休職期間中の記録⑨仕事をしてない自分を支える信念/生まれた時からみんな迷惑かけてる
土曜日にフジテレビで放送していたTHE SECONDがおもしろくて、M‐1のとてつもない緊張感のある盛り上がりとはまたちょっと違うんだけど、芸歴の長い人たちの貫禄や想いや熟練の漫才にもM-1に近いくらい感動した。
翌朝、youtube musicでM-1アナザーストーリーの各回の主題歌のプレイリストを作って、それを聞きながらnoteを書いている。ハンバートハンバートの「虎」は名曲である。
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仕事をしていない自分を支えてくれる信念
僕はかれこれ1か月以上、賃金をもらう仕事をしていない。
最初の頃は、何か今の自分にできる努力をしないといけないと思って焦ったり、調子が悪くて頭が働かない時には、こんなんで自分は今後働いて生きていけるんやろうか、と絶望的な気分になっていた。
だけど、今は仕事をしていなくてもあんまり焦ってなくて、それは、転職前の仕事で出会った人たちの影響が大きいと思っている。今日はそのことを少し書いてみたい。
身近に認知症になった人がいる人ならたぶん知っていると思うけど、
認知症には、記憶障害や見当識障害などの中核症状と、不安や抑うつ、徘徊や暴力、暴言などの、BPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementiaの略)と呼ばれる周辺症状がある。
これは勝手に僕が考えていることなんだけど、僕はうつ病やうつ状態も、中核症状と周辺症状があると思っている。というか、そんなふうに自分の状況を捉えている。
ちょっと認知症と分け方が違うからややこしいんだけど、
うつ病については、
の2つに分けて捉えている。
(医学的にコンセンサスのとれた説明ではなくて、あくまで僕個人の考え方です。)
中核症状があっても、「何もできない人間(自分)には価値がない」という思い込みがなかったら、自己否定とか、将来に対する絶望感(周辺症状)は生まれにくいんじゃないかと思ったので、その話をします。
不安感や抑うつ気分、気持ちの不安定さは、筋緊張などの身体の状態と緊密に関わっていると思う。筋緊張をほぐす抗不安薬を飲むとかなり気分は楽になれたから(あくまで僕の場合はだけど)。一方で、脳の疲労からくる脳機能障害は回復に時間がかかるし、そもそも年とともに脳機能は低下していくものだから、まったく元の状態には戻らないかもしれない。だから、いろんなことができない自分は簡単には変わらない。
そういった脳機能障害と抑うつ気分が重なると、自分のなかの、できない部分にばかり注目してしまって「(実際はできることがあっても)何一つうまくできない自分」という自己認識が生まれ、それと不安感が重なったときに、「自分には生きていく価値がない」と思って自尊心を保てなくなることがある。
それが頭に沁みつくと、気分の調子に関わらず自己肯定感が低くなってしまって、しんどい状況が続いてしまうんじゃないかと思う。
こういった否定的な考え方は、僕はうつ病の周辺症状と捉えている。そして、「自分には生きていく価値がない」という思いが強く出るかどうかは、その人が元々持っている価値観とか、信念、思い込みのようなものに影響されるんじゃないだろうか。
だって、「何もできない人間=価値がない」っていう思い込みがなければ、何一つうまくできない自分でも、「生きていく価値がない」ことにはならないはずだから。もちろん、そういった思い込みを持っていることは、教育や養育環境の影響とか、社会全体の価値観にも大きく影響されるから、そうした思い込みを持っているからって、自分がひどい人間だと責めないでほしい。
さっきも書いたけど、僕は1か月以上お金をもらう仕事をしていない。もちろん、そういう人世の中にたくさんいるんだろうけど、30歳という働きざかりの段階で、大学を卒業して初めてこの状態になったから、最初はやっぱり焦りがあった。うつがひどいときには、いろんなことができなくなっている自分の能力を悲観して絶望的な気分になることも多かった。
だけど割と早い段階で、「まあ大丈夫やろう。なんとかなるやろう。」って思えたのは、いろんな人と話をして認知の歪みみたいなものを緩めてもらったり、周りの人に助けてもらったことも大きいんだけど、
5年半、障害のある人の生活支援をしていたなかで得られた信念のおかげもあるんじゃないかと思っている。
生活支援の仕事で、重度の自閉症の人や、知的障害、身体障害のある人たちと関わってきた。それまで僕は、自分で言うのもなんだけど、結構偏差値高めの学校で、能力重視の価値観で生きてきた。スポーツや受験で結果を出すとか、何かしらのわかりやすい能力があることや、それを発揮することが大事だとか、それを目指すべきっていう価値観に染まって10代や20代前半を生きてきたんだけど、前職では、そういった価値観をいい意味で崩されるようなことをたくさん経験してきた。
僕よりずっと年上でも、言葉を話せない人や、ご飯をうまく食べられない人がたくさんいるし、お風呂で粗相をしてしまう人、人との距離がやたらと近かったり、よくスタッフにいたずらをして注意される利用者さんもたくさんいる。ほんとうに、できること、できないことは人それぞれバラバラだし、個性が豊かだった。だけどそれが面白くて、「大人はこうあらねばならない」みたいな凝り固まった価値観を壊してくれた。
障害のある利用者さんたちも当たり前のように愛されていて、「できないことが多いからこの人に価値がない」なんてことは誰も思っていなかった。いろんな人のサポートを受けながら、もちろん制限はあるにしても、演劇を習ったり、絵を描いたり、飲み終わった薬の殻を無限に集めてみたりして、自分らしく、好きなことをして生きている人たちがそこにはたくさんいて、そのことが周りのスタッフの喜びになっていた。
能力に関わらず、その人がその人らしく過ごすことが肯定される社会やコミュニティーが奈良にあって、そこで5年半働けた経験が、鬱になった自分を守ってくれているように感じている。
「価値のない人なんていないし、生産性や能力なんてものは、人が愛される理由となんら関係がない。その人ができることで、社会と繋がりを持って、楽しみや、喜びを生み出せたらいい。」そんな信念が、鬱になった自分を支えてくれている。
いま働けていなくても、いろいろできないことがあっても、憂鬱になったり、気分が不安定になることがあっても、生きてていいに決まってる。
ここからはちょっと余談だけど、障害があって福祉サービスを利用して生きる人たちは、子どもの頃からずっと人に介助されながら生きてきたから、人に頼るのがとても上手で、頼り慣れていた。頼ることの大ベテラン。
働き始めたころ、人に頼るのが苦手だった僕は、頼ることを彼らを見て学んだ。まだまだ学び足りなかったから、鬱になったのかもしれないけれど。
障害のある人の支援の仕事をして学んだものは、介助の技術よりも、人の支えをたくさん借りながら生きている人たちの生きざまだったり、そういう人たちが笑顔で過ごせる温かなコミュニティにいるときに得られた安心感が大きかったように思っている。
生まれた時からみんな迷惑かけてる
5月17日(水)の日記
梅田のフリーペーパーのお店、はっちまで奈良から原付で1時間半くらいかかった。この日に19時から店番をしないかと休職する前から誘ってもらっていて、予定通りいくことにした。店番と言いつつ、だた居座らせてもらって、その20時からの読書会に参加しに来た、主に初対面の人たちと、その人たちのパートナーとの関係の話や、出町柳のお店の話なんかをしたあとで、富田林に向かった。
夜9時ごろにはっちを出発した。夕方に来たときは車が混んでいた梅田周辺や天神橋筋も、この時間になると随分交通量が減って走りやすい。
イヤホンを耳にさして、「石垣ラジオ」のpodcastで、石垣島唯一のボルダリングジムで働く漫画家の人のインタビューを聞きながら南へ向かった。鈴木さん、ノリがいいお兄さんって感じだ。居酒屋にいそう。
天王寺を超えて、金岡で東へ折れて大泉緑地の南側を通って、富田林へ。夜の道は涼しくて気持ちいい。でも半そでだと風を浴びて肌寒いから、ウィンドブレーカーを持ってきて正解だった。
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たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。