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篠笛修行 ~シンプルであることの怖さと奥深さ~

10年ほど前から、趣味で篠笛を習っている。篠笛は竹の筒に指孔と吹き孔がついただけのとてもシンプルな楽器だ。

音を出すのは、それほど難しくはないのだけれど、きれいな響きで演奏するとなると本当に難しい。10年経ってもまだまだである。

シンプルなだけに繊細な楽器。ちょっとしたことが即影響する。

以前、熱い味噌汁を飲んでいて、唇をちょっとだけやけどした。そんなに腫れたわけでもないのに、いつもとわずかに違う唇の感触で音が出なくなってしまったことがあった。

心持ちも、おおいに影響する。
家で練習する際は、のびやかに音が出ていたのに、なぜか師匠の前での稽古のときは、思ったような音が出ない。師匠はとても優しいので緊張するわけではないのだが、上手く吹いてみせようとか、どこかでそんな余計な意識が働くのか、音に現れてしまうのだ。

難しい箇所、「大丈夫か?」という一瞬の自信のなさが、からだに変な緊張をもたらし、とくに唇はそれをいち早くキャッチし、こわばってしまう。
師匠はするどく見抜き、間違えることを怖れず、思い切り吹くよう言われる。

笛の上でのことではあるというものの、臆病な性格も、体裁繕ってよしとする適当なところも、すべて丸わかりされているのだ。コワイ…

とにかくシンプルな楽器というものは、自分のありようがもろに現れるのだ。

わかっているようでわかっていない無意識の自分のさまが、みごとに浮かび上がる。心とからだは分かちがたく結びついていることをいやというほど思い知る。怖いけれど、面白く、その奥深さにはまっている。篠笛はもはや趣味というより、人生の修行の一環でもある。

篠笛の曲は、風が竹林を吹き渡るさまや、桜が舞い散るさま、鳥が森の木々のなかで囀りあうさまなど、自然を表現したものが多いのが魅力で、それらを表現したいと想いはふくらむが、想いだけ先走ってもうまいこといかない。当たりまえのことではあるが、表現するには音がすべて。響く音を出すには吹き孔にどういう角度で息を吹き込むか、指使い、お腹を使った息のコントロールなどしっかりとしたテクニックの習得が大前提で、想いに飲み込まれない冷静さも大切であることを日々学んでいる。

師匠は、森の中で笛を吹くと小鳥がやってくるという。そんな風に篠笛を吹けるようになるのが夢だが、今のところ、私のところには虫しか寄ってこない(笑)



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