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【3/15まで特別公開】波のした、土のうえ①置き忘れた声を聞きに行く

2014年秋に制作した『波のした、土のうえ』を期間限定で公開します。

→期間終了しました!
本作は、復興工事が加速的に進みはじめ、かつてのまちの痕跡を失いつつある陸前高田で制作したものです。

2011年3月11日の大津波によって市街地の街並みは失われましたが、道筋や山の形を頼りに、まちの人たちは思い出深い場所を訪ね語りあったり、亡き人に花を手向けたりして、かつての営みと対峙する時間と場をつくっていました。
そこへ、巨大な復興工事がやってきます。
まちのひとたちは、喜ばしいことのはずだからと、工事への恐れや違和感には口をつぐみましたが、ある人はこの体感を「第二の喪失」と表現しました。
懐かしい山の稜線が削られ、まちの痕跡が剥がされ、かつての地面が埋めたてられていくーーそれは、物理的な“集いの場”を追われる過程でもありました。
こうして自分たちの記憶もこれまでの関係性も薄れていってしまうのではないか。
当時、そんな感覚を抱くひとがたくさんいたと記憶してます。
本作は、このまちで暮らしていた3人に話を聞き、それを瀬尾がテキストに起こし、彼らと話し合いながら、彼ら自身がそれを読む朗読の声を収録し、小森が撮りつづけてきた映像と重ね合わせ、編集してつくった3部構成の作品です。
今回は特別に、3人が朗読した物語もテキストでご紹介します。

いま、陸前高田ではすっかりあたらしい地面が出来て、あたらしいまちでの暮らしがはじまっています。
初めて訪れた人には、かさ上げ工事がなされたことすらわからない、なんてこともあります。
この事実は、とても力強いことです。

震災から9年。
弔いのためにさえ集うこともできない苦しい日々がつづいています。
この機会に“あわいの日々”にあった感情や言葉に、いまいちど耳をすませ、すこし立ち止まって過去を思うような時間のひとつになればさいわいです。

※動画の公開は終了しました

*『波のした、土のうえ』は3部構成の作品です。
2本目の「まぶしさに目の慣れたころ」はこちら
3本目の「花を手渡し明日も集う」はこちら

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置き忘れた声を聞きに行く

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私の生まれた場所
草はら、土ぼこり、遠くに海が見える
見えなかったはずの青い海 

アスファルトが剥がされて一面の砂地、所々に青い草が伸びている
あの角を曲がって少し歩いたその場所に
私はちいさな立て札を立てた

主人とふたりで営業していたちいさな小料理屋
ここが確かにその場所

うちではお弁当の仕出しもやってたから、
私はいろんなところに配達に行ったの
そこね、店の向かいの駐車場でお弁当を積んでね、配達に行くの
市役所、市民会館、図書館、みんなすっかり無くなってしまったけど

ご近所さんはほとんどみんな亡くなった
タバコ屋さん、クリーニング屋さん、定食屋さん
みんないなくなってしまった

何もない草はらの、でも確かなこの場所に立つと、
ここにあった時間が、
ふと鮮やかに思い出される
いろんなこと、昔のこともいまのことも
この場所に入れなくなってから特にそう
忘れていたようなことをふっと思い出す

夕方、鈴の音が近付いてくる
ランドセルにつけた鈴が跳ねている
娘が小学校から帰ってくる

娘は学校が終わると、いつもすこし急ぐようにして帰ってきた
たまたま店に誰もいない時間に帰ってきた娘が
道端で泣いているのを、
はす向かいのガス屋のおじちゃんが声をかけてくれたことがあった
なっちゃん大丈夫
お父さんもお母さんもすぐに帰ってくっからね、待っててね

娘とふたりでお風呂に入る
今日学校どうだった?
ひとりで、図書館で本読んでた
次の日も次の日もひとり
友だちがいないんじゃないかなんて心配してたらね、
はだしのゲンにはまって、毎日一生懸命読んでたんだって

あんまり感情をあらわにしない子なの
でも私の両親、彼女にとってはおじいちゃんとおばあちゃんね
ふたりの納骨の時には、声を上げて泣いてた

でも、それ以来私は、彼女が泣いたのを見たことがない
私はあの時いっぱい泣いたから、それで十分
そんなことを言う

私は、無くなってしまったものに気づいては、泣いてしまう

このまちにあったお店が高台で再開したと聞いて、お祝いに顔を出した
お店のご主人と話しながら、
ここにいるはずのあの人がいないと気づく
その人がもういないことは知っていたけど、
それがやっと実感されて、泣いてしまう

頼りにしていたご近所のお姉さんがいたの
彼女の車があの角で一時停止したときに、
店先で支度していた私と目が合って、
ちいさく手を振ってね、挨拶をしあうってことが時々あったの
その時の彼女の顔が忘れられなくてね、
いつもふと思い出すの

まちが流されて、みんないなくなってしまった
私もついに、ここにいることができなくなってしまう
ここに入ることさえ、許されなくなってしまう

自分の子どものころのことも、鮮やかに思い出す
何も無くなってしまったこのまちは、
時系列も失ってしまったみたいで、
私は古いも新しいも関係なく、
いつのことでも鮮明に思い出すことができる

幼稚園の帰り道、
雨上がりに私、なぜかいつもと違う道を通って帰ったの
遠回りして細い砂利道を歩いていたらね、
後ろに大きな犬がついてきたの
私、怖くて怖くて、
でも走っちゃいけないとがまんして歩いていたんだけどね
ついに怖くなって走り出したら、犬も走り出して追いかけてきたの
泣きながら走ってたら、知らないおばちゃんが助けてくれて
帰る方向を教えたら、下校途中の高校生のお姉さんに頼んでくれてね
それでそのお姉さんと一緒に帰ったの
私はのちに、そのお姉さんとおんなじ地元の高校に通うことになる
娘もそこに通ったの
その校舎もいまはもう、そこにはない

幼稚園のときね、
雨上がりの日には、トタンみたいなでこぼこの壁に、傘を当てながら歩いたの
そうするとね、かんかんかんと高く鳴るの
その音とか、手に響く振動を、思い出すんだよね

学校からの帰り道ね、すぐ下の弟とふたりで並んで帰るの
代わりばんこに田んぼの脇の舗道を、目をつぶって歩く
大丈夫こっちこっち、そのまま、まっすぐだよ
私の番になって、目をつぶって歩いていると
ねえちゃん、だめ、ちょっとちょっとって弟が叫んだの
そしたらね、わあという小さな悲鳴のあと、ばちゃんと水音がして
目を開けると、弟が田んぼに落ちていたの

通行人のおばちゃんも、田んぼにいたおじちゃんも、通りすがりの車も、
みんなこっちを向いて笑ってた
私もつられて笑って、弟がへそを曲げた
忘れていたその人たちの顔が、はっきりと思い出される

子どものころは砂利道だった道も、
いつの間にか舗装されて、アスファルトになった
いまはまたそれが剥がされて、草はらになった
時間は戻ったのか進んだのか、私はときどきわからなくなる

ここが私の実家なの
私は首を上に思い切りそらせて、目の前の土の山を見上げる
復興工事のための土が、高々と積み上げられている

流されたときは、土台だけはあったの
弟たちが向こうの方から、流された玄関のタイルをひろってきてくれてね
分け合ったの
表札もずっと向こうにあったらしいんだけど、
福田の「田」しか残ってなかったんだって
それならもういいやって、投げたんだって

私の家、こっちはお寿司屋さんの家、
ここはおばあちゃんと娘さんが暮らしてた

この大きな塊の中に4つの家族がいて、
4つの生活が何十年と確かに営まれていたのを、私はちゃんと覚えている
道も埋め立てられて、もう大通りに出ることもできなくなった
目をつむれば、ジグザグと折れた小道を今でも歩くことが出来る

この場所にこうして立つとね、いろんなことが思い出されるの

この家はね、私が小学校1年生に入る時に建ったの
子どもが小学生になるまでには自分の家を建てて、
そこから通わせたいって、父の想いがあったんだよね
ぎりぎりに完成して、入学式の日から小学校まで通ったの
でもね、まだお風呂とかは完成していなかったから、
しばらくは銭湯に通ってね
父は毎晩お風呂場のタイル貼りをしてた

玄関を入って、短い廊下があって、
手前に茶の間があって、奥に子ども部屋があって、反対側にはお風呂場がある
二番目の弟が廊下を走る足音、台所で母親がつくっている料理のにおい、
父親が寝そべって野球中継を見ている後ろ姿、
すぐ下の弟と背比べをした柱の傷

父は職人だったの
母はいつも自転車であちこち走り回っていてね

私は家の前に青いビニールシートを広げて、お線香に火をつける
父と母が最後に着ていた服を、ひとつひとつ並べる
そうだ、屋根の色はちょうどこんな色だった
壁の色は、この母の下着のような色だった

父は靴も履いたままだったんだけど、母の靴はなかったの
でも靴下は二枚重ねて履いてた
寒い日だったから

この洋服たち、何度洗っても砂が出てくるの
何度も何度も洗ってね、畳んでしまっておいたの
開けて見る度に気づくの、
ここにこんな傷がある、ここはきれいなままだって
波に飲まれたときはどんな風だったかなって、想像するの

最近父にまつわる人が私の周りに現れるの
だから何か言いたいことがあるのかなって、考えてたんだけどね
きっとここに帰ってきたかったんじゃないかなって
そう思ったから私、ここに連れてきたの

風が強い
青いビニールシートは、海風に吹かれてばたばたと跳ねる
私はシートの端っこをなんとか押さえる
並んだ衣服はただそこにあるだけで、何を語るということはない

地震のあと私が迎えに行けば父も母も助かったかもしれないと、
いつだって思う
あの時あんなこと言って申し訳なかったなあと、
津波のずっと前のことまで遡って考えたりする

死んじゃった人はずるいよね
生き残ってしまった人はずっと考え続けているのに
お線香が短くなっていくだけで、特になにが起きるわけでもない
服はいつかここで浴びたのとおんなじ光を吸い込んで、
表面があたたかくなってく
洗いたての洗剤のにおいと、すこしだけ潮の香りがして、
その先に、なつかしい父と母のにおいがする
あたたかい表面を、繰り返し繰り返しなでる

お線香の煙が消えてきたから、私は立ち上がって、
またひとつひとつ、服を畳み直して小さな段ボール箱に入れた

何も変わらないかもしれない
こんなことをしたって、する前と何が違うと言えるんだろう
けれどいまは、抱えた段ボール箱があたたかくて愛おしい
またここに来てもいいよね

ベルトコンベアは動き続ける
対岸の山から運ばれてきた土が、
実家へと続くこの道さえもいつか埋めてしまうかもしれない
私はここに来ることも、できなくなるかもしれない

津波のあとのある日にね、
ここに来たら、私の家がこんな土の山になってたの
人の家になんてことをしてくれるんだって、
人の思い出の上になんてことをしてくれるんだって、私思ったの
だけど冷静に考えてみたら、
この土地の権利もなにも、まちに譲ったあとだったんだよね
あの書類に判子を押すって言うのは、こういうことだったんだ

私に必要なのは、いま目の前でつくられている新しいまちなのか、
わからなくなる
私がほしくてたまらないのは、私が暮らした、あのまちそのもの

冗談みたいなベルトコンベアも見慣れてしまった
やるならいっそ、私がここを見てない隙に、一気に工事をしてしまえばいい
見ていないうちに、さっさとやってしまえばいい
いまは、そんなことを思う

風景は日々変わる それでも私はここに

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*小森はるか監督作品「息の跡」は現在も自主上映会を受け付け中です。陸前高田で種苗店を営む佐藤貞一さんを追ったドキュメンタリー映画。佐藤さんのギター演奏などを特典に盛り込んだDVDも発売しています。

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*瀬尾夏美単著「あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる」もよろしくお願いします。
発災から復興までを繋いでいた7年間を“あわいの日々”と捉え直し、当時のツイート<歩行録>と、一年ごとの振り返りエッセイ<あとがたり>、これまでの時間を“100年後に誰かが語る”そのときを描いた絵物語を収録。

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