔がやってきた。実家に戻る前の一ヶ月はほとんど眠れなかったというのに。

 ありがたいことに俺の部屋はそのまま残っていた。「色々かだすのが面倒だっただげよ」と母は言っていたけど、まさか息子がこんな風に戻ってくるとは思ってもいなかっただろう。勉強机とベッドと小さい本棚とタンス。東京から引き上げてくるときに持ってきたのは少しの服とパソコンとスマホくらいだ。あとは全部売ったり捨てたり処分してきた。だから部屋は高校生の頃から驚くほど変わらない。ほとんどの時間、その部屋で寝ているかぼんやりしていた。秋が来たことにも気づかないうちに、すでに過ぎ去っていた。

「いづまでああしてるつもりなんだ」
「…今はまだそっとしといだほうが」
「そーたごど言ってる間に、あれだ、ほら、四十どが五十になっても引ぎごもって親の年金当でにするような子供になったらどうする」
「まだ二十代だし、無理に言っても」
「働がねえ時間が長ぐなればなるほど、戻るのが難しくなっぺ」
「そうだげど」
「そもそもこっちで就職探すのが?」
「さあ。何も話してぐれねえがら」
「まったぐ、どうしてこーたごどに…」

 父と母が寝室で話しているのを廊下で聞いてしまって仕事を探しはじめた。けれどサービス業や営業で人とかかわることはもちろん、社内の人間とコミュニケーションをとることもできる気がしなかった。誰とも話したくなかった。人と話すのが怖かった。

 入社した直後に行われた一ヶ月の新人研修。

「飯島!いったい何を勉強してきたんだっ」
「いーいーじーまー!頭を使え頭を」
「ほら、飯島!のろのろするな」
「もっと大きな声で返事をしろ、飯島!」

 自分に向けられた数え切れないほどの罵声がよみがえる。今まで生きてきて、親にも先生にも他の誰にもそんな風に怒鳴られたり罵倒されたりしたことなんてなかった。小心者で真面目な俺は、勉強も生活も最低限きちんとやっていたから、小学校に入った頃から叱られることなんてほとんどなかったのだ。
 だけど、その研修では何をしても怒鳴られた。あとから、そういう研修なんだと誰かに聞かされたけど、一体何のためにそんなことをするのかわからなかった。新入社員同士でお互いの悪いところを延々と言い合うという時間も耐えがたかった。まだよく知りもしない同僚の悪いところなんてわかるはずもないのに、言わないと怒鳴られた。相手も必死だったのだろうがなぜ出会ったばかりの俺の悪いところをそんなに言えるのかわからなかった。社訓を大きな声で言い続けるのも、社歌を歌いながら十キロマラソンをするのも、座禅を組んで自分を見つめなおすのも、俺には意味がまったくわからず、ただただ辛く耐えがたいだけだった。
 それでもその研修期間をどうにか終えた俺は、その後から会社に行けなくなった。夜が眠れなくなり、朝が起きられなくなった。寝ようとしても起きようとしても心臓がものすごい早さで打ち始めて息が苦しくなった。食事もあまりとれなくなった。
 結局、そのまま時間だけが過ぎて本格的な夏が来る前に退職届を出した。けじめをつけるためにも、そして礼儀としても退職届くらいは自分で出そうと這うようにして会社に行った俺に、哀れむような顔した上司が「おまえだけだぞ、こんなに早く辞めるの。大丈夫なのか? そんなんじゃ、どこいっても働けないだろ。もっといい加減に鈍感でいないと。いろんなこと真面目に受け取っていちいち気にしてたら壊れるぞ」と言った。その言葉は意外にも冷たくは響かなかった。上司なりに俺を心配しているのがわかって、それが余計に辛かった。

 同期の一人は「あの研修さえ終わればあとはそんなきついことないって聞いたよ。だから、俺はあれが底だと思ってもう少し頑張ってみる」と言った。他の一人は「あの研修は相当に黒いと思うけど今のご時世、あのままのやり方で通用するわけないし、変わるはずだし、むしろ俺が変えてやるくらいに思ってる」と力強く言っていた。一度は辞めようとした同期は「求人率がコロナ前に戻ってきたらしいけど、一社目こんな早く辞めちゃったら、いくら売り手市場でも相手にされないんじゃないかと思って。日本は結局新卒が有利だから。一度失敗すると這い上がれないのが日本だっていうし」と考え直したという。俺と同じくらい弱っていた一人は青白い顔で「辞める気力もないよ。とにかく何も考えず何も感じないようにして日々をやり過ごしてみる。そのうち慣れてくるかもしれないし」と小さな声で言っていた。

 同期の中で、俺だけが辞めた。そう思うと自分がとてつもなくポンコツに思えた。ここまでの人生は、何とかみんなと変わらずに悪目立ちすることも大きな失敗をすることもなく、三流とはいえ現役で大学にも入って、四年でちゃんと卒業して、就職もできて、そうやって人並みに普通に人生をやってこれていたはずなのに。突然道を踏み外してしまったようで怖かった。

 退職の日、会社のカードキーや支給されていたパソコンなど全てを人事部に返却し、オフィスを出て、最寄りの地下鉄の階段を降りているとき、急にわかった。

そうか。あれは、理不尽を受け入れるための研修だったのだ。

 これから仕事をしていく上で、あの研修で行われたような、理由のわからない不快な思いをするだけの、どこにもやり場のない怒りが生まれるような、そんな理不尽なことを経験するのだろう。ドラマや本の中で見たことがある。筋の通らない命令、無茶な要望、責任の押し付け、手柄の横取り、あらゆるハラスメント…全てを鈍感に受け流し、うまく対処していくこと。それがきっと仕事をする上で、もしかしたら生きて行く上でも、必要なことなのだとわからせるための研修だったに違いない。

 けれどそれがわかっても、俺にはうまくやれる自信はなかった。できるだけ理不尽や争いからは離れて穏やかに生きたかった。誰かを傷つけることも自分が傷つけられることも厭だった。けれどそれは酷く子供じみたきれいごとのように思えたし、世の中がそんなに簡単でも優しくもないこともわかっていた。お金を稼いで生きていくには、鈍くならなければいけないのだと、それが大人になって社会に出ることなんだと、頭ではわかって、でもやっぱり耐えがたいと思ってしまう。逃げるしかできない自分は、大人としてこの世界で生きていくことなんてできないのかもしれない。それでも日に日に大きくなってゆく「生産的なことを何もしていない自分」を責める気持ちと、親への罪悪感に追い詰められてやっとみつけたのが深夜の弁当工場だった。

 しかし俺を心配していた母親も、弁当工場で働くと言ったら暗い顔をした。東京の大学まで行かせて弁当工場では失望するのも仕方ない。信用金庫に勤める父は能面のような顔で俺を見るだけだった。二つ上の兄はやはり東京の大学を出て、IT関連の会社で働いている。兄の卒業した大学は、偏差値でいえば俺と同じくらいでたいして高くなかったけれど、昔から好きだったパソコンやプログラミングの知識のおかげで勢いのあるベンチャー企業に入ってそれなりに稼いでいるらしい。アプリを作ったりウェブ広告のシステムを作ったりしていると聞いていたけれど、俺にはよくわからない。でも好きなことを仕事にしているなら、それだけで羨ましかった。それでも、あの研修のような耐えがたい理不尽はあるのだろうか。きっとあるのだろう。好きなことだからって楽しいばかりのはずはなかった。兄はそれでも続けているのだと思うと、自分の情けなさに身体が震えた。

 申し訳なくて親と話したくないから、できるだけ自室で過ごす。早朝に工場から戻り、部屋で弁当を食べ、親が仕事やパートに行っている間にシャワーを浴びる。ひと眠りしたらスマホの中をさまよって過ごす。手の平に収まる薄っぺらい四角い箱の中には、無限の無料コンテンツが入っていて、自分とは何の関係もないどうでもいい笑える動画や一生会うこともない世界の誰かの人生を見ていれば、いくらでも時間がつぶせた。

 大学時代の友人たちとは、いつの間にか連絡が途絶えていた。自分の状況を説明したくなかったし会う気力もなくて、連絡をもらっても何と返信していいのか悩んでいる間に時間だけが過ぎた結果だった。寂しさと同時に少し安心している自分がいる。みんながこの社会でがんばっている様子を知りたくなかった。大学時代の楽しかった記憶も思い出すと逆に苦しくなった。モラトリアムとはよく言ったものだ。社会に出る事を猶予されていたあの時代は真実の世界の姿ではなく、夢のような仮の世界だったのか。思えば小中高の狭く息苦しかったあの空間のほうが社会の理不尽さに近かった。大学は論文の締め切りや試験勉強などが辛いときはあっても、それは理不尽ではなかった。人間関係もほどよい距離で、自由だった。あの大学の四年間のような世界は存在しないのだろうか。やるべきことを真面目にしっかりやってさえいれば生きていけるような世界はないのか。社会に出て食べて生きていくためには理不尽に耐え働くしかないのか。みんな当たり前にそうしているのかと思うと、自分は一体どこで大人になることを失敗したのだろうと思う。

 自分のことから目をそらしたくてネットの中をさまよっていたら、今、この瞬間にもイスラエルの爆撃を受けているガザから、がれきの山となった街の中で血まみれでぐったりとして灰色の顔をした子どもを抱きかかえて茫然としているパレスチナ人の父親の写真が投稿されていた。彼らは俺と同じ普通の民間人の親子だった。かつての、その子どもの元気だった頃の笑顔の写真も載っていた。He had a dream. Not anymore.そんな言葉とともに。そして続くスレッドには、破壊されたコンクリートのがれきの山を大勢の人が必死な形相で素手で掘っている動画が貼られていた。彼らは顔しか出ていない幼児や手しか出ていない誰かを助けだそうとしているのだった。
 それらは、映画でも歴史の話でもなく、今、この瞬間に世界のどこかで実際に起きていることだった。英語や日本語や読めない言葉でたくさんのコメントが書かれていたけれど、今すぐこの虐殺をやめてパレスチナの解放を願う人たちとイスラエルを擁護する人たちとで全く違うことを言っていて混乱する。
 真実はこんな風に何の武器ももたない子どもを含むたくさんの一般の人たちが酷いやり方で殺されているということだけで十分じゃないのか。こんなことはどんな理由があったって許されないはずだろ?こんな写真や映像を見るだけで心臓を掴まれたような衝撃で息が苦しくなるじゃないか。こんな酷いことが、人種や宗教や金や歴史や権力や各国の利権なんていう理由のもとに平気で起こるということ、それはきれいごとじゃない現実社会で受け入れるべき理不尽なのか?仕方がないと言って受け入れるべきことなのか?あの研修にも耐えられなかった俺が弱い人間だからこの虐殺が許せないのか?俺が甘くて幼稚でおかしい大人なのか?
 今、この瞬間にも、俺が受けた理不尽なんか比べ物にならない酷い理不尽によって、理由もなく命を絶たれたり、生まれた時から人間として尊重されることなく心身を搾取されたり、どこにも逃げられず誰も助けてくれない状況で凄まじい拷問や暴行や性的虐待を受けたりする人たちがいる。無力の普通の人々がたくさん虐殺されていることを世界中の人が知りながら、どこの国も止めることができないどころか、間接的に虐殺に加担するような資金援助をしたり武器の提供によって稼いだりしている国々があり、日本もそのうちの一つであるということ。

 これが、人間が作ったこの世界なんだ。学んできた歴史の中で、人間がいつの時代も食べ物や土地や資源や権力のために争い続けてきたことを知ってはいたのに、二十一世紀になっても何ら変わらないということ。平和に穏やかに優しく暮らせたら誰だってそうしたいはずなのに、そんな世界は幻想でしかないと、そんなことを望むことが子供じみているとあざ笑われている気がした。こんなことが当たり前にガザで行われているなら、日本でいつ同じような事が起きたっておかしくはないのだ。明日は我が身なのだと思う。この世界に生きる人間である限り。仕事は辞められてもこの人間世界から離脱することはできない。生きている限り。

 父親が夕方帰宅する前に家を出て、会社や学校から帰る人たちの流れに逆らうように駅へ向かう。食券で注文できる店で夕飯を食べる。駅前のベンチに座って寒さに震えながら缶コーヒーを飲んで仕事までの時間を潰す。通り過ぎる人たちを眺める。たくさんの人たち。スーツを着た人、子連れの人、カップル、犬を連れた人、若い人、年配の人、学生…

 みな、どこかへ向かっている。あるいはどこかから帰ってくる。笑いあっている人たちには悩みも痛みも悲しみもなさそうに見える。そんなはずもないのに。

「あれ?飯島?」
 眺めていた人波の中から、一人の女性がこちらに近づいてきた。
「やっぱり飯島だ!久しぶり~寒いのにこーたどごで何してんの?待ぢ合わせ?あれ、東京の大学行ってだよね?もう卒業したの?かっこいーよね。同級生で東京の大学行った人なんて数えるぐらいだっぺ。あどはみんなこの辺で働いでるよぉ」 
 勢いよく話しかけてくる中学の同級生に何も言えずに固まっていると漫画みたいに頬を膨らませてぐいぐい近づいてくる。
「え、もしかして覚えでねえ?まじ?忘れだの?ひでぇなあ、中学が一緒の」
「く、久保田さん」
 怒った顔をしていた久保田さんが破顔する。
「なんだー覚えでんだっぺ。よがったー。私、超寂しい人になるどごだったべ」
 頷くだけでやはり何も言えない俺を久保田さんが怪訝な顔してみる。
「飯島何が印象変わったね?三年ぐれえ前の同窓会で会った時は昔ど変わんねえ感じだったけんど、なんか暗ぐねえ?目死んでるよ、大丈夫?何があった?何だら今がら飲み行ぐ?私、最近彼氏ど別れだばっかしで暇だし」
 久保田さんのストレートであけすけな物言いは、厭な感じがしなかった。昔から変わらない明るくて豪快で面倒見のいい姉御肌の久保田さんのままだった。地元の言葉でこんな風に話しかけられるのも、誰かにそんな風に接してもらったのも久しぶりすぎて、涙ぐみそうになって焦る。
「あ、いや、用事が、あって」
「そっかー。じゃあしゃあんめえ。ほんとは私が暇で寂しくてつぎあってほしかったんだげどな~いづまでこっちいんの?連絡先変わってねえ?時間あったら飲むべよ~愚痴聞いで、彼氏の、あ、元彼の。ね!」
 頷くのが精一杯の俺に久保田さんはよしっと笑顔で言って、俺の左腕のあたりをぽんぽんと叩くと手を振り去って行った。久保田さんの跳ねるように歩く背中が見えなくなってから、俺は停めておいた自転車で工場へ向かう。

 仕事を終えて工場から帰って、いつものようにコンビニで買った弁当を自分の部屋で食べようとしたら、その幕の内弁当が女の声で喋りだした。

「卵焼き係です。ロスジェネ世代で、親ガチャにも失敗して、家族からも時代からも見放されて、それでもパワハラセクハラ我慢して一生懸命働いてきたのに非正規のまま給料も上がらず、独身で老後も不安なのに、全部自分の責任だろって、努力しなかったんだろって言われてる気がするんです」
 そのまま泣き出すかと思った弁当はしかし怒り出した。
「私の何が悪い!親に恵まれてバブル時代に就職活動してたような奴らは仕事なんかできなくても昇進して昇級していくエスカレーターに乗ってるんだ。生まれた時からぐるぐる同じとこ回るだけのベルトコンベアーに乗せられてるこっち側の人間を見下すなっ。おまえらだってただ運がよか…」

 卵焼きを囓ると声は消えた。

 次の日の鮭弁当は、年配の男の声だった。
「その鮭、俺が焼いたの。うまいもんでしょ。母ちゃんに見せてやりたいよ。あ、奥さんのことね。子供生まれてから母ちゃんて呼ぶようになってさ。でも、もうその子供が親になってるよ。孫に会ったことないけどね。俺の酒と暴力のせいで家族バラバラになっちゃってさ。馬鹿だよね。最低な男なのよ。でも死ぬ前に孫に会ってみたいなあ、母ちゃんにもちゃんと謝って…」
 鮭を口に入れると声は消えた。

 弁当たちは饒舌だった。多分どっかの弁当工場で黙々と働いて、休憩室でも話したりしない人たちの声。行き場のない言葉が弁当に詰められて運ばれてくる。だけど切羽詰まった深刻なそれらの話を、どこかで聞いたことがあると思ってしまうのは何故だろう。本で読んだか、ネットかテレビで見たか。そんな経験をした人に今まで実際会ったことなんてないのに、自分に起きたらそれは大変なことだと思うのに、辛いだろうと思うのに、それでも聞き飽きた良くある話に感じてしまう。

 多分みんなわかってる。自分にとっての不幸や辛い現実も、他の誰かには既視感のあるつまらない話か人ごとゆえの喜劇でしかないと。あるいは、本気で共感したり同情したりするのは辛すぎて聞き流すのかもしれない。よくあることだとか。自分にできることなんて何もないとか。自分のことで精一杯だとか。ガザのパレスチナ人のことを知っても苦しいだけで何もできないように。

 みんなどっかでそんなものだとわかってる。だから誰にも話さない。話せない。本当は聞いてほしいのに、行き場のない言葉たちが心の中で淀んで澱となって積み重なって、息が詰まりそうになって溢れ出る。俺の詰めた弁当も、どっかで饒舌に語っているのかもしれない。つまらない身の上話を。

 大学の時からつきあっていた彼女は、優しい子だった。ボランティアをやったり野良猫に餌をやったりするような子で、大学在学中に国家資格をとって保育士になった。子供が好きだし、一生働けるし、自分が会社員なんてイメージわかなくて、と言っていた。優しい彼女にはぴったりだと思った。

 俺が研修でボロボロになっているときはいつも慰めてくれた。そんな会社は酷いね、ブラックそのものだよね、がんばってる高志くんはすごいよと、励まし慰め続けてくれた。彼女の保育園での仕事も相当に忙しくてきつかったはずなのに僕のことを気遣ってくれた。

 会社に行けなくなった時、俺を見た彼女はとても不安そうな目をしていた。心配そうなのとはまた違った、この人は大丈夫なんだろうか?という不安に思えた。それも仕方ないと思った。こんな頼りないんじゃ不安にもなるだろう。彼女は学生時代から早く結婚して子供を持ちたがっていた。だから、結局僕が仕事を辞めることになった時はとてもがっかりしていたし、同時にとても申し訳なさそうだった。泣きそうな顔をして彼女は言った。

「ごめんなさい。私は普通の家庭を持ちたいの。経済的にも安心して子供が育てられる環境で、子供のやりたいことは全部やらせてあげられるような、そんな家庭を持つのが私の夢なの。健康なうちに健康な子供を産みたいから二十代のうちに結婚したいとも思ってる。だから、本当に勝手だってわかってるんだけど、このまま高志くんとは付き合えない」

 俺はその時「ああ、うん、わかった」としか言えなかった。自分のこれからすら何もわからないのだから仕方ないと思った。彼女に支えてほしいと思うのは身勝手だと思い、それ以上は考えられなかった。話し合う気力もなかった。悲しみも怒りも沸いてこなかった。

 でも、今あの時の彼女の言葉を思い出すと、無性にもやもやした。普通の家庭ってなんだよ、と思った。どんな人と結婚したってそんな「普通」がずっと続く保証なんてないだろ?と頭のどこかで彼女を鼻で嗤う自分がいた。優しくて周囲を気遣い悪いことなんて絶対にしない子だった。それは演技なんかじゃないし、今でもきっとそのままだろう。だけど、夫が仕事を順調に続けられるか、子供が健康に生まれ育ち彼女が望むように成長していくか、この国が永遠に平和で経済が安定して「普通の」家庭を維持できるか、そんなこと誰にもわからないだろ、と思う。自分の思い通りにいかなかったら捨てるのかよ、と吐き出すように言ってやればよかった。そう思ってすぐ、だけど悪気なく自分のことしか考えていない彼女みたいな人はたくさんいるだろうと思い、自分だって同じようなものだと思う。

「あの、話してもいいが?」

 その弁当は細い女の声で地元の言葉で遠慮深くそう聞いた。今までの弁当は一方的に話すだけだったのに。

「え、あ、どうぞ」
「けんど、面白ぐもねえ話なんです」
「…大丈夫です」  

 消えてしまいそうな小さな声を聞いていたら、最近工場に入った小柄な女性を思い出した。休憩室で水を飲むのにマスクを取った時、化粧気のない顔が子供みたいだったけど実際はずっと年上だろう。オドオドした様子で誰とも目を合わせないでじっと固まったように椅子に座っていた。話したこともないから声も知らない。だけど、なぜかその女性のような気がしてならない。

「あ、でもやっぱりいい。ごめんなさい」

 弁当はそれきり喋らなかった。俺は黙って弁当を見つめた。
 弁当が、喋るわけはないのだ。ふっと鼻から息を吐くように苦笑して、その弁当を食べる気になれず棄てようとし、やっぱり気が変わって食べた。全てのご飯とおかずをゆっくりしっかり噛み砕いて呑み込んだ。付け合わせのしなびたレタスまでしっかり食べた。小柄な彼女の話したかったことも全部吞み込めていたらいいのにと思う。

 空になった弁当の容器をコンビニの袋に入れながら、折り返せないままの久保田さんからの着信を思った。あっけらかんと今度愚痴聞いてよと言った時の顔。よしっと言って笑った顔。あの再会の次の日の夜中、工場で弁当を詰めていた時間に着信履歴は入っていた。それからもう何日もたつのに、折り返すことができないままだった。なぜか急に、久保田さんも本当は必死な思いで俺を飲みに誘ったのかもしれない、と思った。せっかくだからみたいな、暇だからみたいな、軽い調子で明るく言っていたけど、本当はすごく誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。一人で抱えるには苦しくて溢れ出しそうな言葉がパンパンに詰まっていたのかもしれない。

 空の弁当箱をいれた袋をきゅっときつく縛って、久保田さんに電話しなくちゃと思う。折り返しのないことを実はすごく気にしてるんじゃないか。そう思ったら、自分の状況なんてどうでもいい気がした。久保田さんが望むなら話を聞いてあげたい。堂々巡りの話でも、答えなんていらない愚痴でも、懐かしむための思い出話でも、泣きたいだけの感傷でも、聞いたことのあるような話でも、全部聞いてあげたい。そう思った。
 それはきっと、俺がずっと誰かにそうしてほしいと思っていたからだ。誰にも知られたくないけど、でも誰かに聞いてほしい。そんな矛盾を抱えてただ消えてなくなりたくなった俺の話を、いつか誰かに聞いてもらえたら、ただ聞いてもらえたら、そう思っていた自分に気がついた。
 誰とも話したくなくて弁当工場で働き始めたのにな。そう思うと何だか可笑しくて、久しぶりに声を出して笑いたくなった。だけど次の瞬間、急に心がシンとして、俺は本当に久保田さんに電話できるんだろうかと他人事のように思った。久保田さんが俺の状況を知ったら?それでも俺と飲みに行きたいと思うだろうか。そんなことを考える自分にうんざりして俺はゴミをいれた袋を部屋の隅に放った。

 仕事に行くまでの時間、駅前のベンチでいつものように缶コーヒーを飲み、寒さに震えながら人々を見ていた。流れていく人波の中で静止画のように止まっている姿があるのに気づく。チェーン店のカフェの前でじっと前を見て姿勢良く立つ男。自分と同じくらいの年齢に見える。ただ黙って立っている。その手には「虐殺を止めろ パレスチナに自由を」と書かれたプラカード。SNSで見たのはもっと年配の男性だった。一人デモ。そのときのコメント欄には応援する声と同じくらい「そんなことしても意味ねーよ」みたいな言葉がたくさん書かれていた。

 俺はそこに立つ彼から目を離せなかった。何も言葉を発することなく口を真一文字に結びただじっとそのメッセージを掲げて立つ彼を、時々スマホで撮影する人がいる。彼の沈黙のメッセージはネットによって広がってゆくだろうか。どうにもできない現実(こと)への怒りをやるせなさを無力感をこの世界の理不尽へのありとあらゆる思いを、その沈黙は何よりも饒舌に語っているような気がした。
 
 そのとき中年の男が彼に向って「偽善者が!何もできないくせに」とあざ笑うように言って通り過ぎて行った。
 温かい缶コーヒーを飲んでもずっと寒くて震えていた俺の体がぐわっと熱くなる。その勢いのまま立ち上がり、メッセージを掲げ黙って立ち続ける彼に近づいた。喉の奥に詰まった声にならない言葉が熱を持ち、なぜか目にうっすら涙がたまる。彼が俺を見て、そしてうっすらと口角をあげて小さく頷いた。何も言えない自分をもどかしく思いながら、俺もただ黙って小さく頷き、彼の横に並んで立った。
 俺は変わらず無力で何をしたらいいかわからず人と話すのが怖い情けない自分のままだ。それでいて、たくさんの言いたいこと、叫びたいこと、不満、疑問が心の中に渦巻いてそれが俺の息を苦しくし続ける。
 ここに立ったからといって、世界は何も変わらないだろう。一人の命も救えないのだろう。今ある現実に微かな亀裂すら入れられない自分。手に負えない世界。右も左も正義も悪もわからない世界。俺はあまりにもちっぽけで、取るに足らなくて、何の力もない。そのあまりにあたりまえの事実になんだか笑いたくなってきた。
 そんな俺たちを見て面白そうに何か言い合いながら通り過ぎる人たちや指さす人たちや撮影する人たちが引きも切らず通り過ぎる。けれど、なぜだかそれらはもう俺を傷つけることも、怯えさせることもなかった。
 なにかができそうな気がした。だけどそれが気のせいだとも知っていた。それでも俺はしっかりと顔をあげたまま立ち続けた。
 冷え切っていたはずの俺の体は足の先から頭のてっぺんまで熱く火照ったままで、いつまでも冷めることはない。
 
#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

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