海の家

私は、最短卒業回数2回、
16歳で社会に出た。

父が学生時代、ライフセーバーをしていた頃から
縁がある 海の家に遊びに行ったのがきっかけで
初めて働くことになる。

16歳の夏。

遊びに行った海でゴミ拾いをしていたら、
なんだお前、ゴミん拾えるだか。となんだか褒められ、そのまま 面接もなく 履歴書も出さず 
暑い海での毎日を過ごす事になった。

子供のいない経営者2人は、いつも真っ黒に日焼けした大将と おしゃべりなおかみさん。
たまにぶっきらぼうだけど、言葉には出さず、従業員を子供のように想っている所があった。

日焼けしたサーファーや、水着見たさ?で手伝いに来ているんじゃないかと思う いつものメンバーは 学生時代にバイトした元従業員。

いつの間にかみんなフラッと来ては、海側の砂浜にあるパラソルやボディーボード売り場で接客というナンパをしていたようだ。

大将には、畳の敷居を踏むなよ と怒られたり、何かとよく分からない事で怒られたりしながらも、今日は遊泳禁止 と言いに来たライフセーバーの伝言をメモにとったら、 こりゃあ誰ん書いただぁ? お前 キレイな字を書くじゃんかと 急に褒められたりもした。

そんな大将との距離はなかなか取りづらいなと思っていたけど、不思議と居心地の悪さは感じなかった。

朝早く起きて、夕方暗くなるまで。

疲れはあるけど、次の朝がまた楽しみで あんなに夢中になれる「仕事」に出会えた夏。

自転車で真っ青な空を見上げながら海までめがけて走った あの日々は 何にも変えられない大切な日々。

学校と勉強が大嫌いだった私が出会った
忘れられない夏。

大将とおかみさんは、普段はラーメン屋をやっていた。 たまにお店へ手伝いに行くようにもなり、昼の混む時間が終わってから海の家に行ける
という事で、夏の昼は 早く行きたくて バタバタしていた。

冷夏が過ぎた夏に、大将が海の家を辞めると言うまで、16の夏からは毎年楽しみで楽しみで仕方ない、賑やかな夏を送っていた。

海の家を辞めてからは ラーメン屋で働かせてもらった。
あんなに忙しい海の家とは うってかわって
暇な日もあるラーメン屋。


ビールのガラスのコップを割った時には、おかみさんから 形あるものいつかは壊れる。
そんな言葉をかけてもらった。

暇だと言う私に、商いって、飽きない が大事だよと教わった事がある。
その時はよく分からなかったけど、今あの言葉を思い出す。

そして今、私は妻になり 母になり 16の夏からちょうど20年。

梅雨が明け、ジリジリと暑い日を感じると必ず思い出す夏の日々。
あのキラキラした、楽しみでたまらない仕事。
朝早いことも、暑さもまったく気にならず
怒られても へっちゃらで 打ち込めた仕事。

自分が働きたいから。ただその気持ちだけで。

16の私から 今も 私らしいはたらき方を学んでいる。


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