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(25卒就活)自分がヤリモクであるという認識

まーた最終面接に落ちました。
けれど結果を見ても落ち込むことはできなかった。
正直自分がどこの会社に行くのかあまり興味が湧かない。


本音ベースの就活

就活の模範解答をみると「本当にこんな人が欲しいんか?」と毎回首を傾げる。そこで「企業のお偉いさんとお話しできる機会」と思って参加することにしていた。
「いやぁ今日もいっぱい話したなぁ。面白かったなぁ」と思い帰路に着く。不採用の通知が来る。

就活とマッチングアプリ

就職活動は、僕が思っているよりも競争の世界なのかもしれない。
入試とは違ったルールの整備されていない不毛なPR合戦競争である。

マッチングアプリも就活も自分を「盛る」方が有利になる。
自分でかっこいいと思われるだろう写真を載せ、「土日はサッカーしてる✨」とみんなが言ってる中で
「土日は夜中までYoutube見て、オナニーして寝落ちしますね。」
なんて言ってちゃ彼女ができないのは当然だ。
(なんか興味本位で初めてマッチングアプリを入れたけど、皆よくこんなのができるな…)

就活もマッチングアプリも、実際に会って「盛る」武装の隙間から見える中身を見て最終決定を下すものだと思っていた。
武装をできるだけ薄くして、自分を曝け出した方がよりモテるのではと勘違いしていた。とりあえず就活においては終始カッコつけた方がモテるみたいだ。

結局は顔?
マッチングアプリを開いて「結局顔じゃねーか」と思ってしまった。
「企業の顔」にあたるものは、年収と知名度。
「新卒の顔」にあたるものは何だろう。

企業は何を求めている?
「仕事ができて」で「辞めない」奴が欲しい
・「仕事ができる」やつか否か
客観的優秀さ
基本的に新卒の優秀さなんてどんぐりの背比べだと思う。
優秀さを客観的に評価される場に行くために、エンジニア職を選考し、コーディングテストやエンジニア面接をパスしているのだけど…
主観的優秀さ
ここを面接だけで判断できるか疑問である。
自己分析と企業分析とやらを経て、
「自分はここが優秀で、御社にこの点貢献できます。」
っていう言語化して、果たしてそれが本当で優秀だと判断できるのか?

・「すぐ辞めない奴か否か」
日本でもジョブ型雇用が多くなり、人材が流動的になっている。(だから転職の広告がうるさくてうんざりする。) 実際、転職前提の就活になっているので、「成長しなくては」だ「スキルを身につけないと」だなんだと世間から煽られている。
それなのに膨大な時間とコストをかけて、新卒採用活動と育成をするのだからできるだけ辞めない奴に来て欲しいはずだ。

すぐ辞めない(ヤリモクじゃない)アピールをするには?

沢山相手のことを調べて、相手の好みに合わせ「あなたが一番好きだよ」という。(セックスしてすぐ振られるかもしれない。そもそも付き合ってくれないかもしれない。)
沢山企業のことを調べて、企業の求める人物像に合わせ「受かったら御社に絶対に行きます」という。(すぐ転職するかもしれない。そもそも内定が出ても入社しないかもしれない。)

甘い言葉をかけられたって、辞めるまでにコストに見合った価値を提供できる奴かどうか知りようがないのに。

「本当の自分を見て選んで!」なんて思っていたから、「本音ベース」の就活をしていた。
でも僕は内定がでるなら(セックスができるなら)、あとはどうなったっていいのだ。別に企業にのことがそこまで好きなわけじゃない。
自分がヤリモクである自覚を持って、自分を盛ると割り切った就職活動をするべきなのかもしれない。

私の就活観

本当の就活の軸

  1. フルリモート(彼女のとこに行く)(生活コストが低い田舎に住む)

  2. 楽しそう

以上。
せっかくそこそこの大学院にで進んでいる奴の軸にしてはアホすぎる。

楽しそうをもう少し分解すると下記のようになる。

  1. 求められるスキルが多様か?

  2. 全体を把握できているか?

  3. 他者に影響を与えていると実感できるか?

  4. 仕事を自発的に進められるか?

  5. 適切なフィードバックが与えられるか?

でも結局フルリモートでやばい会社じゃなければ何でもいいのだ。

社会貢献性とはなんぞや

「社会貢献性が高い職に就きたいです!」と言いながら、皆年収の高い有名企業を受けている。

資本主義の仕組み的に社会貢献性の高い仕事は収入が低い。
社会貢献をするほど収入が得られるのであれば、金融や広告業界より介護士や農家の方が裕福になるべきである。

社会が便利になる ≠ 社会貢献性が高い

社会が便利になることは社会貢献性が高いことだろうか?
仮にAppleが潰れ、このMacBookが存在しなくても、私は不便だがそれによって幸福の量は変わらない。

企業にDXという便利が導入された結果、
「クソみたいな仕事」が減り、「人間だけしかできない仕事」の割合が増えたとしても、企業としての利益が上がる一方労働時間は減らない。
なぜなら企業単位においても競争であるため、成長しなければならず、そのためには労働時間を提供してもらう必要があるから。

こう考えると基本的に「サービス業」と呼ばれる資本主義を勝ち抜いたビジネスは基本的に社会貢献性が高いとは言えない。
「人が生きていく上に必要な仕事」と「社会の不を解消する仕事」しか社会貢献性は高くないがそのどちらも資本主義の中では弱者である。

結果的に自分も含め皆は「人の役に立ってる感」が得られればいいのだ。

(就活観と言いながら、仕事なんてしょーもないしどうでもいいと言うだけになってしまった。)

競争に負けて生きる方法

入試も就活も恋愛も競争だらけだ。
入試という競争に適応できず、今も就活という競争に反抗している。

競争に負けても今の日本では普通に生きられる。
ただ競争に参加したことから「自分は無能だ」「努力不足で競争に負けたんだ」と劣等感を強いられながら生きていくからしんどい。

どうでもいい5段階

  1. 他人がどうあろうがどうでもいい

    1. 年収が低くてもどうでもいい(今の生活コストで十分)

    2. 仕事を何していようがどうでもいい(嫌だったら辞める権利がある)

  2. 友人や恋人がいなくてもどうでもいい

  3. いつ死んでもどうでもいい

根幹には4があるけれど、今は2の段階である。
色々どうでもいい。今の時点で十分満たされていると自覚して生きていく。


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