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明治5年の北方領土の様子を古文書『日本国尽北海道編』から見る

以前、大阪人の人柄を地域ごとに現した古文書『日本国尽五畿内編』をご紹介しましたが、このシリーズは全8巻と壮大で、これにより日本全国が網羅されているため、特筆すべきところがあれば再び取り上げてみたいと思っていたところ、北海道編で北方領土の記述がありましたので、今回ぜひご紹介したいと思います。

私自身、生粋の道産子ですので、地理はそれなりにわかっているはずなのですが、この古文書の書かれた明治5年から現在までの150年間に、市町村合併などで消滅した地名はたくさんありますので、わからないものが意外と多く、読み進むのに結構手こずりました。

しかも全50丁(100ページ)と、北海道編でこんなにいらないんじゃないの?と思うくらい、手厚い紹介がなされていて、川や山(岳)など、登山愛好家でなければ地元民でもよく知らない固有名詞がわんさか出てきます。

地図を傍らに置き、照らし合わせて、不明な地名はをネットで調べながら・・・と、単に古文書を読むだけの労力ではなく、知的欲求を満たす以上の、道民としての意地のようなものを感じたのでした。

そんな北海道編は、北海道全土を11に区分して述べられており、それらをすべてご紹介してはとても大変なので、その中から大変貴重な北方領領土の様子がよくわかる、第10の根室と第11の千島の部分を抜粋して、お届けしたいと思います。

現在の振興局(石狩・空知など)区分とは微妙に違います

根室(現在の根室振興局)

第10番は根室の国。

南北に細長く、東はすべて海に面し、千島とかろうじて一水を隔てて、東西に対峙しています。

西は釧路と北見に隣り合わせで、北見との境には山が多く、それ以外はおおむね平らな土地が広がっています。

南と北の端、そして真ん中の三か所に突き出た岬こそ、南は納沙布岬、真ん中は象の鼻によく似た野付郡の岬、北は北見との境の知床岬。

納沙布岬の東には十ほどの島々が連なり、その一番遠くにはもっとも大きな色丹島がありますが、ここは根室郡に属しているのです。

根室郡と野付郡の間には大きな根室湾。そこから南の浜辺にある根室港は賑わっています。

一方、西方の海岸には温根沼・風蓮湖の2つがありますが、風蓮湖の上流というのは釧路から迂回して、谷や湿原を流れて辿り着いていますから、風蓮別川の河川といってよいでしょう。

さらに北の方角には西別川。これも湾へ注ぐ水流です。

野付半島を過ぎて海岸通りに標津川。その北にあるのが芽梨郡。山と川との数は各7つ。これを芽梨の七ヶ山・七ヶ川といいます。

この根室の国は函館からの距離概ね200里(785km)。陸路では最果ての地です。人口は600人ほどになります。

千島(現在の北方領土)

第11の地は千島。

大小数十の島々で成り立ち、根室の北東へまっすぐ並んだその先に、まさにロシアのカムチャツカ半島があります。そして西洋人が今もなおクリル諸島と呼ぶのは、我がこの千島のことなのです。

根室に最も近い島は国後島。その周囲は100里(392km)もありませんが、名山や景勝地は奇妙な形を成し、火打山や爺爺岳ちゃちゃだけは標高4里(1600m)ほどの高さに湖があり、その水は西へ東へと分かれて流れ落ちていきます。東は大河、西は滝と、世にも珍しい神の山でしょう。

西に泊港、東には安渡移矢岬あといやみさきがあります。この岬は択捉島への出入口で、瀬石山せせきやまの麓には海の中から温泉が湧き出すという奇観が見られます。

ここから7里(27.5km)離れたところにあるのが択捉島。この一島四郡の長大島、山はカモイワッカ岬・阿登佐岳(アトサヌプリ)・散布山(チリップサン)・茂世路岳(もよろだけ)、そして湖はトウロ湖があります。

この辺りは魚類の数がたいへん多く、マスは海面1里(4km)も手釣りができるほど魚影が濃く、クジラも常時泳いでいます。そのほかタラやアブラコなど、餌を投げれば一度で8・9匹釣れるでしょう。

そしてその先にあるのがウルップ島。それに続いて小さな島が無数にあります。これらはみな千島に含まれるのです。人口は全島合わせて600人ほどしかいません。


【たまむしのあとがき】

北方領土の様子については「まったく」知りませんでした。

知りたいと思わなかったということもありますし、何か知ってはいけないような、そんな雰囲気ありませんか?

今回ここで古文書を訳すに当たり、ウェブでいろいろ調べて初めて知ったのですが、いや~いいところじゃないですか。

返還活動をする前に、「北方領土ってこんなところ」という知識を得る方がずっと大事な気がするんですけど。

ツアーの様子もあったりしましたので、興味のある方はぜひググッてみてください。知床の延長線上のような雰囲気でしたよ。

北方領土に限らず、北海道の地名はアイヌ語起源のものが非常に多いです。(ほとんどがそうなのかもしれません)

今、札幌中心部は老朽化した商業施設の建て替えラッシュなのですが、そのなかに「moyuk(モユク)サッポロ」という都市型水族館の入った商業施設があります。

モユック?モユク?は?なにそれ。どーいう意味なの?と思っていましたら、なんとこの「モユク」、アイヌ語で「狸(タヌキ)」のことで、札幌随一の商店街「狸小路」にあるので、そこから取ったそうなのです。

ここでもアイヌ語、今でもアイヌ語です。

アイヌの自給自足・定住しない・小人数コミュニティなどの生き方は、これからの時代とても参考になると思いますので、個人的にもっと知識を深めたいと思っているのでした。


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