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入社試験に一度落っこちた僕が、39歳で会社史上最大のベストセラーを思いつくまで


運命の雑誌との出逢い

「7、8月は繁忙期になるので、うちでバイトをしながら、出版社への就職活動をしてみてはどうか」

東京の編集プロダクションの社長から、そんなメールをいただいたのは、25歳の時だった。

滋賀の田舎からアルバイトの面接に行った翌週、不採用通知のメールが届いたものの、その返信に10本の企画書を添付して送った熱意を買ってもらえたのか、ともかくも上京の機会を得た。

憧れていた東京の編集プロダクションでバイトをしながら、帰宅すれば、来る日も来る日もGoogle検索。「編集者募集」「出版社 募集」と入力しては、自分に向いていそうな出版社を血眼になって探す。そんな日々が続いた。

そして3か月ほど経ったある日。モニターに現れた、無骨だけれど、何かとても心惹かれる表紙。「致知」と大書されたタイトル。白バックにどでかい顔写真と登場者の名前が載っているシンプルなデザインだったが、表紙全体から、何か強く訴えかけてくるものがあった。

翌日、近所の大型書店に行って現物を手に取った瞬間、全身が雷に打たれたような衝撃に襲われ、気がつけば入社志願書を投函していた。

「夢ならば覚めてほしい」と願った日々

だが、現実はすんなりといかなかった。勢い込んで受けた採用試験は、あえなく不採用の通知。

普段めったに落ち込むことのない僕が、この時ばかりは何も手につかなくなった。気持ちの切り替えが一向にできず、気がつけば『致知』のことばかり考えている。どんな本や雑誌を見ても、『致知』と比較して、ため息をついてばかりいた。

やがてそんな未練がましい態度にも嫌気が差し、ある晩、意を決して雑誌の束を紐でしばり、押し入れに突っ込んで二度と目に入らなくした。でも朝目覚めると、また『致知』のことを考えている自分がいる……。夢ならば、どうか覚めてほしいと願った。

それから1年後。後に自分の上司となる人が、捨てきれないこの思いを拾い上げてくれ、僕は実に幸運なことに、致知出版社に入ることができたのだった。いつかそんな日が訪れようとは夢にも思わなかった。

入社3年目の決意

憧れていた出版社で働く日々は、思い描いていたとおり、夢のようだった。毎月めいっぱい取材をし、めいっぱい原稿を書いた。

だが、入社してからというもの、ずっと抱えていた一つのもどかしさがあった。こんなに激しく心を揺さぶる雑誌が、なぜ全国に知られていないのだろう。この雑誌にこれだけ深く惚れ込んでいる自分が、なぜ25になる年まで、出逢うことがなかったのだろう。

入社3年目を迎えていた僕は、『致知』をより多くの人に知ってもらうため、いまの自分に何かできることはないだろうかと考えた。

そして、大学時代に発信していたメールマガジンの発刊を思いつく。よし、これで『致知』の魅力をめいっぱい伝えていこう。

「朝礼・スピーチで役立つ名言集」というタイトルで2006年に創刊したメルマガの初回登録者数は1,017名(現在は7万名)。

配信サイクルは、毎週1回。最新号の記事から心に響く言葉を選び、編集部がコメントを加える。そのメルマガによって『致知』の存在を知り、定期購読を始めてくださる方も少なくなかった。

転機となった“毎日”配信

それから1年後のある日。上司からメルマガの内容について、こんな提案があった。

「朝礼やスピーチに役立つ、というテーマもいいけれど、『致知』が追究している人間学の世界を通じて、人間力アップに役立つ内容を配信する、というコンセプトにしたらどう?」

そして同時に、

「週1回じゃなく、毎日配信にしたら?」

とも。なるほど、そうすれば接触頻度はグッと上がる。しかし、いまの内容のまま、毎日配信をするのは負荷がかかり過ぎ、きっと長続きしない。

どうすればよいかと考えた末、思い浮かんだのが、「編集部のコメントは加えず、その記事の読みどころを抜粋して配信する」というやり方だった。

また、それを機に、タイトルも「人間力・仕事力がアップする致知出版社のメルマガ」に変更した。

毎日配信に切り替えてから、メルマガ読者の数は飛躍的に伸び、『致知』の購読を始めてくださる方の数も急増した。僕は昼食を会社のデスクで片手で取りながら、もう片方の手でメルマガを作ることが日課となった。

記事を選ぶ基準はシンプルで、自分自身が「これはすごい話だ」「感動した」と心が熱くなったもの。最新号だけでなく、20~30年前のバックナンバーも取り出して題材にする。明日はこんな記事を届けられるのかと思うと、強烈に胸が高鳴った。

読者アンケートに1,000通のコメント

そして創刊から5年後。当時約3万7,000人だったメルマガ読者を対象に、アンケート調査をしてみようということになった。メルマガには、読者の方から感想が届くことはほとんどなく、一体どのような人に読まれているのかが、皆目分からない。

また、メルマガの読者は、どれくらいの割合で『致知』も読まれているのか。年齢や性別の割合は? など、知りたいことがたくさんあった。

そしてアンケート当日。受信先にしていた僕のPCアドレスには、猛烈な勢いでメールが届き始めた。

その数、約1,000通。わずか数日間でそれだけの数が集まったことには驚いたが、さらに驚いたのは自由記入欄に、コメントがびっしり添えられていたことである。

「毎朝、このメルマガを一番に見ます。心が浄化される思いで仕事に向かうことができます」(女性・10代 学生)

「朝、電車の中で読んで、その日のモチベーションを高めてもらってます。きっと死ぬまで読み続けるだろうなと感じてます」
(男性・20代 会社員)

「メルマガに出会う前の前の自分と今の自分の、心の置き場や、湧きあがる気持ちが、ひと回りもふた回りも違うな……と思うこの頃です」
(男性・20代 自由業)

紹介し出せばキリがない。いままで5年間、一心に続けてきたメルマガが、読者の方にどのように受け止められ、また、いかに必要とされるものになっていたかを初めて知ることができ、胸がいっぱいになった。同時に『致知』が宿す力の大きさも、あらためて実感することができた。

Amazonで総合1位になった日

さらに思いがけないことが起こったのは、その後。メルマガにこれだけ熱く反応してくださる方が大勢いるのであれば、このメルマガを本にしてもきっと多くの方が求めてくださるはず。これまでに配信してきた記事を厳選し、書籍化してみてはどうか、という案が持ち上がったのだ。

それまで配信してきた1,000本以上の記事から、特に感銘を受けた話を、選びに選んで25本。書名は『一流たちの金言』に決まった。

発売当日、Amazonランキングでは、朝からグングン順位を伸ばし始め、昼には書籍総合第2位という快挙を成し遂げた。さらにその半年後には、続編となる『一流たちの金言2』が出版された。

この第2弾では、前回、あと一歩で総合1位を逃した悔しさを胸に、会社の総力をあげてPRにも励み、発売日の夕方、念願の総合1位になることができた。

その瞬間、社員全員から割れんばかりの拍手が響き、喜びを分かち合った興奮と感動を、生涯忘れることはないだろう。

ある企画のひらめき

入社からちょうど10年目を迎えた時。僕はあれほど愛していた『致知』の編集から離れることとなった。新たな舞台は書籍編集部。そんな日が訪れるとは夢にも思わなかったが、ともかくも、人間学の王道をゆく書籍を刊行し、ベストセラーにすることが次なるミッションだった。

そして書籍編集部配属から6年の月日が経った2019年、あるアイデアをひらめいた。

これまでずっとメルマガで紹介してきたような『致知』の心に響く話を365本一挙に載せ、1日1ページずつ読んでいくことで、人間力アップに役立つ本が作れないものか。

週末のたびに書店へ足を運び、いろいろな本を調べてみて、3段組みでびっしり文字を詰めれば、1日1ページでうまく収めることができることが分かった。

だが、そのための労力はハンパではない。先述の『一流たちの金言』に収録したのは25本。今回は365本。実に15倍もの数を同じ一冊の本の中に盛り込むことになる。

黒澤明監督は、映画『七人の侍』を作るときに、「ステーキの上にウナギのかば焼きを乗せ、カレーをぶち込んだような、もう勘弁、腹いっぱいという映画を作ろうと思い、製作した」と述べたそうだ。

一方、ドラッカーは「あらゆる者が、強みによって報酬を手にする。弱みによってではない。したがって、常に最初に問うべきは、われわれの強みは何かである」と説く。

「人間学」をテーマにした雑誌を、40年以上もの間、発刊し続けてきたその歴史と、人物インタビューの中身こそが、我が社の最大の強みであり、その強みを最大限に発揮する本が必ずできるはずだ、という確信があった。読み手の心を強く震わすような記事を、これでもかというくらいに詰め込んだ本にしようと思った。

365篇という果てしない山

難航したのは、記事のセレクトだった。これまで何百人もの方に会い、自分が直接伺った話、また、新入社員時代から書庫を漁っては、ひたすら読み込んできたバックナンバーの中に、感動する話は山ほどある。それらを残らず拾い出していけば、数はなんとか集まるはずだと踏んでいたが、甘かった。

思いつく限りの話を集め終えたところで、実際に数えてみれば、やっと180本。まだ折り返し地点にも達していない。

だが、男が一度やると決めたことを、こんなところで投げ出す訳にはいかない。僕はこれまで携わってきた『致知』のバックナンバーを、再び入念に読み込むとともに、入社前のバックナンバーも一冊、一冊、丹念に読み返し、一つ、また一つ、と数を重ねていった。

日中には、毎月の新刊の進行があり、手がつけられないため、作業はまだ誰も出社してきていない早朝か、休日の深夜から明け方にかけてに限られる。しかし実は、その時間こそが至福のときで、取材をした方の言葉があらためて胸に刺さったり、何十年も昔のインタビューのあまりに深い内容に、編集者としての非力を痛感し、打ちのめされる思いを味わったりもした。

そして1年の時を経て、ついに集まった380本の話。山のような原稿の束を抱え、社長の元へ向かった。

「ほぉ、君、ほんまに集めたんか……」と、すこし驚いたような、喜んでいるような顔。ようやく渡せた、と胸に安堵感が広がった。

だがその3日後。「これ、君、集めたのはほんまに偉いけど、もういっぺん見直したほうがいい話が50~60ある」と。すでに絞り尽くした感のある僕としては、さすがにこれ以上はムリかもしれない、と一瞬思ったが、社長はその言葉に続けて「君ひとりで抱え込もうとするな。編集部全員の力を借りろ」と言われた。

そして入社数年目の若手から、この道20年以上のベテラン編集者まで、おのおのが心を熱くした、とっておきの話を持ち寄り、再検討してみた。すると飛躍的に中身が濃くなった。1ページ、1ページがベストインタビュー。365ページのすべてから感動が味わえる、途轍もない本ができあがる……。一日も早く、お客様の元へ届けたい。驚かせたい。そんなワクワク感で胸は高鳴った。

実はそれから先も、掲載許可を取るのが本当に大変で、365人の登場者一人ひとりに許可を取ったり、故人の場合はご子孫の連絡先を探すのに奔走したりと、大きな山が待ち受けていたのだが、出版に向け、着実に一歩一歩前進していることが嬉しかった。すべての許可を無事取り終えることができた時、本書の企画着想から季節はひと巡りし、1年半の月日が経っていた。

こうして生まれた『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』。発売から半年を待たず28万部のベストセラーとなり、業界にも大きなインパクトを与えた。いくら新刊を出しても、初版の増刷すらなかなか掛からなかった昨年までのことを思えば、夢でも見ているかのようだ。

いまでは「鈍器本」という言葉も生まれるなど、分厚い書籍はまるで珍しくなくなったが、僕が書籍編集部に配属された頃は、文字数が極めて少なく、1時間もあれば読み切れるポケット判の薄い書籍が、軒並みベストセラーとなっていた。これから先の出版の世界に不安を募らせていた僕は、ある日、社長に思い切って尋ねてみたことがあった。

「これから先、本はますます薄くなり、文字数はいまよりもっともっと少なくなっていくのでしょうか。その傾向はどんどん拍車がかかっていくのでしょうか」

社長の返事は即答で、明快だった。

「それは違う。時代は拮抗する。読みやすいもの、とっつきやすいものは確かに飛びつきやすいが、人間はあるところまでいくと、一方で難解なもの、ずしりと手応えのあるものを欲するようになる。人間社会はそうやって今日まで発展してきた」

『独学大全』(ダイヤモンド社)をはじめ、いま市場を賑わせている、分厚く、びっしり文字の詰まった書籍群を見るたび、あぁ、その言葉のとおりだったと実感する。

弊社の社名であり、誌名でもある「致知」という言葉は、『大学』という中国古典から採られた言葉だが、その『大学』の中に、「明徳(めいとく)」という言葉がある。

明徳とは、誰もが持って生まれた天真、天から授かった優れた特性のことを言い、その明徳を明らかにし、発揮していくことを「明明徳(めいめいとく)」と呼ぶ。

本作りをしていて思うのは、編集とはすなわち、この明徳を明らかにしていくことではないのかということだ。

『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』は、『致知』という雑誌が持つ明徳を明らかにした一つの形ではないかと思う。ただ、それはまだほんの一つの形にしかすぎない。もっと他に『致知』の明徳を明らかにしていく方法がたくさんあるはずだ。それを探し続けていくことが、これからの自分の人生のテーマである。