清めの酒に邪心を入れちゃう

 年明けにお祓いに行った。お土産に渡された飲んでもいいしお清め用に使ってもいいという日本酒を、なにか特別なときに飲もうと思っておよそ半年間も放置していた。
 なにか特別なとき、なんて事前にそうだと分かるだろうか。いつだって後から思い知る。なにもかもが遅い。もっと早くにやっておけばよかったと途方にくれた分だけ人生は積み上がるものなのに。
 だから特別なときとはそうと自分が決めるときだ。たとえばこの前買ったフォンダンウォーター用のボトルとドライフルーツ。見た瞬間にこれにあの日本酒を入れようと思いついた。フォンダンウォーターなんて知らない。調べたらドライフルーツを水や炭酸水に漬け込んだものらしい。ならあの日本酒でも良いではないか。わくわくするような直感。これを天啓というのだろう。
 日曜日の夜。前日には三ヶ月間続けた勉強が一段落ついた。今日は久しぶりにアイドルのライブに行った。良いライブだった。私生活の問題は何ひとつ片付いていないけれど、いまこの時間をなにか特別なときにしても良いだろう。願わくば、今日が特別にふさわしい夜だったと、後から思いたい。
 報われたいと、いつも子どもみたいに願っている。みんな大変だってわかるけど、私だって毎日大変なのだ。大変な分、なにか特別で良いことが降ってこないかと夢想する。
 厄は払え。福よ来い。私がわかるように特別ななにかの形をして迎えに来い。
 でも私は大人なので、明日もまたそこそこ大変な日々が、やらなければならないこと、飲み込まなくちゃいけないこと、みんなが頑張って普通にこなしていることを、私もまた内心で私だけが報われたいと泣き言を吐きながら普通な顔で過ごす毎日がやってくることを知っている。特別ななにかが私のためだけに姿を現わすことも、私だけに手を差し伸べてくれることもないのだと、いい加減に気づき始めている。
 だからせめて今夜は日本酒にドライフルーツを漬け込んだものを飲む。清めの酒に、ちょっとの邪心。いつか、なにか、私だけの美味しいことがありますように。

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