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「集中しなければいけない」という強迫観念を捨てる。

大嶋 祥誉著作 「マッキンゼーで学んだ 時間の使い方がうまい人の一瞬で集中する方法」
この本に出会えて自分の抱いていた集中力に対する考え方を一新できたので、
今回共有がてら紹介する。

なぜこの本を購入したのか?

これは過去、私が抱いていた感情。私は元より集中できない人間だった。というか今もそう。 副業に取り組むべくPCに向かって文章を書いたり、書籍を読んだりしたけど、なかなか集中できない。頭に全然入ってこない。むしろ、人の声や光が気になってしまう。鳥の囀りでさえ気になってしまうレベル。
何で自分は他の人より比べて、集中力が全くないのだろうと悩んでいた。

集中できないのはむしろ正しいこと

生物学的観点においては、人間は1つに集中できないようになっている。 原始・狩猟時代においては、「いつ敵が来るかわからない」状態の中、1つの物事に集中するというのはむしろ悪手であった。
常に身の回りの危険に対してアンテナを張る必要があったため、意識が分散するようになっている。今の時代もそう。
集中すること=フロー状態になることは、 自分の命を危険に晒すことと同義。「集中できない」は生物としての本能であり、過去の先人たちからの遺伝である。抗うことができない。
日本に住む現代の我々においては、身の回りの危険というか敵がいつ襲ってくれるかわからない状態になることはまずない。
となると「1つの物事に集中できるほど安全な環境」であるはずなのだが…生物的に危険を誤認識してしまうらしい。
例えば、街灯。 街灯のぼんやりとした明るさは人工的な光ゆえに、漠然な不安を抱かせる要因となる。自然に存在していなかったもの=新しいものに対して、
「これは自分の身を脅かす危険なものなんじゃないか」と不安感を抱かせるのだ。

集中できないことを責めるのではなく、集中できないことを「受け入れる」

集中できないことを責めるのではなく、集中できないことを「受け入れる」ということを本書で説いている。
集中できないことは生物的な本能であり、意思・気概ではどうにもならない。ただ、集中力が全くないかと言われればそうではなく、平均して10〜15分程度の集中が続くことは研究で明らかにされている。
集中できないな、と感じてきたら適宜短い休息(約5分程度)を入れて、次の作業で集中できるように努めた方が生産的だろう。
集中できないことは悪いことじゃない。むしろそれを仕方のないものだと受け入れて、「集中するにはどうするべきか?」を考える必要がある。

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