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困ったちゃんに振り回される小話。古文書『新板小咄』解読⑤

江戸時代の小話(小咄)『新板小咄』第5弾です。
今回は、スーパーポジティブというのか、ちょっとやっかいな人物と、その対応に苦慮している周りの人物とのやりとりに関する小話です。

1.むふんべつ

ある手代が丁稚に留守番をさせ、
その夜隣の老女が亡くなったといっては
旗持ち※を雇い、また、明日の夜の
葬儀では赤い提灯持ち※を雇い、
向かいの娘が目を回したといっては
医者を呼びに走らせる。

それにしてもまあ、忙しくよそのことに
気を回しておりましたら、
旦那は腹を立て
「あいつはなんといまいましい奴じゃ。
一度もこっちにこうした用で
使いもよこさず、こちらが先じゃ」
とつぶやきました。

 ※旗持ち=死者を弔う敬弔旗を持つ役
 ※提灯持ち=葬儀の先導役

2.すたすた坊

野良息子に親父もほとほと持て余し、
懲らしめるために内々で勘当をしようと
このようにおっしゃいました。

「おまえのようなやつは乞食に
なるなり勝手にしろ」

そして追い出されました。

当の息子は腹を立て
親父に恥をかかせようと思い、
あるとき縄鉢巻きをして
「さあ、すたすたや」と
我が家へ踊りながら入っていきました。

親父はそれを聞いて呆れながら
「それ見たことか」と
バカにして笑いました。

<解説>

「すたすた坊」というのは乞食坊主のこと。

すたすた坊

「乞食になるなり勝手にしろ」
と言われたので、まさかのその通りに
したというわけです。


【たまむしのあとがき】

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、古文書には句読点というものがありません。さらに、日本語の特徴の主語がわかりにくいという点が、さらに顕著になっています。

ですから、どこで文章を区切ったらよいのか、その行動の主は誰なのかを見極めることが、ひとつの大きな壁になっています。

江戸中期頃と推測されるこの古文書は、字体にたいへん特徴があり、本を人に読んでもらうための洗練さに欠けているため、句読点なし+主語不明+字そのものの難解さ+笑い、という四重苦を含んだものになっています。

まず、「むふんべつ」では、その分別のない行動の主が誰なのか、最後まで出てきません。

ですから、読みながら、登場人物との関連性を想像していかなくてはならないのです。

旦那が「あいつはさてもけたいのわるいやつじや」と言っています。

これは「あいつはほんとにまあ、腹立たしいやつじゃ」という意味なのですが、この問題行動の主が、旦那の下の立場であること、さらに一番初めに「でつちをおきつけし」とあるのは「丁稚に留守番させ」のことなので、丁稚よりも上の立場です。

これらを総合すると、番頭か手代ということになります。

主人公はフットワークの軽い人物ですから、どんと構えるイメージの番頭よりも、手代の方がしっくりくると判断して、訳では手代としました。

一方、「すたすた坊」では、親父様の言葉に「おのれがやうなやつはこもをかふらぬやうにしをれ」とありますが、この文章、読めるでしょうか?

「おまえのようなやつはこもをかふらぬようにしろ」。なんとなくこんな感じというところまでは掴めるかもしれません。

問題は、「こもをかぶる」ですが、「薦を被る」という言葉があり、「乞食に成り下がる」という意味になります。そして、「しをれ」は萎れる・うなだれるから、「反省しろ」のような意味です。

つまり、「おまえのようなやつは乞食にならないように反省しろ」なのですが、勘当の文言としてはわかりにくいですよね。

このまま直訳しても相当違和感のあるものになってしまいますので、アレンジして「乞食になるなり勝手にしろ」としました。

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